青江好祐2015年 自叙伝 マイルス・デイビス風 | スパソン日記 Season2
2014-12-31 23:46:18

青江好祐2015年 自叙伝 マイルス・デイビス風

テーマ:日常
なんとか間に合ったー。


今年も本当に沢山の人にお世話になりました。
来年2月21日は吉祥寺プラネットKにて
ニューアルバム「Aoe in Blue」のレコ発ワンマンをやります。
作業的にはもう一息。ラストスパート中です。

どうかどうか、沢山の人に来て頂けますように…
みなさまどうか予定を空けておいて下さいませ。



勝手に毎年恒例にしている、1年間振り返りブログの2014年版です。
今年は再びマイルス・デイビス自叙伝風にしました。

なので敬称略なのですが、そこはご了承下さいませ。すみません(笑)
マイルスの自叙伝を読んだ事のない方には、このへんで雰囲気を感じて頂ければと思います。


ではでは、来年もよろしくお願いします!!!


青江好祐







青江好祐自叙伝 2014年


まあ、聞いてくれ。

2014年も目まぐるしい1年だった。毎年そんな事を言ってる様な気がするがな。
13年の12月から女たちのメンバーで「この胸の呼び鈴を鳴らしたのはあなた」「ハーバーライト・ウーマン」
のレコーディングを進めていたから、その作業と平行してライブをやっていた感じだ。

出会ったばかりのアカネもコーラスやフルートで活躍してくれていた。
ドラムのサキも慣れてきたようで、ようやく新しい青江好祐と女たちの体勢が整いつつあったんだ。
エンジニアはプラネットKのPAをやっている大津だが、とにかくビートルズみたいなサウンドにしてくれと頼んだ。
ドラムが左右どちらかに寄っている様なミックスだ。


シンガーソングライターのヤマダアキヨシとも、今までのようにつるんでは演奏をしていた。
2月のバレンタインに二人でイベントをやったんだが、その日に限ってとんでもない大雪で
客が数人しか来れなくなっちまったんだ。そしたらアキヨシが
「ホワイトデーにリベンジ企画をやろうぜ」
と言い出したもんだから、二つ返事でオッケーした。
3月14日、イベントに来た客は2月と同じメンツだったがな。嬉しかったが、あれは笑ったぜ。

2月末には吉祥寺プラネットKでレコ発イベントをやった。
菅直行のやっているソロのバンドと一緒にだ。実際はオープニングアクトをvojoでやったから
俺は2ステージだった。
「すんでのところで」以来の音源だったから、完成することができて誇らしい気分だった。
色々と以前の女たちと演奏やその他のやり方も変わってきてはいたから戸惑いもあったがな。

3月半ばには明治神宮前に新しくできたハコに出演した。「ひまわり広場で手をつなごう」というところだ。
ここは昔からバンド界隈で顔なじみだったカワミチが作った店で、ヤツと話しをしているときみたいに穏やかな気持ちになる
アコースティックのハコだ。
vojoのギター、takeが音響を手伝っていることもあり、最初から我が家のようにくつろげた。
カワミチはバンドをやっていた時から、自分のライブハウスを作りたいと言っていたからな。夢を形にしたんだ。
大変な事も多いだろうが、まったく、たいしたヤツだぜ。

3月末には高松の大きなイベントに出演した。
ラフハウスというライブバーのマスターが主催するフェスで、沢山のミュージシャンが出演していた。
俺はフジタユウスケとのツアーで前の年に一度ラフハウスに出たきりだったので、急な抜擢に驚いたがな。
あまりに信じられなくて、ラフハウスのマスター、コンジョウに返事をするのが遅くなってしまった。
俺が連絡の遅れを電話で詫びるとヤツは
「いいだろう、だが一つだけ条件がある…」
ともったいぶってから、
「弾き語りの他に、イベントの司会もしろ」
ときたもんだ。あれには笑ったぜ。

結局1番手で弾き語りをし、後はずっと8時間くらい司会をしていた。
「高松の最低賃金を下回っているんじゃないのか?」
なんて言って笑ったもんさ。
ヘトヘトになったが、おかげで他のミュージシャンともコミュニケーションがとれて、俺にとってはとても大きな経験になった。

4月に入って再び、「はいからさん」のチカダを連れてラフハウスにツアーで行ったんだが、
そこでの皆の熱烈な歓迎は、今年の俺を突き動かす大きなエネルギーになった。
チカダの熱い演奏をコンジョウも喜んでくれて、俺はより高松が好きになった。

そこからは夏まで止まる事がなかった。
女たちのライブももちろんだが、メンバーのヨシミとヨーコがやっている「むさしのこまち」のイベントではベースを弾いた。
他にアカネもソロで出ていたので、そこではギターを弾いた。
アカネは以前から女たちのメンバーをバックに誘ってライブをやっていたが、ここにきてついにオレも駆り出されたというわけだ。
彼女の中には、ひょっとしたらこの時からソロのバックバンドを女たちにやらせる計画があったのかもしれない。
とにかく、オレもそのレールにまんまと乗っちまったってわけさ。

5月も司会、女たち、アカネのソロ活動とあちこちを駆けずり回っていた。
そんな頃、ヤマダアキヨシが夏のツアーの話しを持ちかけてきた。
女たちと、アカネとアキヨシで廻る関西ツアーだ。
アカネのバックは女たちで固める事にし、去年は京都一カ所だけだったのが今回は高松にも行ける事になった。

その準備をしているあいだ、吉祥寺で久しぶりにコンドウのやっているバンドと対バンをした。
コンドウは昔一緒にユースムースアヴェニューというバンドをやっていたが、解散後はそれぞれに動いていた。
お互いの動向は気にしていたが、バンドで共演するのは久しぶりだった。
夏にそのバンドは解散してしまっていたが、ヤツは相変わらず飛び抜けたプレイをしていた。
家に帰ってからバンドの日々を少し思い返し、「群青劇」という曲を書いた。

6月はアイハラミホというダンスパフォーマーのイベントでさきっちょマッカートニーをやった。
会場の都合で一人で弾き語りになったが、とてつもなくウケた。客にもダンサーやノリの良い人間が多かったのもあるがな。
その後も大塚でチン青江とアッパーカッツのライブがあったり、月末には京都と東京でフジタユウスケの前説をやったり
人を笑わせっぱなしの一ヶ月間だった。

7月から、アカネのソロバンドと女たちのリハやライブが平行して動く事が増えてきた。
この頃に彼女がワンマンワイブを秋にやると言い出して、いよいよ本格的に動き出したんだ。
もっともその頃は彼女の持ち曲が少なすぎて
「フルートを50分間吹き続けるのか?」
と笑ったものだったが、その後の彼女の作曲ペースはすさまじく、さすがのオレも驚いた程だ。

そしてついに関西ツアーの8月を迎えた。
去年は車を使っての移動だったが、運転をしてないのに俺が何故か疲れきってしまって駄目だった。
だから今年は少し贅沢をして新幹線を使った。
まるで慰安旅行か何かのようなほのぼのとしたもんだったが、いざ演奏が始まると女たちはさすがだった。
今回はアカネの曲も演奏するから、曲も沢山覚えなくてはならなかったが、見事にやってくれた。
特に高松は親父の還暦祝いも兼ねていたから、皆が喜んでくれたのが何より嬉しかった。

京都、高松とも熱烈な歓迎を受けて、俺たちはいい気分で東京へ戻ったんだ。

9月に入り、俺はそろそろアルバムレコーディングの事を真剣に考えなくてはいけないと思い始めた。
何も準備をしてなかったわけじゃないが、ツアーを終えた後のほうが一番ノリの良い演奏が録れると考えたんだ。
月末からドラム録りをスタートし、順調に進めていった。

アルバムのテーマは憂鬱や暗さ、つまりはブルースだ。
去年から色々と個人的に打ちのめされた部分も少なくはなかったからな。
前作の「すんでのところで」は賑やかものだったので、
2枚目はとことん暗い内容にしたほうが笑えると思ったのさ。
もちろんユーモアは忘れてないぜ。いつだって大事なのはそれだからな。

レコーディングのリハを終えた時に、ドラムのサキが妊娠をしたと言ってきた。
彼女にはとても聡明な旦那がいて、俺もメンバーも親しくしていたから
良い知らせに皆とても喜んだ。
録音もサキのパートはほぼ終わっていたので、残っている1、2曲とアカネの「やじるし」を録って
一時女たちを離脱する事になった。さすがにライブはやらせられないからな。

アカネのライブとその後のワンマンは俺とvojoをやっているホウヤにドラムを叩かせる事にして
女たちは新しいメンバー、スワに頼む事にした。
彼女は以前に司会をやったイベントで見かけて声をかけた事はあったが、一緒に演奏するのはこの時が初めてだった。
終わった後にアドバイスを求められたから、「何も問題はない」と言っておいた。素晴らしいドラマーだ。

アカネのレコ発ワンマンが迫っていたので、自分のレコーディングを勧めつつ
先にアカネの音源を仕上げる事にした。
俺を女たちの担当は「やじるし」1曲で、俺はミックスまでやることになった。
彼女には世話になってたからな。俺の出来る限りの事をやったつもりだ。

他の曲はアキヨシとオサムのAOSCが完璧に仕上げていた。
その中で遜色のない仕上がりを目指さないといけなかったので、俺も気合いを入れて取り組んだんだ。

完成したアカネの音源を持って、再び関西にツアーに出た。
アカネとアキヨシとアオエの頭文字をとってAチームと名乗り、アコースティックで演奏した。
様々な新しい出会いもあり、とても充実した旅になった。ツアーファイナルは高松だ。
夏は女たちのコーラスとして参加したアカネも、今回はメインアクトとして堂々としたステージだった。
CDも飛ぶように売れていたな。まったく、たいしたやつだぜ。

そのままの勢いで東京のワンマンも上手くいって、俺たちはうまい酒を飲んだのさ。



アルバムの制作が進んで行く中、今年の頭に完成させた「呼び鈴」と「ハーバー」は
女たちではなく、チン青江でバックを固めてくれているアッパーカッツに頼む事にした。
皆俺の先輩だが、それはとてつもない演奏を残してくれた。
俺はボーカル録りに苦戦していたが、コンドウにボーカルディレクションもある程度手伝ってもらう事にして
問題なく進み始めた。

12月に入ってからはユウスケの前説があったが、基本的にはレコーディングに没頭した。
おかげで酒の量も増え、体調はあまりよくなかったが丁寧に音を重ねて行ったんだ。

人よりも活動が散らかっている分、たまに自分が今何の作業をしているのか分からなくなる時があるが
そんな時はいつも仲間が支えてくれている。
今回のレコーディングで演奏をしてくれたミュージシャンの皆には感謝してもしきれない。
だが、言葉で伝えるだけじゃダメだ。最高の音源に仕上げることが何より彼らへの気持ちを表すことになると思っている。

こうしている今もコンドウがミックスの作業を進めてくれているが、
やつとは一緒のバンドをやっていたので、いろんな事が共有しやすいんだ。
何が最高で、何が最低か、ヤツはきちんと把握している。
バンドをやっていた時はいがみ合う事もあったかもしれないが、今はとても良い友人だ。

そんな中、29日にvojoのライブがあった。
ギターのtakeが別の仕事が入ったので、急遽コンドウに頼む事になった。
やつはゲストで招かれたバンドでも手加減をしないやつなので、vojoのメンバーも全力で迎えた。
結果的にとても熱のこもったライブになったぜ。
コンドウがソロをとるタイミングをドラムのtakaが台無しにしやがったんで、どやしつけてやった。
ステージで何が起きているのかを、見るか聴くかしろといつもいっているんだがな。


翌日は弾き語りだったが、メンバーのmasaやtakeも駆けつけてくれて楽しい夜になった。
色々と大変なこともあるが、常に仲間に恵まれている。
彼らが俺を助けてくれるように、俺もいつだって彼らの力になりたいと思っているんだ。
まあ、普段は言葉に出さないがな。そうだろ?

来年はアルバムを完成させて、2月21日に吉祥寺でレコ発ワンマンをやる。
女たちはもちろんだが、アッパーカッツのメンバーにも男達として参加してもらうつもりだ。
まだ完全に形は見えていないが、凄まじいライブになるだろう。

その後は少しずつ活動をスローペースにしていくかもしれない。
とにかくアルバム制作に力を使いすぎた。もう少し活動を整理していく必要を感じている。
もちろんツアーには出るし、ライブも少しはやるだろう。
曲を書く意欲も尽きる事はないが、少し色々な事が複雑になりすぎたんだ。
今の俺の気持ちはすべて新作「Aoe in Blue」で語られるだろう。
だから後少し、俺の2014年は終わらないんだ。


じゃあ、またな。

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