1998年12月**日(→忘れた) 初めてのスキー旅行 with 家族

 

当時は小学5年生。小学5年生の行動範囲なんかたかが知れている。

 

今となっては行こうと思えばどこでも行けるが、

当時はおけいはん(京阪電車)に1駅乗るだけでもワクワクしたもの。

京橋や淀屋橋みたいなターミナル駅はもちろん、大阪駅なんかは異次元!

 

その行動範囲を超越して、雪国まで直通してくれる列車が当時はあったのだ。

 

それはJR西日本 ☆ シュプール号 ☆

しかしもうその列車は存在しない。



 スキー人口の減少に伴い利用客が減少したことから、2002年度から2005年度まで、JR西日本のみが大阪駅 - 黒姫駅間を東海道本線・湖西線・北陸本線・信越本線経由で臨時寝台列車を運転していた。

 2003年度は最大2往復へ縮小、2004年度から毎日運転が廃止され、12月23日から3月13日まで、2005年度は12月27日から3月12日までの週末を中心に、急行「シュプール」および特急「シュプール雷鳥信越」が運転され、2004年は合計90本[5]と、2005年度は70本運転されていたが、2006年度に廃止された。 

 

停車駅

シュプール(米原駅経由) 大阪駅 - 新大阪駅 - 高槻駅 - 京都駅 - 大津駅 - 草津駅 - 米原駅 - 糸魚川駅 - 直江津駅 - 新井駅 - 妙高高原駅 - 黒姫駅 

シュプール雷鳥信越(湖西線経由) 黒姫駅 → 妙高高原駅 → 新井駅 → 直江津駅 → 糸魚川駅 → 京都駅 → 新大阪駅 → 大阪駅 

 

使用車両

583系と485系の混色編成によるシュプール号 シュプール号にはJR西日本の京都総合運転所に所属していた583系が専用車両として使用されていた。グリーン車はフリースペースとしていた。485系と583系の併結運転が行われたことがあり、先頭車の貫通扉が使われた。 このほか、「シュプール雷鳥信越」には485系が充当されていた。

Wikipedia シュプール号 より引用

画像出典: Wikipedia シュプール号

 

いつも我が家は高槻or京都から乗車。あのホームで列車を待つ時のワクワクは今でも覚えている。

福井や金沢、富山をも通過して、普段特急が止まらない高槻に停車するのだから。

(※時刻表上は通過、ただし実際には金沢駅に停車しているのを確認済み)

やはり非日常は人をワクワクさせるものだ。

 

このシュプール号は関西を22時ごろ出発して、目がさめると白銀の世界が広がっているという列車。

当時はスキーバスとかは今ほど発展していなくて、白馬方面や苗場方面にも列車が出ていて大人気。

B寝台は本当に人気で、いつも発売開始と同時に母親に電話せよとせがんでいた記憶がある。

(尚、母親は実は寒いのが嫌いでスキーはあまり好きではなかったらしい)

 

B寝台の車内はこんな感じ。

画像出典: 「急行きたぐに」に乗って新潟直江津へ

B寝台は3段式で、下段が1番勝ち組、中段・上段は完全に罰ゲーム。

今の自分の身長だと、中腰不可。ズボンを履き替える場合、横にならないと履き替えれない高さ。

そして窓はB5ノートくらいしかない・・・狭!!!

子供は問題ない広さであるが、大人で中段・上段は相当厳しかったであろう。

 

 

しかし横になって移動できるということに需要があったらしく、お値段はまあまあいい感じ。

家族4人、ホテル・リフト券も含めて海外旅行並のお値段もしていたと子供ながらに記憶している。

 

1998年は初めてのスキーというよりも、この列車に乗ることが真の目的であったと思う。

当時はスキー場の積雪情報が新聞に載っていたため、毎日のように新聞チェック。雪が無いとそもそもこの旅行は成立しない。

 

連日のように、

赤倉温泉 20cm  ×  ・・・・・のような全然雪ありません状態。

しかし1998-1999シーズンは暖冬かつ12月ということで、目的地の赤倉温泉スキー場の積雪が全然無い状況であった。

 

来る日も来る日も新聞とNHK天気予報を見て、長野・新潟に雪が降ることを祈った。

 

そしていつしかどうしたら雪が降るのか、気になるようになった。

毎年毎年同じパターンでスキー旅行に行くため、雪が降るメカニズムを少しずつ理解。

 

中学生に上がった時にはある程度の知識を備えている状態だった。

このことは今の職に就くことになる大きな一因となったのだ。