【超感謝】テレビ愛知さん、ありがとう!ずっと見たかった『潮風の診療所~岬のドクター奮戦記』再放送 | A Life Style of “Super Flyers”

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2017年10月7日中日新聞テレビ欄『テレビ愛知』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   10年前に一度きりの放送で、とっても心に残っていたドラマの

 

  『潮風の診療所~岬のドクター奮戦記』

 

   の再放送が今日のお昼、13時36分からありました。

 

   もともと、フジテレビで放送された番組ですが、Dr.コトーにも似た「僻地医療」を題材にしたものは、なんだかわからないのですが、それでも心に響くといいますか、とにかく2007年の放送当時、ビデオにも録画せず、一回きりの放送をみていて、

 

  しまった!録画しておけばよかった!

 

  と本気で思ったものでした。

 

  だって、この2017年現在、DVDにもブルーレイにもなっていない作品ですので。

  買うこともレンタルすることもできないのです。

 

  地道にずっと「再放送」を待っていたのでした。

 

 

 

  今回の放送、テレビ東京系列での全国放送(といっても....何局ですか?.......。)なのかと思いきや、テレビ愛知様の単独だそうで、よくぞ「東映&フジテレビ」から素材を放映を買い付けたものだ、と驚きました。

 

  ちなみに、Wikipediaのアドレスはこちらです↓↓

 

   すこしだけ、拡大します ↓↓

     結構、『相棒』でも実績のある、実力派の俳優さんが集められていますね。テレビ局は違います

   けどね。

 

     伊丹刑事(川原さん)はわかるとして、刑事部長の片桐竜次さんと大谷亮平さんって、どこで映っていたのかな??

 

     水谷豊さん、10年前はさすがに若いですね。 ↓↓

 

   「相棒」が大好きで毎年、放送が始まる秋が楽しみですが、毎年見ているとそれほど「年をとった」と

  までは思わないのですが、こうして10年単位でみますと 「やっぱりそうだよね」 という気分になります。

 

    こちらは、このドラマでの役名「加藤一彦」さんが漫画家になりたいと先生に相談し、道下先生とのお別れシーン ↓↓

 

    ここでナレーションが入り、漫画家になるといって東京に旅立ったこの加藤青年が、のちにあの「ルパン三世」などを描く大漫画家『モンキー・パンチ』になった、という説明がはいります。すげー。↓↓

 

    ドラマ自体は、札幌で自身の大動脈瘤の手術をし、退院した道下先生が、霧多布(きりたっぷ)へと戻る道すがら、最寄りの「浜中駅」から目にした光景を赴任当時からの思いでの場所と重ね合わせて、ここでこんなことがあった、あんなことがあった、というかたちで再現されていくもので、最後は現在の「浜中町立病院」に到着して、町民の皆さんに出迎えられるところで、終わりとなります。↓↓

        ここでエンディングとなるのですが・・・・・

 

 

    個人的に気になったのがここからのシーンです。

 

   北海道大学の医局で勤務しているころ、前年に十勝沖地震が発生し、霧多布(きりたっぷ)への

  赴任を要請されるシーン ↓↓

 

    十勝沖地震は昔より頻繁に発生しており、ここでは昭和27年3月4日に発生した地震を指しています。この年を「前年」としている設定なので、このドラマのこの部分は昭和28年(1953年)ということになります。

     地震により津波が発生し、大規模被害があったことを伝えるシーン↓↓

 

     当時の新聞で「霧多布」に甚大な被害が当時(前年)に発生したことを伝える新聞↓↓

 

    で、赴任先となる霧多布の場所を伝えるために広げた地図を見る二人 ↓↓

 

     で、北海道の地図が映し出され、霧多布がクローズアップされていくのですが・・・・↓↓

 

    で、教授?の指がさすところが 「霧多布」 だと教えるわけです。最寄りは浜中駅ですね。

    浜中駅は根室本線の末端区間では比較的大きな駅として扱われ、急行列車が運転されていた頃

  は、時代によって名称などは違えど、長距離急行の「急行 ニセコ」や「急行 阿寒」「急行 狩勝」はその

  浜中駅を通過しているものの、短距離急行列車であった「急行 ノサップ」(2往復時代を含む)なんか

  は停車していました。

 

    2001年7月だったかな?

   寝台特急『北斗星まりも』というのが札幌から根室まで臨時列車として2週にわたり2往復、計4回

  運転されました。(釧路~根室は4便とも快速列車「北斗星まりも」として運転)

 

   拙者、この「北斗星まりも」に乗車したのですが、ええ、浜中駅に停車しましたね。ナツカシス.......。

JR北海道で運行する列車だから、とJR北海道で単独枠があるはずだから、と釧路駅のツインクル

 プラザに事前に頼んで予約しました。代金の送金は、今はどうかわかりませんが、釧路信用金庫の

 駅前支店に振り込んだ覚えがあります。自分の勤務している支店のATMに仕事中、こっそり行って

 ササっと振込手続きした思い出があります。「信じられね~!嬉し~」とか言いながら........

 

  今って、各窓口とかにも掲示されていますが、JR北海道およびツインクルプラザではこういう取り扱

い(事前予約の前受け)はしてくれないけど、当時は「どうしても乗りたい」という情熱をもってお願いした

ら受けてくださったのでした。

 

   いやいや、そんなことよりもちょっと待て!! なんじゃ、この地図は・・・・・???? ↓↓

 

    ちょっとヤボなこと言いますが・・・・・まあ、日高本線は戦前にすでに終点の様似(さまに)まで開通

   しているからいいですが、支線の「富内線」は無視ですか、そうですか.......。↓↓

 

    先に開業していた天北線(てんぽくせん)も是非書いてほしいし、名寄本線を無視するのはダメだ

  と思いますが、深名線(しんめいせん)が残っているのは地味にうれしい

  す。↓↓

    昭和28年の段階で石勝線(せきしょうせん)がすでに開通していたのは、おそらく気のせ

  いしょう。もしかすると、昭和28年の段階で「スーパーおおぞら」や「スーパーとかち」が走ってい

   たのかもしれません。気のせいです。

 

 

    で、道東エリアを描くのであれば、標津線(しべつせん)だけは、マジ、せめて表現をしてほしかっ

  たなと思います。道東エリアにとってはこの路線の位置づけは重要でしたので。

    図にいれるのであれば、こんな感じですかね。↓↓

   根室標津駅(ねむろしべつ)が野付半島の付け根付近ですのでこんな感じでいいか。根室本線の

  厚床駅(あっとこえき)へは釧路方面向きに路線接続するので、こんな感じでカーブ接続だったはず。

 

   中標津駅(なかしべつ)駅は結構、重要なターミナルの一つではありますが、国鉄時代の赤字はどう

  しようもないもので、赤字路線の廃止が始まると、比較的早い段階で姿を消してしまいました。

 

   資料等を見てみますととっても魅力的な路線だったようですが、拙者、標津線は乗ったことがないで

  す。道内であれば、この当時にあったたくさんの路線にほとんど乗らないまま廃止になった感じです。

 

   ただ、国鉄の色合いが」非常に濃く、最後の長大ローカルに挙げられていた「深名線」だけは最後ま

  で何度となく味わうことが出来ましたので、言うことはありません......。

 

   拙者が22年前の1995年に液晶ビューカム8ミリ「Hi8」(ハイエイト.....懐カシス)で撮影した、深川

  始発の朝いちばんの快速運転する名寄行き直通列車です。キハ53の「カラカラカラ」という乾いた

  DMHのエンジン音がたまりませんなぁ・・・・ ↓↓

 

 

 

  最後にもう一回。

 

  テレビ愛知さん、ほんとうにありがとう!!

 

 

 

 

 

 

 

 

    
ヘ(^o^ヘ)(ノ^o^)ノヘ(^o^ヘ)(ノ^o^)ノ