最近腕時計が壊れました西村です。


バイト中に時間を確認しようと服のポケットから腕時計を出すとその瞬間なぜか突然握力が失われ、勢いあまって腕時計が宙を舞いそのまま放物線を描いて地面に落ちていきました。拾うとフェイスがバキバキでした。ショックです。可愛くてお気に入りだったのに。


その後もポケットに入れたままにしているんですが、いつもの癖でポケットに手を突っ込んで時計を取り出して見ちゃいます。そしてそのたびに「あ、壊れたんや」ってなります。やっぱりショックです。いつもの習慣がちょっとした傷口をすこしずつえぐってきて辛いです。まあ新しい腕時計を買えって話なんですけどね。なんせお気に入りだったので、、。


でもバイトが終わる頃にはそのことをすっかり忘れてる自分がいることは共感してもらえるのではないでしょうか。そして次の日もまた同じことを繰り返してます。そしてその次の日も。そろそろ抜け出したいです。



突然ですが、

習慣ってどのタイミングでつくんでしょう。


習慣化することは大事だ、とこれまで何度も学校の先生に呪文のように言われ続けてきました。

「習慣化する」とは無意識に行動や思考を繰り返す状態になることだそうですが、

個人的には『この行動を習慣化しよう』と考えてる時点でそれは意識的で無意識じゃないし、その行動は習慣ではなく、ただの習慣化すべきだという義務感によるものなんじゃないかって思います。もちろん、その行動を継続する上でこれをやらないとなんか気持ち悪い、みたいな領域まで達することが出来れば、それは習慣化成功だといえます。

ただ私の場合、その領域に達する前に、その行動を起こすたびにこれを習慣化しよう習慣化しよう、、といちいち考えてしまいます。その結果、客観的に見れば長期間にわたってその行動を継続していて習慣化できてるようにみえるけれど、実際自分としてはほとんどの事は習慣化できておらず常に義務感に追われながらの作業みたいな感覚で行動し常日頃過ごしています。

だから最近、朝ごはんに卵かけご飯とキムチねぎ納豆とコーヒー牛乳を飲む、というのを毎朝の習慣だと思ってましたが、なんだか義務的に口に運び入れてるような気がしてきました。


そんなことで、

未だに良い習慣がつけられずにいます。

いや、そもそも「良い習慣」ってなんだろう。「良い」とみなす定義はなんなんだ。考え出したら迷宮入りするのでここで止めておきますが、最近そんなことばかり考えてしまいます。


最初の方で

「習慣はどのタイミングでつくんでしょう」

という問いを提示したのにも関わらずだいぶ脱線し結局そもそも論まで逆戻りしてしまいました。

問の答はおそらく、人それぞれ、です。


いや、結局なんの話やねんって

ツッコミたくなるダラダラとした

ブログになってしまいましたが、つまり

習慣化してようがしてまいが

やることはちゃんとやろうねって話です。


わたしもよく分からなくなってきたので

ここで失礼します。