話を聞いてもらうということ | しるくらし。

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不登校の親の会を開いています。

対話、安心できる温かい場にしていきたいです。

話を聞きたいと思う。

聞ける人になりたい、とずっと思ってきた。

聞かれることで回復してきたから。


話を聞くというのは、

能動的でありながら受動的だ。


社会学者の岸政彦さんは積極的に受動的なる、と著書の中で表現されていたような。


聞けていいる、と思うのって危険だなぁと思う。

それって誰目線?


聞けてる自分に酔ってるとおもった、自分のこと。

聞ける自分に成なりたすぎて、矢印がいつも自分、みたいな現象が起きてる。


聞いてる最中に頭の中が騒ぎだす。

あぁ、自分とのおしゃべりの開始だ。

もうこうなったら人の話なんて入ってこないし、聞けていない。


自分と会話してるようなものだろう。


まずは聞いてもらうことが大事だと改めて感じている。

自分お話しをしっかりと聞いてもらうのだ。

プロにおかませしてもいい。

みな、きいてもらいたい。


話を聞いてもらうということは、

わたしはここにいるよ、という証明にもなりうると思う。


だって、無視って1番きつい。

ここにいるのにいないように扱われることの苦しさよ。


ここにいるよね、

生きてるよね、

あなたがいてくれる、


それは聞くという受動的行動で伝わることもあるんだ。


わたしはそう感じている。


まだまだ聞き切ってもらってないなぁ、だから最近感じるんだ。

対話会をもう6年くらい続けている。

言いっぱなし、聞きっぱなしのオンラインだ。

オンラインでも意外にできるもんで。

わたしの対話の旅の始まりはそこだった。

原点だ。


もう少しこの、対話の旅を広げてみたい。