管理人です。

この10月で、ブログを引き継いでから6年となりました。

今でも紅子さんの過去の記事を読んでくださる方がおられ、ありがたいことです。

 

紅子さんはなんと小学生の頃からブルース好きで

ブルースにどっぷり浸かるために京都の大学に行ったほどの人でした。

日本ブルースの黎明期のことを、

このブログでたびたび紹介しているのはご存知のとおりです。

 

それに関連して(?)このたび管理人宅で

1974年の雑誌「ニューミュージックマガジン」が見つかりました。

だいぶ前に古本屋で買って、よく読まずに忘れていたものです。

そこに、当時の日本のブルースについての記事が載っていました。

 

 

書かれたのは今もブルース評論の第一人者であらせられる、日暮泰文氏です。

当時すでにブルースのメッカであった、京都の拾得などでのライブを

一週間見続けたレポートになっています。

 

10ページにも及ぶたいへん興味深い記事ですが、

文面を転載するのははばかられるので

どんなことが書いてあるか簡単に紹介しますと…。

 

名前が登場するミュージシャンは、

ブルース・ハウス・ブルースバンドの入道さんや服田洋一郎さん、

ファッツ・ボトル・ブルースバンドの田中春之さん、

ウィーピング・ハープ・セノオさん、ストーミー鳥山さん、

そしてもちろんウエスト・ロード・ブルースバンドに

上田正樹とサウス・トゥ・サウス、それに憂歌団と

まさに関西ブルースのオールスターといった感じです。

 

すでに故人になられた方もいますが、

多くが今も第一線で活躍されていて

50年近く続けるとはすごいもんやと思いました。

 

面白いのが、憂歌団がまだ4人でなく

「木村君と内田君の2人だけでやっているバンドだが、

この日はベースとドラムスをつけてやっていた」

と書かれていたこと。

載っていた写真は、島田さんと花岡さんの4人で写っているので

まだ正式メンバーでなかったのでしょう。

この時のレパートリーは、まだオリジナルはなく

エルモアなど英語のブルースのカバーばかりだったようですが、

「黒人特有のブルースに対し、日本人のブルースが育つとすれば、

その最右翼となるのが彼らではないだろうか」

といったことが書かれていて

さすが日暮氏、「嫌んなった」とかを聴く前に

その可能性を見抜いていました。

 

さらに、ほぼ絶賛という感じで紹介されているのが

入道さん、塩次さん達による、アルバート・キングの

「トラヴェリン・トゥ・カリフォルニア」のセッションです。

入道さんのヴォーカルも塩次さんのギターも大変ほめておられて

「京都に来たカイがあった」とか

「帰宅してアルバートのLPを聴き直したけど、原曲を超えていた」

とまで書かれていました。

やはりお2人は当時から抜群に上手かったんでしょうね。

入道さんの写真が載ってたけど、なんと長髪フサフサでびっくりです。

 

管理人はこの当時はリアルタイムでは体験していないのですが、

紅子さんは恐らくこの数年後にはブルースの泥沼にのめりこんでいったはず。

もしこの記事を読んでいたら、たぶんもっと面白く

ブログにまとめてくれただろうなと思うと、残念です。

 

管理人はアホなので久しぶりに長い文章を書いて疲れました。

また忘れた頃にアホな記事をアップします。