志村けんの死と、ドリフターズについて | TAKの部屋

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ムラムラくんという、よく分からない人がよく分からないことを書くブログです。

少し前のことになってしまうけれど、ザ・ドリフターズのメンバーでコメディアンの志村けんさんがなくなってしまった。享年70。

新型コロナウイルスにかかって入院中、というニュースは見ていたけれど、こんな結果になるとは思っていなかった。復帰して笑い話にしてくれると、当たり前のように思っていた。その笑いでコロナウイルス自体を吹き飛ばしてくれると、勝手に思っていた。

今も昔もドリフターズが大好きな俺だが、5歳の頃に「全員集合」が終わったから、どちからといえば「ドリフ大爆笑」か、もしくは「カトちゃんケンちゃんごきげんテレビ」の世代なのだろう。

でも、正直なことを言えば、俺はザ・ドリフターズは大好きだけど、志村けん単体、加藤茶単体はそこまで熱を入れていたわけではない。俺はいかりや長介が好きで、そのいかりやをいじめる4人が好きだったのだ。

バカ殿に代表されるような、下ネタ芸、パワハラ芸はあまり好みじゃなかった。志村けんはいかりや長介という絶対的な存在に歯向かうからこそ輝くわけで、志村けんが圧倒的トップのコントは、ドリフほど面白かったとは思えなかった。

それでも、初めていわゆる「お笑い」に興味を持った存在がザ・ドリフターズだったし、その中心の志村けんは本当に大好きだった。俺世代にとっては、ドリフの中心は加藤茶ではなく、志村けんだった。

志村けんはコメディアンであることを誇りに思っていたと思うけれど、俺はむしろ人間味のある志村けんの方が好きだった。たまにゲスト出演するトーク番組での志村けんは、すごく好きだった。今でもLOVE LOVE愛してるで河島英五の「時代おくれ」を歌った姿は、目に焼き付いている。

しかしそんな俺の評価など関係なく、志村けんは大スターでありつづけた。誰がどう見ても、国民的コメディアンでありつづけた。そして、そのまま死んだ。

そんな志村けんですら、訃報の際には「ドリフ」の名前がくっついた。そして追悼番組ではほぼ必ずいかりや長介やドリフ時代の話がメインになっていた。

ドリフとはどれほど偉大なグループだったのだろう。

残念ながら、俺は本当の意味でのドリフ全盛期を知らない。まだ産まれていない。

でも荒井注が死に、いかりや長介が死に、その時必ずドリフという名前が枕詞として使われた。そして、志村けんですら、同じだった。

きっと加藤茶や仲本工事、高木ブーが死んでも変わらないだろう。彼らは皆、ドリフの名前を墓場まで持っていくのだ。

そして思う。

墓場まで持っていける名前があることは、本当に幸せなことだろう、と。

別に世間に知られていなくてもいい。ごく小さい規模の中だけだとしても、自分が死んだ時に持っていける名前はあるだろうか、と考えてみてほしい。ほとんどの人が持っていないのではないだろうか。少なくとも、俺にはない。

今年、俺は40歳になる。いわゆる「不惑」というやつだ。昔はそうだったのだろう。20歳には結婚どころか子供がいてもなんらおかしくない時代の言葉だ。ということは、40という年齢は自分の子供が成人するくらいの年齢なのだ。惑っている余裕などないだろう。

いかりや長介はミュージシャンからコメディアンになり、俳優として死んだ。

志村けんはコメディアンを貫いて死んだ。

どちらもかっこいいと、心から思う。

俺もそろそろ死ぬ時のことを考えながら、将来を考えよう。

今さら考えるということは、もうしばらく惑い続けるのだろうけれど、それは仕方ない。

俺が死ぬ頃には、ドリフがあの世で全員集合していることだろう。ということは、死ねばまたドリフを見られるということだ。

それはそれでいいじゃないか。

志村けんさん、安らかに。