こんばんは。

大好きな安城市の在宅医療に貢献したい!

日だまり訪問看護ステーション

看護師 山田万理です。

 

クリスマスから成人の日までの短期間で

4人の方の看取り支援をしました。

出会いから別れまで35時間という方から

4年以上のお付き合いの利用者さんがいて

ともに過ごしてきた時間や

思い出を振り返りながら

自分の悲嘆感情をケアする毎日でした。

 

スケジュールを組む時に

私の心が痛みます。

ガラガラになったスケジュール。

何年も打ち込んだ名前を削除する瞬間。

もうここにいないんだと実感します。

 


1月13日に看取り支援をした方は

アメブロさんにご縁を頂いた方でした。

 

一昨年の5月のこと。

地域包括支援センターから

新規相談を頂きました。

「山田さんのブログを読んで

日だまりさんにお世話になりたいと

相談してきた娘さんがいますが

利用枠の空きがありますか?」

 

訪問看護をたくさんの人に知ってもらって

活用して欲しいと願っていた私は

アメブロやっててよかった~と

すごく嬉しくなりました。

 

娘さんの連絡先を教えてもらい

詳細を伺うと

「山田さんのブログを熟読して

介護の勉強をしています。

私はペーパードライバーで

母のところまで車で1時間ですが

電車で通い介護をしています。

母は家で過ごすのが大好きなので

好きなことをしてのんびり過ごしてもらって

最期は自宅で看取りたいと思っていますが

通い介護でもできますか?」

ということでした。

 

訪問看護の利用方法、訪問看護の役割

介護に必要な物品や看取りのプロセス

介護者の心得etc.

 

ブログのどの記事からどんな学びがあったかを

話して下さって、看護のチカラで

人に貢献できる喜びを感じました。

 

アメリカで会社経営をしながら

時々日本に帰国して

一人暮らしの母親を通い介護して

自宅で看取った方がいました。

詳しくはこちらをどうぞ

下差し

 

「ご本人が家で過ごすことが大好きで

娘さんに暮らし慣れた家で看取りたいと

強い気持ちがあれば実現可能だと思います」

とお答えしました。

 

ご本人にブレない軸があるし

最期までをどのように生きたいか

自分の言葉で表現できます。

娘さんが私のブログと本を熟読していれば

看取りには勇気や覚悟、行動力が必要なことを

ご存知のはずです。


あとは関わる専門職が手を取り合って

それぞれの役割を果たしながら

本人の苦痛を緩和して介護する娘さんを

孤独にさせない努力をすればいい。



ご本人は20代で肺結核を患っているので

片方の肺はほとんど機能していません。

少し動いても苦しくなるから

「呼吸が苦しくて今にも死んでしまいそう」と

昼夜問わず娘さんに電話していました。

 

転んで腰椎圧迫骨折をしてから

体の動きが悪くなって

入浴介助が必要になりました。

でも、娘に負担をかけたくない親心があって

娘さんがいない時に入浴するから

お風呂で溺死したらどうしようという

娘さんの不安が募っていました。

 

訪問看護を利用開始したときは

要支援2でした。

要支援1.2は

地域包括支援センターのプランナーが

要介護1~5は

居宅介護支援事業所のケアマネジャーが

介護サービスの調整をします。

 

地域包括のプランナーさんが

初回訪問看護に同行して下さって

ご本人と娘さんから

病歴やどのような生活をしてきたか

介護サービスに期待することや

ニーズを聞いて、何が問題で

どうやって解決していくかを

一緒に話し合いました。

 

その時にご本人から

娘さんとプランナー同席のもと

ダイヤグリーン心肺蘇生や延命治療は望まない

ダイヤグリーン入院はなるべくしたくない

ダイヤグリーンできれば最期まで家で過ごしたい

ダイヤグリーン亡くなったら献体を希望している

ということを根拠を含めて

確認しました。

 

ご本人が決めたことを共有するだけでなくて

どうしてその決断をしたのかという

根拠を共有することが大事です。

 

娘さんのご主人の職業柄

ご夫婦は長年アメリカで生活していました。

 

なるべく娘夫婦の負担にならないようにと

健康管理に努めていたし

時には夫婦で娘夫婦に会いに

アメリカまで珍道中をしたそうです。

婿さんは日本人だし

英語を覚える必要はないんだけど

ご夫婦で飛行機の中でいくつかの英単語と

言葉を練習していたらしい。

娘夫婦の生活や国の文化

支えてくれる人を理解したいという

気持ちからでしょうか。

 

娘さんが言いました。

「私たち夫婦には子供がいないし

私が一人っ子というのもあるから

献体という選択をしたのかもしれません。

墓を建てても管理する人が

いなくなってしまうし

供養も大変だと思ってのことかも」

 

ご本人は最期までを

どのように生きたいかだけでなく

最期の迎え方、その後のことまで考えて

娘さんが困らないように整えていました。

 

献体というのは、未来の医療を担う

学生を育成するためにできる

最後の社会貢献です。

1~3年ほど教育や研究のために貢献して

その後、団体が火葬して

合同供養祭を開催して

献体に対する感謝の気持ちを込めて

遺族とともに供養します。

 

人の役に立ち、娘に負担をかけない

そのための選択だったのかもしれません。

私も看護学生の時に解剖学の授業で

学ばせて頂きました。

 

不老会のリンクを貼り付けておきます

下差し

 

ご本人は肺結核だけでなく

心不全、高血圧症、卵巣腫瘍、腰椎圧迫骨折と

持病が多かったので

総合病院の呼吸器内科、循環器内科、婦人科

整形外科を1~3ヵ月ごとに

娘さんの介助で受診していました。

 

娘さんはペーパードライバーなので

お婿さんが都合がつかない時は

タクシーを利用します。

ところが利用者が多いのか

運転手が少ないのかタクシーが

なかなかつかまりません。

広い院内を検査や診察であちこちと

移動するのも大変です。

 

ご本人が一番つらくて恐怖を感じる症状が

息苦しさだったので

呼吸器内科の医師に苦痛緩和のために

在宅酸素療法が該当するか相談したら

検査をすることになりました。

 

結果は、二酸化炭素が貯まりやすく

酸素吸入をすればCO2ナルコーシス

起こすリスクが高いため

該当しないということでした。

 

総合病院を受診するメリットは

レントゲンやCT、MRIなどの画像や

医療器具を使って検査をして

確定診断をつけたり

診療方針を立てれることです。

 

CO2ナルコーシスというのは

 体内の二酸化炭素濃度が高まって

 眠気、集中力の低下、頭痛を起こし

 重度になると昏睡や死に至ることも

 ある症状です。

 

循環器内科と婦人科受診の理由は

心臓カテーテル検査後と

卵巣腫瘍摘出後の経過観察のため。

整形外科は痛み止めや湿布処方です。

 

在宅酸素療法が該当しないなら

導入のための入院が不要になります。

レントゲンや心電図、エコーで

経過観察できるなら総合病院でなくても

家から近くて通院しやすい

医療機関の方が負担が少なくていい。

 

幸いなことに

ご本人が風邪をひいた時や

健診、ワクチン接種の時に受診する

医療機関が往診対応可能でした。

各科に診療情報提供書を用意してもらい

かかりつけ医を変更しました。

 

自宅で最期まで過ごしたいのなら

死亡診断ができる医師を

かかりつけ医にしないといけません。

死亡診断してもらえなければ

警察が事件、事故、病死など

あらゆる可能性を疑って調査するし

家族は事情聴取され

遺体は死因を確定するために解剖されます。

家族の心の傷になり

悲しみがさらに深まります。




しばらくは月1回の受診が続きました。

週1回の訪問看護で

症状観察と入浴介助をしていました。

 

血圧高値が続き、浮腫が強くなり

短期間で体重が増えたので

心不全の急性憎悪が疑われました。

事前にFAXで情報提供しておき

娘さん介助で臨時受診をした時に

かかりつけ医から

「通院するのも大変そうなので

訪問診療に切り替えましょうか」と

提案されました。


この提案にご本人と娘さんは

どれほど救われたことか。

 

かかりつけ医は人格的に優れていて

看護師の話に耳を傾けて下さる方です。

自ら訪問診療後に、気がかりな症状や

報告を必要とする状況などを

電話連絡して下さいました。

 

なので異常の早期発見と対処や

経過観察ができて

苦痛緩和され早期に症状が軽快します。

 

定期的な診療を訪問診療

異常時や急変時の診療を往診といいます。

 

12月上旬に突然

痛みで動けなくて

ほぼ寝たきり状態になりました。

往診を依頼しました。

お風呂が大好きなのに

入りたくないと言ったのです。

一大事です。

 

その人が大切にしていることを

手放そうとしたり諦めるときは

人生会議のタイミングです。

 

往診で入院や点滴を本人が希望しないこと

娘さんは母親の意思を尊重することが

確認されました。

痛み止めが処方されて

娘さんは本格的に泊まり込みで

介護を始めました。

 

娘さんは認知症のお姑さんも

介護していたので

ご主人と二人三脚でそれぞれの親を

介護していました。

 

このままじゃ娘さんが潰れてしまうと思ったし

一番つらいはずのご本人が

ダブル介護する娘さんを心配しています。

地域包括のプランナーさんに相談しました。

 

本人の幸せのために訪問入浴

安楽に過ごすために福祉用具を見直して

娘さんの負担を軽減するための

ヘルパー導入を検討しました。

そのためには要支援2だと

限度額内で利用できる介護サービスに

限界があります。

 

介護保険の区分変更を申請するために

地域包括のプランナーが市役所に走り

プランナーと介護度がついたら

担当するというケアマネジャー

ご本人、娘さん

日だまりスタッフで話し合いました。

 

寝たきり状態で

オムツ内排泄になったことで

床ずれ(褥瘡)ができやすくなりました。

ベッドを2モーターから3モーターに

マットを褥瘡予防と体位変換機能付きに

変更しました。

訪問入浴を導入して

ゆっくり湯船に浸かる幸せを

守ることにしました。

 

娘さんが痛み止めの使い方が上手で

娘がそばにいる安心感からか回復して

自宅のお風呂に入れるまでになりました。

年末にはおせち料理をお重につめて

お正月の準備をしました。



年明けて1月4日

娘さんから電話連絡があり

せん妄状態で幻覚に向かって話している

時折興奮状態で大きな声を出すと

相談がありました。

 

終末期に出る症状ですが

脱水状態でも起きる症状です。

水分補給を勧めました。

 

せん妄状態の波は大きいものの

穏やかな時は普通に会話ができて

日だまりのスタッフの区別がついて

「久しぶりですね。元気でしたか?」

と、看護師を気遣ったり

自分の体調を伝えることができました。

 

1月10日

娘さんからせん妄状態に加えて

むせ込みが強く食べることも

飲むことも難しくなったと

報告があって訪問しました。

 

会話はできて

脈や血圧は良好でも

微熱とSpo2が低下していて

息苦しさを訴えています。

口にしたのは好物のカルピスと

あずきバー1本。

 

主治医に報告して

全身の痛みと呼吸困難の苦痛緩和の

相談をしました。

 

飲み込みができないなら

痛み止めを坐薬で入れることもできる。

でも、オムツを開いて体を横にして

座薬を入れる動作は

呼吸困難を増してしまう。

かかりつけ医は

カロナールを砕いて溶かして

ガーゼやスポンジブラシに浸して

少しづつ口に含ませる方法を指示しました。

 

呼吸困難感に対して

在宅酸素療法を導入して

あえてCo2ナルコーシスの状況を作り

意識混濁することで

苦痛を緩和する方法も1つと言いました。

 

日だまりが毎日訪問できるように

翌日に往診して特別訪問看護指示書を

交付して下さることになりました。

 

区分変更の申請をして

調査が終わっていても審査されて

結果が出るまで数週間かかります。

年末年始を挟めばもっと時間がかかります。

 

要支援2で福祉用具を借りていて

支給限度内で訪問看護をするのは

週1回が限度ですが

特別訪問看護指示書があれば最大14日間

医療保険(健康保険証)の区分で

毎日でも1日複数回でも

訪問できるようになります。

 

日だまり訪問看護ステーションは

年中無休24時間体制です。

毎日訪問を開始しました。

 

娘さんは細やかに介護日記をつけています。

1月11日に訪問したとき

ノートを見させて頂いたら

Thank you  so  much

See you againを繰り返していたと

書いてあります。

 

「お母様は英会話ができるんですか?」

と聞いたら

「私も数年ぶりに聞いて驚きました」

と娘さんが言います。

「毎年11月くらいに主人の友人の

メキシコ人が日本に遊びに来るから

どうやらその人と

話していたみたいなんです」

 

私は『ありがとう』と『ごめんね』を

伝えて、生命を全うできたことや

大切な人と過ごした時間への感謝だったり

わだかまりを解消することが

悔いのない最期の迎え方で

幸せな別れ方だと思っています。

 

Thank you  so  much

本当にありがとう

See you again

またね

このワードを繰り返していたのが

向き合う人を大切にする

ご本人の生き方そのものでした。

 

ぜんざいの上澄みにカロナールを溶かして

口を湿らせていたので

痛みはないと言いました。



せん妄状態でも認知症でも

本人の意思決定能力が残っていると信じて

尊重されるべきです。

 



私が

「先生が呼吸困難がつらければ

在宅酸素療法もできると言いました。

ご存知と思いますが

二酸化炭素が貯まるので

意識が遠のいて眠りが深くなります。

してほしいですか?

やめてほしいですか?」と聞くと

 

ご本人が

「私は最期まで機械に頼ることなく

自分の口で酸素を吸って生きたいと

強い願望があります。

自分のことが自分で分からなくなるのは

恐いです。嫌です」

はっきりと意思を伝えました。

 

娘さんも

母が嫌がることはしたくないという

考えをお持ちなので在宅酸素療法は

見送りとなりました。

 

 

1月13日

訪問した時に

明け方から呼吸状態が変化した

と記録があり

血圧が70台で声掛けに何らかの

反応があったりなかったりで

意識レベルが低下していました。

 

夕方17時

呼吸をしていないと報告があり

訪問しました。

 

娘さんが

「父が亡くなった時に

めそめそ泣いていたら母が

こういう時こそしっかり食べなきゃと

言ったんです。

夜10時にブリの照り焼きを食べたのを

覚えていて、山田さんが来る前に

夕食を食べ終えました」と

これからに備えて私を待っていました。

 

「私、山田さんのブログを熟読しているので

せん妄が出た時に

あと2週間くらいだと覚悟ができました。

歩けなくなって

オムツをつけるようになって

食べる量が減って

寝ている時間が長くなって

せん妄が出て

呼吸状態が変化して血圧が下がって

手足が冷たくなってチアノーゼが出て

脈がとれなくなって呼吸がとまりますよね。

私、下顎呼吸というのが分からなかった。

食事してたら、ウっと声が聞こえて

母を見たら呼吸が止まってて

急いで首の脈を触れたら

一瞬息を吹き返したんです。

それから呼吸が止まりました」

 

幸せなことに暮らし慣れた家で

娘さんに看取られました。

 

主治医に死亡診断のための

往診依頼をしました。

1月13日 午後6時37分

旅立ちのときを宣告されました。

 

娘さんとエンゼルケアをしながら

今までを振り返ると

心を温かくするエピソードが

たくさんありました。

 



 

亡くなる2日前に娘さんが

日だまりの看護師に向けた

メッセージを話すお母様の姿を

録画していました。

 

「あなた達のお仕事は本当に大変です。

重たい人をさげたりあげたり

汚いものを処理したり

体をキレイにしたり

大変な仕事をするあなたたちを

家族の人も心配していることでしょう。

痛めた腰に手を当てて

さすってあげたいけど

寝ていることしかできなくて心苦しい。

ささっと何か作って食べさせてあげたいけど

動けなくなっちゃってそれもできなくて。

世話をかけてごめんなさいね」

 

少し動いても会話をしても

息苦しくてツラいはずなのに

カメラを見据えてしっかりとした口調で

日だまり訪問看護のスタッフを労う

温かな言葉に涙が溢れました。

 

娘さんが

「日だまりさんは統一感というか

一貫性がありますよね。

スタッフさんの個性はそれぞれですけど

まずは相手の話をしっかり聴くところとか

優しさとか。

私にとっても母にとっても

本当に日だまりでした。感謝しています」

と言いました。

 

娘さんの言葉は光栄でありがたくて

私の志を理解して同じ方向を目指して

一緒に走ってくれる

スタッフが誇らしくて

胸がいっぱいになりました。

 

看護師冥利に尽きる瞬間が

私の看護師人生を支えています。

心よりお悔やみ申し上げます。

ご冥福をお祈りします。

 

 

アメブロに頂いたご縁に感謝します。

それでは今日はこの辺で。

最後までお読み頂き

ありがとうございました。