GW二日目!

まるで初夏のような気温と雲一つない晴天!

と思いきや、意外と風も冷たく、日陰に入ると春物コート無しだとちょっと私は辛い位です。

うーん、今一パッとしませんね。

 

私も出来れば、観光旅行とか行きたいんですけれど、ご存じの通りとても今は行く気になりません。

 

Youtubeではなかったですけれど、普通に国会の厚労省分科会で突っ込まれてますね。

2020年、2021年とされてますが、こちらも何度もご紹介させていただいた通り、2020年の死亡者数は2019年と比べてむしろ2万人のマイナス。

2021年が2020年と比較して6.7万人(すいません、6.9万人じゃなくて6.7万人でした)の増加。

2022年は2月の段階で既に2万人の増加。

3月は2月の平均増加率が10%の所、発表されている限り大体18%の増加なので、3.4万人位の増加見込み。

関東大震災の死者・行方不明者数は合計10.5万人ですので、年間で考えると軽く超えそうです。

 

この状況でスパイクタンパコーの中を旅行に行けと言われても、この人に会うだけになりそう・・・

 

今日だってですね、ポリパテ来ないので、買いに行こうホトトギスとなったんです。

 

先ず喫茶店に行きまして。

凄い混んでましたね、何で皆お外=県外に行かないんでしょうか?

結構スパイクタンパコーがチラホラ・・・

水出し珈琲が売り切れとの事で、ただのアイスコーヒーに・・・

まぁ、それでも美味しいですが。

谷口克広氏の「天下人の父-織田信秀」できっちり知識仕入れまして。

 

そしてポリパテと、鉄のフライパンの汚れを落とすための80番の紙やすりを買いにホームセンターに。

ま、行ったらとっくに潰れてましたがw

もう要らないんじゃない、この駅?

FRESHNESS位しか、意味が無いんですが・・・

 

しょうがないので、ダイソーに行ったら、とうとう発見、二人組の女子高生!

お外なら、射程距離は10~12mですが、店内はもうダメ、入った途端に眼がしょぼしょぼに・・・orz

もう、ワクチン接種者は全員隔離して欲しい。

厚労省のデータで、関東大震災を超えるであろうペースの死者数を叩き出し、国会ですら追及されてるのに、キシダはドスルーなの?

流石白紙に戻す検討士!

 

ま、しかし本日はノブ様シリーズです、もとい、斯波氏シリーズ

今回辺りで、いよいよ織田弾正忠家に移る予定です。

 

Coldplayで、斯ー波ーw

 

前回までの「織田信長は天才か」!

Previously Is Nobunaga Oda Awesome? After Occupated Owari (ワールドトリガーは、ネイバーとか言う異星人が襲来!ブラックトリガー持ち、と言う黒帯みたいな連中を多数投入してましたが、兎に角大戦力で攻め寄せてきて、多数の新人がさらわれてしまいました。レプリカと言う主人公の相棒ロボットも居なくなってしまった!と思ったら、そこから部活動モードに移行・・・orz B級戦とか言うシリーズになって、〇〇先輩!とか、もうグダグダの部活動ですね・・・次のアニメ行くか、ネイバー侵攻編まで飛ぶか?しかし、あんな大戦力投入するとは、相当必死ですな、危急存亡の秋ってやつかもですw)

 

 

1. 再開のまとめ

2. 織田家の組織について-1

3. 織田家の組織について-2

4. 織田家の組織について-3

5. 織田家の組織について-4 

6. 織田家の組織について-5

7. 織田弾正忠家とは-1

8. 織田弾正忠家とは-2

9. 織田弾正忠家とは-3

10. 織田弾正忠家とは-4(前回)

11. 織田弾正忠家とは-5(今回)

 

前回終了時の1493(明応2)年の翌年の勢力図です。

遂に伊勢宗瑞の名前が出てきました。

室町政府から、今川氏親堀越公方を助けて古河公方を討滅せよ、との命令を受けての行動だと今はされていますが、昔はただの素浪人とか書かれてました。

素浪人の妹が、今川家の統領の側室とか(今は正室とされています)、中々凄いですね。

 

後は、加賀守護富樫氏が追放されて一向宗の国になってしまいました。

一応、本家の山科本願寺(当時はまだ本拠地は山科で教祖は証如)の命令は聞きますが、基本的には自分勝手に領土拡げてます。

 

主な出典は、下記になります(敬称略)。

氏戸佳香: 那古野今川氏の謎

芝裕之: 織田信長(中世から近世へ)

中川太古: 現代語訳 信長公記

呉座勇一:応仁の乱

谷口克広:天下人の父-織田信秀

Wkipedia

 

後訂正です。

 

こちらで、山内上杉氏に反抗した長尾家府中長尾家じゃない、と書いてしまいましたが、正に府中長尾家上杉謙信の父親の為景が反乱者でした。

すいませんでした。

 

1. 美濃の動乱

2. 伊勢宗瑞の襲来

3. 遠江喪失と織田弾正忠家の登場

 

 

1. 美濃の動乱

前回ちょこっとご紹介しましたが。

美濃斎藤妙椿(みょうちん)と言う奇怪な人物が居ました。

美濃の体制は大体下記の感じです。

守護:土岐氏

守護代:斎藤氏(本家、持是院家)

小守護代:長井氏、石丸氏

 

土岐氏土岐源氏ですね、姓は、苗字は土岐、と言う奴です。

当主は成頼です。

問題は守護代斎藤氏で、元々は斎藤利永が務めていました。

この利永の弟が妙椿で、利永の死後に甥の利藤を後見していました。

妙椿は僧侶で、美濃国内に持是院と言うお寺(実質は加納城)を始めたので、斉藤家が本家と持是院家に別れてしまいました。

 

この妙椿が変に権力を持ってしまい、なんと室町政府奉公衆になるどころか、官位においても土岐氏を超えて従三位を受けるなど、とんでもないことになってしまいます。

応仁の乱では西軍に立ち、前回は東軍細川成之の領国である三河を狙ってきて、斯波義寛今川義忠と言うとんでもタッグに撃退されています。

問題はこの妙椿が1480(文明12)年に亡くなるのですが、その際に土岐成頼に利藤より自分の養子の妙純を重用してくれるよう、頼んだことです

これで先ず斎藤家がお家騒動になります。

 

次に、この成頼が後継ぎを嫡子の頼継より末子元頼にしたいと思い、実際に上洛して将軍に頼み込んでしまったことです

当たり前ですが、土岐氏もお家騒動になります。

構図としては下記のようになります。

 

成頼側:土岐成頼 + 元頼 + 斎藤利藤 + 石丸利光 + 織田大和守寛定

頼継側:土岐頼継 + 斎藤妙純 + 織田伊勢守寛広

 

織田家がこの美濃国動乱に巻き込まれてしまうのは、姻戚関係がある故です。

大和守家石丸利光と、伊勢守家成頼と姻戚関係です。

本来、伊勢守家成頼側になりそうですが、妙純からの働きかけと大和守家との対立からこうなったようです。

斯波義寛(よしひろ)はこの騒動が始まる前に、織田大和守敏定を病気で失い、この騒動で後継ぎの寛定まで失ってしまいます。

大和守家は大打撃を蒙りますが、何とか寛定の弟の寛村が継ぎ、数年後に寛定の息子の達定が継ぎます。

 

結局この騒動は、頼継側が勝利します。

成頼、利藤は隠居、元頼、利光は切腹です。

 

一応勝者となった頼継側なのですが、妙純は翌年後継ぎと共に土一揆にあって死亡。

伊勢守家大和守家との正面衝突で甚大な被害を蒙り、とても無事とは言えない有様です。

伊勢守家大和守家は結局和睦を結びます。

 

 

2. 伊勢宗瑞の襲来

時を同じくして1494(明応3)年、室町から下ってきた伊勢宗瑞今川氏親を助けて遠江に侵攻してきます。

土岐成頼が同じ頃に将軍足利義稙に会っていることを考えると、両者は連携していると考えた方が良いかもしれません

どちらにしても、斯波義寛からすれば越前朝倉氏に奪われた状態。

尾張織田氏美濃の内乱に巻き込まれて動けず。

遠江甲斐氏しか居ません。

 

これは中々きついものがあります。

伊勢宗瑞は当然戦には強いですし、今川氏の地盤もお家騒動があった後とは言え駿河一国を抑えていた訳で強大です。

遠江は元々吉良氏が一部拝領していたこともあり、同じ一族の今川氏もそんなに縁がない訳でもない。

援軍が無いと、打ち勝つのは難しい。

ここから詳細は良く分かりませんが、遠江の東半分は取られてしまったようです。

更にじり貧気味にドンドン西に追いやられていくようですが、遠江を完全占領した、という記録はありません。

宗瑞は他にも甲斐、相模と転戦してますので、余り遠江だけに集中も出来なかったんでしょう。

 

 

3. 遠江喪失と織田弾正忠家の登場

更に時が流れて1510(永正7)年。

斯波家義達(よしたつ)織田大和守家達定(たつさだ)織田伊勢守家敏信(としのぶ)の代になっています。

この頃、義達武田勝頼化していたようで、遠江を奪回するために尾張国中に苛斂誅求をしていたようです。

余りの酷さに国人衆達は反抗していき、到頭1513(永正10)年に義達達定は衝突し、達定は討ち取られてしまったようです。

大和守家の後は達勝(たつかつ)が継ぎましたが、この1515(永正12)年、懲りずに義達遠江に侵攻します。

吉良氏の家臣、大河内氏曳馬(後の浜松)で兵を挙げたのに連動したようですが、この今川氏親は余り資料はないのですけれど、どう考えても名将のようです。

 

やはり、氏親と言えば今川仮名目録なんですが、

・遠江を手に入れる

・武田信虎と福島正則(くしままさのり)を文字通りの二虎競食の刑にかける

・義元の才能を見抜く

・雪斎を登用し義元に付ける

・氏輝、彦五郎をセットにする

・北条との同盟は守る

 

などなど、何と言うかオール5の武将です。

余り欠点が見つからない、きっちりと全方向で業績を残している。

なので、遠江の支配もほぼ万全。

 

義達は何と生け捕りにされてしまいます。

その上で髪を剃られて、僧形にされて、丁重に尾張に送り返されてしまいます

流石に守護ですし、斯波今川も元は同じ性は、苗字は足利

しかも斯波家は本来足利家筆頭の家柄、武衛家です

氏親としてはある意味敬意を払ったのでしょうが、それは武将としては最大級の屈辱です。

文字通り、身の終わり(美濃尾張?)です。

 

斯波家義統(よしとし)が継ぎますが、威信は文字通り地に堕ちました。

因みにこの義統は、何故か後に信長に好意を寄せて、なにくれとなく助力したとかの話がある人です。

 

しかしそんなことより、これは織田大和守家にとっても一大事です。

そもそも、前にその義達に父親を殺されている達勝ですが、尾張の守護の失墜はそのまま守護代の権威にも関わってきます

隣の土岐氏、織田伊勢守家、他にも多数居る周辺の国人衆が一斉にうるさくなり始めました。

とは言え、元々尾張国人衆義達には反感を抱いていて、それに立ち向かった達定にはそこまで反感を持っている訳でもない。

つまり、きっちり武力を示せば再び守護代、あるいは朝倉のように守護にもなれるかもしれない

 

そこで、ボツボツと特に武略に優れた家臣を選び、彼らに傘下の国人衆を与力させて尾張中に再度武力を知らしめるための行動を開始します。

家臣は多数居ましたが、特にその中から選ばれたのは結果的には3家でした。

 

織田藤左ヱ門家-主に北方担当?

織田因幡守家-詳細不明、彦五郎(織田大和守家の最後の当主)の出自とされる

織田弾正忠家-主に南方担当?

 

この3家は同時に選ばれた訳ではありません。

また3奉行とか3家老とか言われますが、織田大和守家の家老は他にも居ました(彦五郎の時の坂井大膳とか川尻与一などもそうです)。

この織田弾正忠家良信信長の曽祖父になります。

が、1515(永正12)年には恐らく子供の信定の代になっていると思われます。

 

と言う事で、斯波家の没落と織田弾正忠家の登場でした。

斯波家が余りに波乱万丈で、うーん、調べるともっと面白そう。

正に室町を代表する感じで、大河ドラマとかにぴったりな感じですがね

最後が髪剃られて僧形でお終い、とか中々みられない悲劇です。

ま、織田大和守家織田弾正忠家も、負けず劣らずのドラマですけれどw