思い出は美しい、そして今もいつか思い出になる | TAKの部屋

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ムラムラくんという、よく分からない人がよく分からないことを書くブログです。

好きになることには大体の場合「きっかけ」というものがある、はずだ。そしてそれは歳をとるごとに、つまり「すでに好きなものが数多くある」ほどにハードルが上がる、はずだ。

俺はそのあたりのキャパシティが比較的狭いようで、あまり数多く好きになることがないのだが、その分しつこく長く好きで居続けている。

そんなものの数々のきっかけを思い出してみようと思った。

まず、チェッカーズから考えてみた。俺は未だに世界一のバンドだと思っているが、世間的には7人組のアイドルバンドだろう。そんな彼らを何のきっかけで好きになったのだろうか。

これは「好き」とは違うが、「知った」のはとんねるずの番組「みなさんのおかげです」だ。俺は仮面ノリダー目当てで見ていたのだが、彼らもそこで学園コントをやっていたのは、うっすらと覚えている。そして、その終わり際に歌を歌っていたのも聞いていた。その中で印象に残っていたのが「Room」と「Friends and Dream」の2曲だった。もっとも、後でCDを買うまで、それがチェッカーズというバンドの曲だとは知らなかったのだが。

好きになるきっかけの一つは、彼らの解散宣言だった。1992年、俺が12歳の頃に彼らは人気絶頂とは言わないまでも安定期というか、きちんと人気を保った状態で解散を宣言した。そしてそれは大ブームを巻き起こしたバンドの解散ということで大きく報じられ、たくさんのテレビに出演した。

俺は子供の頃から人の死に強い興味を持っていたようだ。あまり記憶にないが、本当に子供の頃、テレビでやっていた三国志のアニメを親と見ていた時のことだ。興味なさそうにしていた俺だが、戦いが始まり人が死にそうになると、テレビから目を離さなかったらしい。そういえば、子供の頃に人気だったトランスフォーマーも、唯一記憶しているのは、ウルトラコンボイが最期を迎えるシーンだった。

そんな性格だからか、なんとなく名前を知っているだけのチェッカーズというバンドの解散(≒死)に興味を持ち、発売が発表された三枚組のベストアルバムを親父にねだり、パチンコで大勝した父が景品交換してくれたのを聞きまくっていた。まともに音楽を聞くのが初めてだったからか、最初に好きになったのはギザギザハートの子守唄とか涙のリクエストとかジュリアに傷心と言った、いわゆる売れ線の曲たちだったが、聴き込むにつれ後期の16ビートの楽曲たちの方がより好きになったのを覚えている。そこが始まりとなって、以後25年を越える付き合いになってしまった。

ちなみに、そのベストアルバムに前述の2曲も収録されており、そこで初めて曲とアーティスト名が一致した。なんとなく、運命を感じたものだった。

次はKAN。チェッカーズが俺にとって最高のバンドで藤井フミヤが最高のアイドルなら、KANは最高の音楽家だ。

今40歳以上の人ならほとんどがそうだと思うが、愛は勝つという曲だけは知っていた。サビだけじゃなく、イントロもAメロもBメロも知っていた。歌えた。でも、それ以外は全く知らなかった。

そんな彼の名前を久しぶりに聞いたのは、1996年5月に付き合い始めた、人生の最初の彼女の口からだった。

彼女はKANが大好きで、付き合って初めて行ったカラオケで、彼の「永遠」という歌を歌った。あれから23年経つが、その曲も、そして直前の彼女の言葉も、はっきりと覚えている。

「長い歌だけど、いい?」

そう前置きして歌った曲は、俺が今まで聞いたことのないタイプの音楽だった。と言うと凄い事のように感じるだろうが、簡単に言えばピアノの弾き語り(に近いもの)だ。

チェッカーズの後、奥田民生を好きになったり、カラオケ用にミスチルやB'z、スピッツといったメジャー所は聞いていたが、そのいずれにも属さないタイプの曲だったのをよく覚えている。

そして、彼女から彼のベストアルバム「めずらしい人生」を借りて聞いた。正直、愛は勝つ以外の曲は1回聞いただけではピンと来なかったのだが、彼女のオススメだから何回も聞いた。そして、耳と心に馴染むようになった。

だが、これをきっかけとしてはいけないと思う。好きになるために聞いているのと、自然と好きになるのは大きく違う。

では、何をきっかけに本当に好きになったのか。それは、誕生日プレゼントにもらったアルバム「MAN」。正確にはそのタイトル曲『MAN』だ。初めて聞いた時に、なぜか泣いてしまった。そこから俺は本当の意味でKANを好きになったのだと思う。

願いなら叶えるさ できるだけ君が望むように
例えば新しい美しい世界 君が見つけた時
そのドアを開けてあげるのはぼくの役目だと思う
でもいつか もし君が最後の日 本気の決断で
こんなぼくにさよなら言うことを静かに決める時だって
黙ってドアを開けて見送るのかと言えばそれは違う

この歌詞が素直に俺の心に染み込んで、そして泣いた。こんなことは初めてだったし、それ以降も1曲しかない。

これまた、この後23年を越えて、未だに世界でいちばん大好きな音楽家であり続けている。彼女とは二度と会えないような別れ方をしてしまったが、それでもKANを教えてくれたことは今でも心から彼女に感謝している。

その他にも多くのミュージシャンやバンドを好きになった。先に軽く触れた奥田民生、というかユニコーンは当時よく見ていたCDTVのゲストライブで「すばらしい日々」を聞き、一発で好きになった。ユニコーン自体はこの曲でいったん一区切りとなってしまったが、過去作をレンタルしまくりつつ、奥田民生のソロアルバムを買い続けた。

大事MANブラザーズバンドはKANを教えてくれた彼女が好きだったから聞くようになった。槇原敬之も同じ。

B'zは日本の中学~高校時代にいちばん仲の良かった山崎くんが大好きで、それがきっかけでシングル曲を気にするようになった。そしてアイルランドに渡った後、仲良くなった清水くんがB'zを異常なまでに好きだったために、アルバムにまで手を出すようになった。アルバムで言うと1997年に出た「SURVIVE」、楽曲単位だともう少し後に出たアルバムの中の「Warp」がきっかけと言える気がするし、正確には初めてライブを見た時に本当にどハマりしたような気もする。

もうひとつ、誰も知らないと思うが、俺にとって大きな存在なのがINGRY'Sという2人組だ。元々いんぐりもんぐりという6人組のバンドのボーカル2人が解散後に組んだユニットだったが、俺が知ったのはINGRY'S(正確にはその後THE INGRY'S→Foolyousと二度改名している)終結後、嘉門達夫のバックで演奏しているビデオを見た時に気になったのだ。バックバンド(と言ってもギター2本)のはずなのにやたらとビデオに映るからにはきっと名のある人なんだろうと思っていて、ずっと気になっていたのだ。そこからインターネットで調べたりした結果、2人組で活動していたということが分かり、YouTubeでいくつか動画を見てハマった。俺は歌が下手だが、ハモリはそこそこできる。それは彼らがハモリを武器とする2人組で、それを聞いては練習していたからだった。楽曲としては「抱きしめたい」「NEW SONG」「明日もここにいる」あたりがきっかけとなった。

歌手だけではない。俳優さんでは柴田恭兵がほとんど唯一と言っていいほど憧れた人だったが、彼を知ったのは「あぶない刑事」というテレビドラマを親が見ていたからだった。舘ひろし演じる「タカ」もかっこよかったが、どこか飄々として、それでいて決める時は決める、そのくせいちばん美味しいところはタカに任せる、そんな「ユージ」がとてもかっこよかった。高校時代、俺は演劇部で刑事役をやったことがあるのだが、走り方や拳銃の持ち方がユージのコピーだったことは言うまでもない。

作家では司馬遼太郎をまず挙げるべきだろうと思う。親や叔父、兄貴が歴史好きであったため、ウチには司馬遼太郎の小説が数多く転がっていた。それを暇つぶしの一環として読んでいるうちに、なんとなく好きになってしまった。もっとも好きなものは新選組の副長・土方歳三を主役にした「燃えよ剣」だ。

もう1人、作家の中でもっとも分かりやすく影響を受けた椎名誠は、高校の図書館で何気なく借りた「あやしい探検隊」シリーズのどれかを読んだのがきっかけだった。その後、青春譚と言える「哀愁の町に霧が降るのだ」を読んで完全に虜になった。ユキやカズキ、そしてそれぞれの彼女も合わせて6人で共同生活をしようか、と真剣に考えたくらい、心に刻まれた本だった。

こうして書き連ねてみると、家族、恋人を含む友人、そして「暇」がきっかけとしてとても大きいのだと再確認した。

長年ライフワークとしていたひとつの趣味を自ら手放した今の俺は、言ってみれば暇の多いタイミングでもある。であるならば、何かまた新しいものに出会えるのかもしれない。けっして悲観的になることなく、暇すらも前向きに楽しんでいこうと思う。

同時に、そのためには深く考えずに「やってみる」ということが大切なのだろう。年々鈍重になっていくのは仕方ないことかもしれないが、新しいものに出会いたいのであるならば腰を軽くしなければ、と改めて思った。

以前書いた旅行先についてもあれやこれやと考えるうちに、自然と過去に行ったことのある大好きな街、いわば安牌を選択しそうになるので、そのあたりをもっと軽い気持ちでチャレンジしてみよう、そう思った。

38という年齢が若くないことは確かだが、同時に今後の人生で今日が最も若い日であることも事実なので、いい意味で軽薄に進んでいこう。

それを積み重ねていけば、50歳の俺が10年前を思い出す時に、あの頃も楽しかったと胸を張れるのではないだろうか。