失礼します。1回生の梅田です。彦根はまた雪が降り、積雪量が鬱屈とするほどですがいかがお過ごしでしょうか。
僕はこれまでの方々がブログに書いた通りテスト期間中です。僕は石川ほどではないですが、一回生みんなとたくさん試験勉強をしました(まだおわってないですが)。その中で気づいたのは、みんな集中力が僕よりも相当に長く続くということです。僕なりに頑張ってるつもりでしたが、やはりみんなには勝てない。(勝とうとするのがおこがましいのかもしれませんが)さらに長さだけでなく呑み込みも早い。飲み込んだ内容の解像度も高いなど。こんなにも差を感じたのは生まれて初めてです。だいぶ衝撃的。上には上が、更に上にも人がいることに気づけました。僕は今まで勉強仲間といえるような人がいなかったので、上に書いたことも含めていろんなことを吸収できたように思います。とても幸せだと僕は感じます。
そして、その先のテストが終わった時のご褒美として、本を読むことと競技以外で自分がやりたいことをやろうとも思いましたがやりたいことが特に無いです。どういうことか説明します。一昨日レポートを友達とやった帰りにテスト終わったら何をするかという話になりました。その時に特にやりたいことが無いのです。当たり障りのないことをその時は言いましたが(ごめんなさい)。おそらくその理由は僕の癖なのだと思います。どうも僕は逃げる。苦労して得られるものよりも予想される苦労の過程のマイナス面に負けてしまう。その結果、競技以外のことで最近あまり望みが湧かなくなってしまいました。はやく競技のことで頭の中を埋めたいです。分かりやすい勝負事がやはり好きですが、望みが湧かないのは克服せねばならないと思っています。
この前の石川のブログで面白いなと思った諺で「禍福は糾える縄のごとし」というものがありました。その意味は石川のブログを読んでいただけるとわかりますが、ええことも悪いことも表裏いったいやからあんま一個一個気にすんなという意味だそうです。一個一個気にしている場合ではないと僕も思いますけども僕は大小を気にしていきたいです。挑戦しなければとても悪いことに遭うことも減ります。その結果とてもいいことに遭う確率も減るんじゃないかと思うので実はある程度禍福の大きさを操作できるのではないかとも思ったりしてます。最近読んだ本の中で引用されていた詩の一節で、
『荒っぽい歓楽を避けてさへゐれば、自然また大きな悲哀もやつてこないのだ。ゆくてを塞ぐ邪魔な石を蟾蜍は廻つて通る。』 さらに、『塞ぎがちなる肉身から雄々しい聲を噴き上げよ、苦痛にすべてうち任せたその肉身から、従容として死の許嫁たる肉身から叫べ、寶玉は鑛石を破つて光る。』とあり、さすがに苦痛にすべて肉身を委ねるつもりはないですが、蟾蜍よりかは寶玉になりたいので目の前の苦痛より、その先の得られる物を信じて頑張ろうと思います。柄にもなくだらだらと駄文を連ねてしまい失礼いたしました。
1回生 舵手 梅田康毅