金メダリスト『羽 生 結 弦』選手 連覇への苦難の道のり !!【物語編】 | “ Ackee ” の ブログ !! (b^-゜)

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4年に一度と言われる 冬季オリンピック、

ピョンチャン(平昌)大会 も終わった。(^-^)/

注目の日本勢の活躍もあった。

序盤、銀メダル銅メダルの獲得はあったものの、

中々、金メダル獲得の朗報がなかった。

しかし開催から9日目。

待望の金メダル獲得の吉報が届いた。ヾ(@°▽°@)ノ

4年前の 2014年ソチオリンピック に出場し、

フィギュアスケート日本男子で初の金メダルに輝いた、

『羽生結弦』 選手 その人である。ヾ(@^▽^@)ノ

当の 羽生選手は、正に前回ソチオリンピックで日本初の

男子フィギュアスケート界に金字塔を打ち立てた。

しかし今回は、正にディフェンディングチャンピオンとして、

競技開始前から金メダルの期待が大きく掛かる等、

その行方が注目 された。(^-^)/

しかし今回の大会に臨むまでの間、

その道程は決して平坦ではなかった。(゜д゜;)

(オリンピック、フィギュアスケート男子で、

66年ぶりの連覇を果たした、羽生結弦選手。o(^▽^)o)


2014年ソチ五輪で金メダルを得て、

正に日本のスーパースターとなった羽生選手。

しかし ソチ五輪からの4年間を 「怪我ばっかり」 と振り返る。

2014年中国杯で他の選手と激突し、

腹部や頭部、下顎などを負傷。

その後も尿膜管遺残症で手術を受け、

右足首や左足甲も痛めた。(・_・;)

しかも昨年11月のNHK杯の公式練習時に、

右足首靱帯(じんたい)を負傷して以降大会を欠場。

氷上での練習を再開したのは、今年1月に入ってからで、

約3ヶ月間、公の場に出ていなかった。(・・;)

このため一時は五輪出場すら危ぶまれていた。

そもそも 氷上練習を再開して1ヶ月足らずなのに加え、

滑走はほぼ 「ぶっつけ本番」 と言って良い状況で、

さすがに 「今回はメダルは難しいのではないか」

と云うムード さえもあった。(゚ー゚;

(前回のソチ五輪で初の金メダル獲得後に、

様々な試練直面し、ケガとの闘いの連続だった。(゚Ω゚;))


しかし、復帰後初となった02月16日のショートプログラムで、

“完璧な滑走”を見せ、金メダルへの期待が高まっていた。

フリープログラムの演技開始前、

前日のショートプログラムでの首位も差は4点余り。

羽生選手自身、

「この結果はこれからの人生でずっと付き纏う。

とにかく勝たないと意味がない」 と考えフリー演技では、

4回転はループを入れず、2種類に留めた。(`・ω・´)ゞ

序盤にサルコー、トーループを完璧に決めて、

3点満点の加点しこれで流れがきた。(o^-')b
氷上に戻ってまだ1ヶ月足らずで、

演技時間の長いフリーは体力に不安があった。(゚ー゚;

後半、4回転トーループの着氷が乱れて単発になったが、

続くトリプルアクセルを3連続に繋げて取り返した。

最後は3回転とはいえ、負傷を誘発したルッツ。(・・;)

軸が大きく傾いて右の爪先から降りた。

(ピョンチャン五輪、フィギュアスケートフリーで、

負傷を誘発したルッツ。\(゜□゜)/

辛うじて堪えたのが功を奏し、

この後、大きく金メダルへ前進する。(-。-;))


足首に負担が掛かりそうな着氷だったが、

何とか堪えた。(゚ー゚;

感極まったような表情でフィニッシュを迎えると、

決めのポーズから透かさず、

感極まったような表情でフィニッシュを迎え、

右の人差し指を高らかに突き上げた時、

羽生選手自身はもう確信していた。A=´、`=)ゞ

何かを吠えた。 「勝ったと思った」 と言う。(*^-^)b

会場は大歓声に包まれ、

「くまのプーさん」 のぬいぐるみ が大量に投げ込まれた。

(演技が終わった直後、客席からは、

くまのプーさんのぬいぐるみが投げ込まれた。(*゜▽゜ノノ゛☆)


そして耐えてくれた右足首を両手でそっと撫でた。

右足を負傷し、

約4ヶ月のブランクを経て挑戦したオリンピック。

4分半に及ぶフリーを見事に滑り終えた。(-。-;)

実況アナウンサーは 「怪我とも戦った4分半だった」 とし、

「やるべきことをリンクで見せてくれた」 と羽生選手を讃えた。

結果、 羽生選手は ショートプログラムと、

フリーの得点合計317.85点で1位。

同じ日本代表の 宇野昌磨選手は、

同306.90点で銀メダル を獲得し、

金銀のワンツーフィニッシュ と言う、

劇的な快挙 を成し遂げた。ヾ(@^▽^@)ノ

五輪で2連覇したのは、米国代表のディック・バトン氏以来、

66年ぶりの快挙。ヘ(゚∀゚*)ノ

またフィギュアスケート男子で 羽生選手が取った金メダルが、

冬季五輪史上通算1,000個目の金 となった事を、

国際オリンピック委員会(IOC) が公式サイトで発表 した。

因みに 金メダル第1号は、

1924年のシャモニー(フランス)大会 で、

ジュートロー(米国)が、

スピードスケート男子500m で獲得したもので、

94年の歳月の歴史を経て、羽生選手が節目となる、

金字塔 を打ち立てた事になる。

(最後に演技した、宇野昌磨選手が2位に入り、

この時点で羽生選手の、

金メダルが確定した。ヾ(@°▽°@)ノ

前回のソチ五輪の後、ケガやアクシデント続きで、

試練の連続だった。(><;)

2連覇による金メダル獲得は、

66年ぶりの快挙で、金メダルが確定した瞬間、

羽生選手の目からは、

万感極まって思わず涙が…。(ノ_-。))


同サイトでは、羽生が両手を胸に当て、

感極まるシーンの写真と共に報じられた。

またこの日、 日本勢に取っては、

冬季五輪通算11個目の金メダル獲得 と言う華を添えた。

最終滑走の宇野昌磨の得点が表示された瞬間、涙を流した。

流した涙は、止まることがなかった。(ノ_-。)

心の奥底には、不安や緊張がなかった訳ではないだろう。

ただ、それを表出させる事なくコントロール下に置くことで、

ショート、フリーと見事な演技を見せた。

終わった瞬間、そのコントロールをほどいた。

流れ続ける涙は、そう感じさせた。

そしてそれは、自分と戦い、

自分に勝利したことを意味してもいたのだ。

羽生選手自身、インタビューではこんな事を呟いた。

「怪我して良かった、とは絶対に思いません」

4年をかけて目指してきたオリンピックシーズン、

しかも羽生の知性であれば、

明確なビジョンを描いて進んできたはずだ。

なのに、大きなアクシデントによって、

それを崩さざるを得なかった。(´・ω・`)

怪我が無ければ……大抵の人なら、

そういう 「たられば」 に陥っても不思議ではない。

また 「怪我してよかったと思わない」 という言葉にも、

直面した事態の大きさが伺える。(・_・;)

それでもやれることを尽くし、めげる事もなく、

過剰に緊張する事もなく、威風堂々、リンクに立ち続けた。

その芯の強さこそ、

金メダルを手にする事が出来た真の要因だった。

金メダル獲得後の記者会見で、

羽生選手は現役続行の意思を表明した。

(66年ぶりの快挙、二連覇を成し遂げた羽生選手。

ピョンチャン大会での日本選手、

金メダル獲得第1号となった。о(ж>▽<)y ☆)


3連覇へ意気込みを問われ、

「今は特に次の(2022年北京)五輪については考えていない。

そんなに甘くないのは知っている」 とした上で、

「もうちょっと滑ると思う。皆と一緒に滑りながら、

また色々考えていけたら」 と話した。(^_^)v

ソチ五輪の金メダル獲得の後、

様々なアクシデントに見舞われ、

また今回のピョンヤン五輪開催直前の、

右足首靭帯損傷という緊急事態にもめげず、

持ち前の精神力で持って、

冬季五輪・二連覇を果たし、日本中に感動と勇気。

そして被災地東北に大きなチカラを授けた。

『羽生結弦』 選手 。 ヘ(゚∀゚*)ノ

二連覇と言う日本人初めての偉業を果たした今。

この先、どの様にまた変身を遂げて行くのか…。

これからの活躍がまた楽しみな処である。:*:・( ̄∀ ̄)・:*:

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