こんばんは。

大好きな安城市の在宅医療に貢献したい!

日だまり訪問看護ステーション

看護師 山田万理です。



認知症の妻が気がかりで

透析はしないと決めて退院してきた

腎不全末期の彼が言いました。

余命は3ヵ月と予測されています。

彼は、高カリウム血症で意識消失

心停止して、体外式ペースメーカーと

一時透析をして一命をとりとめました。

 

「いやあ、お恥ずかしい話ですが

どうも自分は短気な性格でして

いろんな人とケンカしてしまうんです。

入院中に透析をしないと決めたんですが

理由はですね、透析をしなければ

妻に早く会えると思ったのと

クソ生意気な医者に

透析をしないなら

ここには来ないでください

と言われて腹が立ったからなんです。

自分の弟が腎不全で透析をしてますが

車を運転してクリニックに通って

元気に過ごしているんです。

欲が出てしまって

妻と1日でも長く一緒にいたいので

透析をしたいのですが

どう思いますか?」

 

彼は奥様しか大切にできない

不器用な人で

警察介入の親子喧嘩を繰り返し

常々医師や病棟とトラブルを起こす

短気な性格です。

透析をしないという重要な決断を

感情的に決めてしまいました。

 

人工透析というのは

呼吸器装着による人工呼吸

胃ろうや中心静脈栄養などによる

人工栄養に並ぶ

三大延命治療の1つです。

一度始めたら簡単に中止できません。




私は10年前に、倫理委員会にかけて

透析中止を決定する事例に

関わりました。

 

その方はかねてより

一時透析さえ拒否していたのに

本人が意識消失して意思決定困難な状況で

妻がパニック状態になり

医師の説明に対して

『できる限りのことをして下さい』

と応えたことがきっかけで

透析が始まりました。

 

妻はもう何十年と本人から

壮絶なモラハラを受けており

パニック状態の中で

『どんな決定が夫を怒らせないか』

を考えてしまい

権力を持つ人に従う性質のある

夫の生き方や価値観を考慮したそうです。

大会議室に多職種が大勢集まり

慎重に決議したのを記憶しています。

 

透析により蘇生された夫は

覚醒するなり

「お前、なんてことしてくれたんだ!!」

妻に怒鳴り罵倒しました。

透析をやめれば

数日から短い週単位の余命になります。

夫は、透析中止と自宅退院

家で死にたいと主張しました。

 

透析の中止は

「治療の差し控え・中止」に該当するので

本人の意思を尊重しつつも

医療者側の倫理的・法的配慮をして

倫理委員会で検討されます。

 

「多面的に検討できる構成」と

「中立性」が重要なので

会議のメンバーは

主治医、第三者的な立場の医師

看護師(病棟、透析室看護師)

関わることになる訪問看護師(私)

退院調整看護師、MSW、ケアマネジャー

倫理委員会委員長や倫理担当医

医療安全管理者やリスクマネージャー

場合により、臨床心理士や精神科医が

参加します。

 

透析中止が決定された翌日

自宅退院しました。

その3日後、奥様に見守られ

静かに旅立たれました。

 

夫の願いを叶えた妻は

緊張感たっぷりの怒涛の毎日に

憔悴していたけども

どこか晴れやかな表情で

「これからは自分の人生を生きます」

と言いました。

 

夫にどう思われるか

何を言われるか気にしながら

自分を抑え付けて生きてきたんです。

奥様の愛車は

ワーゲンの空色ビートル。

愛車で行きたいところ

絵を描いたり陶芸をしたり

やりたいことがたくさんあると

話してくれました。

 

夫が透析を続けていたら

叶わなかった第二の人生です。

「なんてことしてくれたんだ!!」

透析中止を求めるモラハラ夫の罵声は

奥様への最後のギフトでした。

 


さて、

認知症の奥様を溺愛する

腎不全末期の方に話を戻します。

看護師が本人の健康管理、服薬管理をして

主治医の絶妙な処方のおかげで

苦痛症状はなく穏やかに過ごしていました。

 

「妻の料理が美味しくて

ついつい食べ過ぎてしまいます」

「看護師さんが薬を管理しやすいように

セットしてくれるので助かります。

自分の薬のついでに妻に薬を飲ませます」

「妻がガスコンロに火をつけたまま

庭に出かけてしまって

あやうく火事になるところでした」

 

看護師はメッセンジャーの役割もあります。

親子関係がよくないご家族なので

なおさらです。

息子さんに父親の症状やご夫婦の様子を

ノートに書いたり

電話で報告していました。

 

火事は近所を巻き込むので

ガスコンロからIHコンロに変えました。

ところが認知症の奥様は

新しいことを覚えることが苦手です。

 

「男子厨房に入らずを守ってきて

台所は妻の城でしたが

IHコンロの使い方を教えるために

自分も台所に立つようになりました」

 

奥様は

「この人が頼まなくても

食器を洗ってくれるんです。

一緒に料理してます」

ニコニコの笑顔で嬉しそうに言います。

 

天気のいい日は庭仕事で汗を流し

隣に並んで公園を散歩して

夫婦の時間を楽しんでいました。

そうしているうちに

妻と1日でも長く一緒にいたいと

欲が出たと言うんです。

 

透析をしたいと言い出す前日に

息子さんから連絡がありました。

 

「透析をすると本人が言ったら

することになりますか?

家族としては透析して欲しくないです」

と相談されました。

予測される余命が3ヵ月なら

耐えることができるけど

いつまで頑張ればいいのか

分からなくなるのが怖いのです。

 

意思決定はたとえ認知症だとしても

ご本人の価値観に基づいた推定意思で

決定する事であって

家族だからといって代行することはできない

とお応えしました。

そして、ご本人に

透析のメリットとデメリットや

する場合としない場合の

予測される未来を説明して

過不足ない情報から透析導入を

一緒に検討するお手伝いができる

ことを伝えました。

 

透析導入の相談があると予測されたので

透析クリニック勤務歴があるスタッフと

2人で訪問しました。

 

透析すれば腎機能の補助ができて

今よりも体が楽に過ごせるかもしれない。

でも、始めたら簡単にやめれない。

老化や病気が進行して体の動きが悪くなって

介護が必要な状況になっても

どんなに悪天候の日でも

今日お休みします

もう止めますってわけにいかない。

透析は送迎があるけど

送り出し迎え入れや準備は家族がする。

それは認知症の奥様には難しいから

透析対応の施設で過ごすことになりそう。

そうなると

どちらか片割れになるまで

この家で過ごしたいという願いは

叶わなくなる。

そもそも週3回の透析の時間を

妻が1人で過ごせるだろうか。

 

ご本人の質問に丁寧に答えながら

看護師の意見も伝えました。

 

「そうか・・・

よく分かりました。

今だけのことで決めてはいけませんね」

病院で感情的に決めた時と違って

とても冷静に現状を把握して

未来予測から答えを出そうとしていました。

 

それ以降、透析をしたいという

言葉は聞かれませんでした。

 

最後に見る顔は妻がいい

どちらか片割れになるまで

この家で暮らしたい

妻の負担になりたくない

息子の世話になりたくない

彼の想いや価値観が

「透析をしない」と

決断させたのかもしれません。

 

透析をするしないを話し合ったことと

息子さんからの相談対応は

主治医、ケアマネジャー、地域包括と

情報共有しました。

『意思決定に関わるプロセスを

多職種で共有する』ことは

ACP支援において最も重要です。



本人に余命宣告はされていないけど

自分の体のことだから

残された時間が少ないことを

分かっていたと思う。

遺される認知症の奥様が

健やかに穏やかに過ごせるように

整えていました。

1日1日を慈しみながら奥様と

過ごしているように見えました。

 

家から離れた畑に行くと

帰れなくなるかもしれないから

庭に家庭菜園のコーナーを作って

IHコンロの使い方や

お風呂や洗面台の蛇口を閉めること

出かけるときは施錠することを

忘れないようにと

根気よく伝えてました。

 

認知症の人は数分前のことは忘れても

楽しかった記憶や

キラキラしていた時代を覚えている。

今このときを楽しむ天才でもある。

 

二人で日本全国を車で旅行したので

アルバムがたくさんありました。

旅行の話をすると

忘れっぽくて言葉が出にくい奥様が

嬉しそうに饒舌に語ります。

その奥様を眺めるご本人の顔は

とても幸せそうでした。

タイムトラベルのような時間が

訪問看護師の私にとっても

癒しの時間になりました。

 

運転免許を返納してからは

二人で自転車でそこらじゅうに

出かけていたそうです。

隣市の岡崎城まで

桜や藤の花を見に行ったり

「帰る頃には真っ暗でね

主人の自転車の赤いランプだけを見て

ひたすら漕ぐの。

主人に付いていけば

必ず家に着けるからね」

 

体調の変化を自覚した本人は

夫婦で出かけるときは

日だまり訪問看護の

電話番号が登録された携帯電話を持ち

人目がある公園や商業施設に

出かけるようになりました。

万が一倒れてしまったとき

妻に負担をかけないために。

誰かに発見してもらえるように。

 

腎不全末期の状態で

よくそんなことができるなと

おどろくようなことをしていました。

奥様への愛に

突き動かされていたのかもしれない。

 

自転車も禁止されたので

移動手段は徒歩しかありません。

妻の病院まで往復3㎞近くの距離を

歩いて行って来たと言うんです。

亡くなる3週間前のことです。

「さすがにもう無理だと思いました。

家内にも自分のように

家に医者が来てくれるように

手配してもらえませんか?」と

お願いされました。

 

親子関係が悪いので自分からは

息子さんに奥様の病院受診の付き添いを

お願いできないのです。

私から息子さんに

徒歩で病院受診したことと

付き添いができないと自覚されて

これからを案じていることを

報告しました。

 

自分に母親の保険証や診察券を

渡してくれるなら付き添うが

父がそれを渡そうとしないんだと言うので

ご本人に

「長年関わっている医師に

これからも診てもらった方がいいので

私から息子さんに

奥様の病院受診の付き添いを

お願いしました。

保険証と診察券を息子さんに

渡してくれますか?」

と提案しました。

本人が担ってきた役割の世代交代の

タイミングだと伝えたかったから。


奥様は後日息子さんに付き添われ

病院受診していました。

 

腎不全末期に重要な

血圧と体重管理のための

絶妙な処方薬のおかげで

苦痛症状はほとんどなくて

本人が「これはやらなきゃ」と

思っていたことを

全て達成した時から

急激に状態が悪化しました。

 


ある日緊急コールが入りました。

「看護師さん、どうしよう。

薬を2回飲んでしまったかもしれない。

いや、飲み忘れたのかもしれない。

来て欲しい。確認してほしい」

慌てた様子でした。

スタッフが駆けつけ

残薬チェックをして

飲み忘れは1回で

ダブル内服はしていないから

大きな影響はないと伝えました。

 

翌日の定期訪問の時に

「終わりが始まった」と

本人がつぶやきました。

 

見える景色の明るさが明け方なのか

夕方なのか分からない

とにかくだるくて寝ていたい

食欲がなくて妻の手料理も食べれない

食べたい物も思いつかない

 

自分の薬を飲むときに

妻に薬を飲ませていたので

自分が飲み間違えば

妻も誤薬するリスクがある。

妻の体に異変が起きることや

妻の世話ができなくなったことを

恐れていました。

 

「観念して息子に頭を下げて

世話になりますと

お願いするしかないですね」

 

妻を守りたい

息子の世話になりたくないという

頑なだった執着を

手放す覚悟を決めたようです。

 

その夜、息子さんに電話して

病状の進行具合から

看取り期に入っていること

本人が降伏宣言をしたことを伝えて

できることなら

泊まり介護をして欲しいと

お願いしました。

 

それから5日後

愛妻に手を握られて

旅立ちの時を迎えました。

 

次回のブログは

旅立ちまでの5日間

愛妻に看取られるまでのお話です。

 

noteに新しい記事を投稿しました。

よかったら読んで下さい

 下差し


それでは今日はこの辺で。

最後までお読み頂き

ありがとうございました。