僕と郷原さんの出会いは、僕が父に連れられて鎌倉ホンダに顔を出すようになって
しばらく経ったある日のことだった。
バイトでお金を貯めて、店先に展示してあったMBX50という2サイクルのスポーツバイクを購入したときのことだ。
 
ニコニコしながら近づいてくる丸顔で七三の男。
「MBXね、これいいよー wiyyyyy」
「デューンされてるけど初心者にも乗りやすい wiyyyy」
オレンジ色のジャンパーにジーンズ、アウターブーツを無理やりインナー履きというスタイルのこの人こそ、初めて見た郷原さんだった。
 
店では、店員でもないのに気さくに客に声をかけ、アドバイスし、場合によっては自転車修理などにも対応していた。
「はい~、いらっしゃいませーにひひwiyyy」
「どうされました?wiyy」
「どうもありがとうございました~wiyyy」
 
僕の知っている郷原さんは、いつも口癖で「うぃ~」と口ずさんでいます。(いやマジで)
あのWiyyyというかウィ~というか。あれは何だったんだろう。
常連が集まると、ウマイ棒を食べながら「うぃ~肉棒」と言い放ったりもした。
そんな郷原さんの愛称は【ニック郷原】あるいは【ニック棒原】になった。
 
あるとき無理難題をゴリ押しするとても困った客が来たことがあった。
スティード600のエンジンの調子が悪いらしく、明日までにエンジンを載せ替えてくれ、というのだ。
これにはシンさん(工場長で現専務)も困り果て、音を上げながら夜8時過ぎまで作業していると、郷原さんが口数少なく黙々と手伝いだした。
22時近くになって無事に作業は完了した。
 
ちなみにシンさんは整備士コンテストの神奈川県大会で優勝経験のある整備士です。そのシンさんですら投げ出したくなるような制限時間つきの整備も、郷原さんの助力によって事なきを得たのです。
このエピソードを通夜の席で話したら、シンさん涙ぐんでたな。話してる僕も泣いてましたけどね。
 
遠い昔、みんなで鎌倉の花火大会を見に行ったことがあるんです。そのとき、新婚だった郷原夫妻も一緒で、郷原さんの奥さんはみんなのためにお弁当を作って来てくれたんです。あのときの鶏のカラ揚げ、とっても美味しかったです。という話を奥さんにしようと思ったら、みんな帰るというので出来ず終いでしたしょぼん
 
以上が僕の知っている郷原さんです。
遺された奥さんと娘さんはこれから大変だと思う。それでも精一杯生きて、大地を踏みしめて前を向いていって欲しいと切に願います。
 
名古屋から駆けつけてくれた仲田さんを初め、小島さん、スズキさん、篠塚、篠塚妹、ヤマケイ、トシ、松、ここ数年ご無沙汰だったみんなに会うことができました。郷原さんが会わせてくれたんですね。
最後に、金田、献花の手配をありがとう。
そして、郷原さんから受け継いだ磨きの技術を後世に残せよ!
 
ありがとう、さようなら。郷原さん。