女優 『樹 木 希 林』さん 逝く !! 【物語編】 | “ Ackee ” の ブログ !! (b^-゜)

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今月最後のBlog更新と参ろう。(^-^)/

平成最後の秋であるにも関わらず自然災害にプラスして、

各界著名人の方達の訃報が目立つ年である。(´_`。)

そして今回もまた昭和から平成の時代に掛けて活躍された、

ひとりの女優さんが、静かにこの世を去ってしまった。

テレビドラマや映画、CM等の個性的な演技で、

高い評価を集めた女優の

『樹木希林(きき・きりん)』 さんが、

先般09月15日に亡くなられてしまった。。(´д`lll)


(味のある名演技で、

老若男女を問わず人気のあった、

樹木希林さん。(^-^)/)




(文学座付属演劇研究所時代の樹木希林さん。

当時の芸名は、 『悠木千帆(ゆうき・ちほ)』

この時代当時を知っている直撃世代の方々にとっては、

こちらの芸名に馴染みのある方も多い筈。(^-^)/)


独特のオーラを持ちながら、味のある演技でドラマやCM、

映画で活躍した演技派で、

晩年は全身をガンに侵されながらも、

最後まで仕事に打ち込み、

時には歯に衣(きぬ)着せぬ物言いは、

誰からも愛された女優さんだった。

樹木希林さんは、昭和18(1943)年に、

東京府東京市神田区(現 東京都千代田区)の出身。

父は、薩摩琵琶奏者・錦心流の中谷襄水(辰治)氏。

母は神田神保町で カフェ 『東宝』 を経営していた。

東京・市ヶ谷にある千代田女学園に入学後、

当時演劇部に在籍し、その傍ら薬剤師を目指していたが、

大学受験直前にスキーで足を怪我したため、

大学進学を断念した。 o(_ _*)o


(昭和45<1970>年から始まったTBS系列の

ゴールデンタイム・ホームドラマ 『時間ですよ』 に出演。)

<悠木千帆の芸名で、

銭湯の従業員役として出演(前列左)。>



(悠木千帆の芸名で、 『時間ですよ』 に出演。

この当時は、出演者として浅田美代子<左>、

堺 正章<中>等、蒼々たるメンバーが、

ドラマに出演していた。ヘ(゚∀゚*)ノ)


昭和36(1961)年に文学座付属演劇研究所に入り、

「悠木千帆(ゆうき・ちほ)」 名義で、

女優活動をスタートした。(^-^)/

当時は後年のイメージからは想像し辛い、

若者ファッションで街を闊歩していたと言う。(=◇=;)

昭和39(1964)年に森繁久彌(故人)主演の、

テレビドラマ 『七人の孫』 にレギュラー出演し、

一躍人気を獲得した。

昭和40(1965)年に文学座の正座員となるものの、

翌昭和41(1966)年に文学座を退団。

退団した後も、個性派女優として多くのテレビドラマ、

映画、舞台等に出演し、着々と基盤を作って行った。

20代の頃から老人の役を演じ、

出演するドラマ、映画等では、老け役が当たり役だった。


(昭和49<1974>年から始まった、

寺内貫太郎一家にも出演した。(^-^)/)



(ドラマの中で話題となった、

ジュリー<沢田研二>のポスターを見て、

身悶えするシーン。(/ω\)

当時のお茶の間で何かと話題となった。)


昭和45(1970)年に始まった、

TBS系ホームドラマ 『時間ですよ』 で、

銭湯 『松の湯』 に努める従業員役としても出演。

その後の昭和49(1974)年にTBS系で放送された、

ドラマ 『寺内貫太郎一家』 では、

小林亜星が演じた主役の貫太郎の実母を演じた。


(昭和54(1979)年、当時ドラマに出演していた挿入曲で、

郷 ひろみさんとデュエットで組んだ 「林檎殺人事件」 が、

シングルチャートで大ヒットした。ヘ(゚∀゚*)ノ)


実年齢は小林より10歳以上若く、

頭髪を脱色し 「老けメイク」 を施し、

当時30代前半のまだまだ若い手との不自然さを隠すため、

劇中は指ぬき手袋を外さなかったと言う。

本作品の劇中において、

寺内家の母屋でドタバタ騒ぎが始まると、

自分の住む離れに駆け込み、仏壇の横に貼られた、

沢田研二のポスターを眺めて 「ジュリーィィィ!!」 と、

腰を振りながら悶えるシーンが、

お茶の間の話題となった。(///∇//)

昭和52(1977)年04月01日に当時のNETテレビから、

テレビ朝日へ名称変更を記念して放送された、

特別番組の中でのオークションコーナーで、

「売る物がない」 との理由で、

自身の芸名 『悠木千帆』 を競売にかけた。

名前は2万200円で世田谷の飲食店店主に売却され、

自らは 『樹木希林』 に改名し、売却された旧名(悠木千帆)は、

飲食店店主から無償で平成16(2004)年に、

女優の山田和葉に譲渡された。

昭和52(1977年から昭和54(1979)年まで、放映された

TBS系ドラマ 『ムー』『ムー一族』 で共演した、

郷ひろみとのデュエットで 『お化けのロック』

『林檎殺人事件』 をリリースし、

歌謡番組にも出演する等大ヒットした。ヘ(゚∀゚*)ノ


(CMでも大活躍した。樹木希林さん。

当時、岸本加世子さんと出演した、

富士フィルムのCMで流行った、

「美しいヒトはより美しく、そうでないヒトは、それなりに」

のキャッチフレーズで一躍脚光を浴びた。(*^▽^*))


希林さんは、CM部門でも類稀な才能を発揮。

昭和54(1979)年から昭和59(1984)年に、

ピップエレキバンの広告での、

横矢 勲ピップフジモト会長(当時)との、

掛け合いは人気を集めた。

また、フジカラーのCMに出演では、

昭和55(1980)年頃に放映されたCMでは、

お見合い写真を現像しに来た客役の樹木と、

写真屋の店員役の岸本加世子との、 「美しい人はより美しく、

そうでない方は『そうでない場合は?』

それなりに映ります」 という、やり取りが当時の話題となった。

このCMが当った事で、希林さんは以後、

『綾小路さゆり』 の役名で、25年以上出演し続け、

平成14(2002)年には、消費者の好感度が最も高い、

女性CMタレント部門の第1位に輝いた。


(更に樹木希林さんの名を一段高めたのが、

「ピップエレキバン」 のCM。

当時社長だった、横矢 勲<故人>氏が直接出演し、

掛け合い漫才的なCMで、人気を集めた。)

<撮影地となった、ぴっぷ(比布)駅は、実在の駅で、

現在のJR北海道 宗谷本線にある駅。>


以後、テレビドラマ、映画、CM等に渡って多彩に活躍し、

世代を超えて親しまれてきた。

しかし平成15(2003)年01月に、

網膜剥離で左目を失明した事を、

翌平成16(2004)年01月に発売した長嶋茂雄氏との

対談本 『人生の知恵袋』 で明かした。

平成16(2004)年に乳がんが発覚し、

翌平成17(2005)年には右乳房を全摘出手術したものの、

この時点で既に皮膚などに転移していた状態だった。

平成25(2013)年03月08日の 『第36回日本アカデミー賞』 で、

最優秀主演女優賞を受賞。その一方スピーチに於いて、

既に全身がんである事を公に告白したが、

翌・平成26(2014)年01月16日に、

1年半ぶりのガン治療が終了した事を会見で公表していた。

しかし年齢から来る老いには勝てなかったのか、

今年08月13日、大腿骨を骨折したため、

同月15日に緊急手術。

翌16日に予定していた生放送の出演は見送りとなり、

電話出演にて状況を報告した。

しかし容体が急変、09月15日02時45分、

東京都渋谷区の自宅で家族に看取られ、

帰らぬ人となってしまった。

希林さんが亡くなった後の09月17日。

出棺の際、娘婿である本木雅弘(52)さんは、

集まった報道陣に深々と頭を下げたという。

希林さんが亡くなる直前、イベントに登壇した本木さんは、

希林さんについて 「気管支の弱さやガンの影響から、

一時危篤状態にあった」 と家族を代表して明かしていた。

またある芸能関係者の話によると、

「本木さんと希林さんの信頼関係は揺るぎないもの。

本木さんが内田家内縁の今の奥様と結婚する際に、

希林さんは、 『内田家を絶やさないで欲しい』 と、

本木さんに婿養子をお願いしました。

本木さんのご実家は代々農家でしたが、本木さんは快諾。

以来、希林さんは本木さんに、

絶大なる信頼を置いていました。

希林さんは、 『自宅で最期を迎えたい』 という願いも、

本木さんに託していました。

更に乳がんを宣告された当初から、

“死に支度”を整えていた希林さんは、

遺書や遺影も用意していました。

そんな希林さんの願いを本木さんは、

『出来る事があれば』 と最大限支え続けていたのです。」

と、この様に語っていたと言う。

希林さんの訃報に、ドラマ 「寺内貫太郎一家」 で共演した、

作曲家・小林亜星さんは、

「長い間、体調を悪くされて居られたそうで、

心配して折りましたが、このような結果となり、

大変残念な思いです。 『寺内貫太郎一家』 のメンバーも、

殆ど亡くなられて寂しい限りです。(w_-;

心よりご冥福をお祈り致します。」

 と言葉を詰まらせた。(_ _。)

またテレビCMなどで共演した、

女優の岸本加世子(57)さんは、

所属事務所を通じてコメントを発表し、

「私が15歳の時、デビュー作からご一緒させて頂き、

女中コンビという設定でしたので、

ズブの素人だった私は毎日希林さんにくっついて、

演技を学ばせて頂きました。

その時の希林さんの役名だった 『カネタさん』 と、

いまだに呼ばせて頂いておりました」 と振り返った。

「長年に渡りフジカラーのCMでの溢れる程の思い出も、

ワールドカップの決勝戦を一緒に見に行った事も、

何かあった時にはいつも親代わりの様に心配して下さったり、

時には突然自宅に来られる事もありました。

感謝しかありません」 と共に、

W杯決勝を観戦したエピソードを明かし、

敢えて出会った頃から変わらぬ呼び名で、

「心からご冥福をお祈り致します。

カネタさん、ありがとうございました」 と悼んだ。(ノ_-。)

大学進学を目指して将来薬剤師を志していたものの

進学直前のスキーでのケガと、

高校時代に所属していた演劇部での経験が、

大きな人生の大路を歩む転機となり、

文学座の演劇研究所の研究生を経て、

今日に至るまで、日本を代表するバイプレイヤー女優として、

芸能界に君臨してきた 『樹木希林』 さん。

駆け出し時代の芸名である、

『悠木千帆』 時代を知る、筆者勿論。

テレビドラマ、映画、CMで味のある演技を見せ、

老若男女を問わず幅広い世代に親しまれてきた。

平成最後の年。自然災害と著名人の訃報が相次ぐ最中、

昭和から平成を正に駆け抜けてお茶の間を楽しませ、

芸能史にその名を深く残した、

名女優が静かにこの世を去った。

謹んでご冥福をお祈り申し上げたい…。合掌。(_ _。)


【お知らせ】

次回は樹木希林さんの生前を偲び、

動画及びピクチャー集をお届け致します。

更新は凡そ2週間前後となります。

次回の更新まで、暫くお待ち下さい。


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