失礼します。三回生の櫻庭です。

少し前に、映画「ショーシャンクの空に」を観ました。
シャイニングと同じ原作者とは思えないような爽やかなエンディングでした。





実はシャイニングのストーリーまともに知らないです😨

_______________

本題です。
今現在、2名の新入部員(仮)がいる状況で
どのように下級生と関わっていくべきか考えてみます。

昨年のシーズン中、私は初め一回生練についていましたが
9月のインカレに出させてもらえることになって、途中で一回生練を離れました。
インカレ遠征のことは、貴重な経験として今も大事に覚えています。

その一方で、一回生練に心残りがなかったといえば嘘になります。

慣れない早朝練、コツなんてあってないような漕技、無限に求められる体力…
大変なことづくしの生活に不器用に必死に食らいつく一回生が
自分にとってかわいいかわいい後輩になるまでは結構早かったです。
一回生練を離れた後も、コミュニケーションも積極的にとっていたつもりです。練習時間が被ったらよくおしゃべりしたし、食堂でお昼に付き合ってもらったし…

なので、部活が辛くて辞めたいという子がいるのも知っていました。
知っていましたが、止めることはできませんでした。
厳密にいうと、悩んでいることを聞いたり励ましたりといったことができなかったです。

今思えば、
一回生練を途中で離れたのを理由に、大切な場面でのコミュニケーションを怠り
みんなの現状を知ろうとしていなかったと思います。
結局、辞めた理由や経緯は、後から人づてに知りました。
なんで相談してくれなかったんだ!と何回かモヤりました…

そこでふと気づいたのですが
私の行動はいつも「〜なつもり」だったということです。

練習を盛り上げていたつもり、ためになるクライをしていたつもり、辛い時に励ましていたつもり
…挙げればきりがない

「練習楽しい!」と思うのも「今のクライためになった!」と思うのも一回生なのに
私はそういうのをあんまり考えていなかったと思います。
コミュニケーションも「できていたつもり」でした。(伏線回収)

自分の経験則でばかり物を語って
一回生の話を聞いてわかった気になって
寄り添ってあげてるつもりでした。いや、一年前は本気で寄り添えていると思っていました。
実際は上手にコミュニケーションをとれていなかったな…

自分にとっての正解が他人にとっては間違いなことはよくありますし、
意見のすれ違いは、たいていすれ違ったまま終わってしまう気がします。
ましてや、ボート部の一回生と二回生とでは考えの基準が大きく違っていたと思います。
それをまるまる無視してはいけなかったと猛省しています。

下級生に対してだけでなく、同級生や先輩にも同じような感覚を持って接するべきなのはもちろんですが、
これから新入部員を迎え入れるにあたり、去年と同じ過ちを犯したくないなぁと思いながら
少しでも正解に近いコミュニケーションを模索しています。


ちなみに「ショーシャンクの空に」では、
主人公は無実の罪によって刑務所に投獄されます。
悪が蔓延する刑務所の中で希望を見出して生きていく男のドラマなんですが、
ネタバレすると、主人公の冤罪は最終的にも晴らされていません。
罪を被ったままラストを迎えます。でも爽やかなんです。

主人公は自分が無実だという真実を知っていたし、
初めこそその真実を訴えていたけど、受け入れられることはありませんでした。
しかしそこで絶望してしまわず、まったく違う道を切り開いたために
主人公は外の世界で新しい人生を始めることができたのだと思います。(要するに脱獄)

20年かけてその準備をしてたというのは一旦置いといて、
無実の訴えが信じてもらえなくても
外の世界に帰ることを諦めなかった姿こそが、
清々しいラストを飾っているとの個人的見解です。
(ネタバレごめんなさい!!!!!!ネタバレ踏まえてもいい映画なので是非に!!!!!!)

人によって考えの分かれ道は違うので、
自分の理想ばかり追わずに日々のコミュニケーションを丁寧にしていきたいと思います。

映画の主人公のように爽やかに終われる人生目指したいなあ…

以上です。失礼します。