こんばんは。
大好きな安城市の在宅医療に貢献したい!
日だまり訪問看護ステーション
看護師 山田万理です。
いのちの授業の手伝いをした日
家族で夜ご飯を食べていて
余命3ヵ月の父親に
大人になった自分が
何をしてあげられるかを話し合ったら
真っ先に安楽死が出てきて
その方法を具体的に話すのが衝撃だったと
私が話したら、娘がこう言った。
親を死なせたいという
怖い事を考えてはいないと思う
苦しいことから逃げる方法が
自死と考える子が多いんだと思う
6年生でスマホを持ってる子は多くて
死ぬ方法を色々調べれちゃうし
苦痛から逃れる最善策が自死だと
未来が広がっている小学生でも
長く生きてきた高齢者でも
思うことなのかもしれない。
実際利用者さんにも
今日も目が覚めてしまった
生きていることがつらい
ここで終わりにしたい
早く逝きたい、お迎えに来て欲しいと
何度も言い続ける人はいる。
先日奥様に看取られた
90代の男性もそうだった。
コロナ禍に体調を崩し入院したら
家族には会えないし
料理上手な奥様の味に慣れている彼は
病院の食事が口に合わなかった。
レントゲンと採血データが改善して
退院を許可されたとき
病院から脱出できたと思ったそうで
2度と入院はしないと決めたんだとか。
幸いだったのは関東在住の長女さんが
看護師で訪問看護の経験があったこと。
2度と入院したくないなら
家に来てくれる医者を探さないといけません。
病院通院と在宅医療を併用する方法を
長女さんが知っていたので
介護度が要支援という比較的早い段階で
訪問診療と訪問看護をそれぞれ
月2回利用することに繋がりました。
在宅医療を利用したいと思ったら
主治医、かかりつけ医
病院の医療福祉相談室や
お住まいの地区の地域包括支援センター
担当のケアマネジャーに
相談するとよいでしょう。
訪問看護を利用していた2年7か月の間
彼は何度となく
生きていることがつらいと言って
死に場所を求めて家を飛び出したり
歩けなくなってからは
死んでやると言って自分に包丁を向けたり
奥様は毎日緊張の連続でした。
何度もACPを繰り返しました。
ACP(人生会議)というのは
将来の意思決定能力の低下に備えて
何を大切にして
どこでどのように生きるか
代理判断(代弁者)をする人
今後の治療・ケア
心肺蘇生、延命治療の希望
どこで過ごして誰のそばで逝きたいか
などをあらかじめ話し合うプロセスのことです。
初回訪問看護の日に
奥様と看護師の長女さんと一緒に
話し合って決めたと言って
侵襲的な検査や治療、
心肺蘇生、延命治療は望まないことと
その理由が記載された文書を
見せてもらいました。
そこには奥様と長女さんも
本人の意思を尊重すると書かれていました。
結論とその根拠
1人で決めたことではないことを
証明する文言が重要なんです。
娘さんが看護師でなければ
話し合うきっかけがつかめなかっただろうし
文書を作ることにはならなかったと思う。
文書の存在を在宅医にも伝えて
共通認識することにしました。
彼の望みは
息子が海外赴任から戻るまでは生きる
心肺蘇生、延命治療は望まない
入院はせずに家で最期まで過ごす
世話になった人にお別れをして
苦しむことなく眠るように逝く
最期の時は妻と二人で過ごしたい
でした。
入院したくないと意思表示していても
在宅医と訪問看護師は
24時間の医療体制下で短期間入院治療すれば
早期回復が期待できると判断したら
病院受診を推奨します。
2週間ぶりに訪問したら
ゼーゼーと苦しそうな呼吸をしていて
全身が浮腫んでいました。
心不全の急性増悪を疑って在宅医に報告して
クリニックでレントゲンを撮ったら
案の定、肺が真っ白。
在宅医が紹介状を作成して
病院受診を推奨しました。
その時に、例の書面を提示して
入院したくないという意思が尊重され
飲み薬を処方されて帰宅しました。
奥様が体重と朝晩の血圧を記録して
体重増加や血圧の数値によって変更する
複雑な指示通りに薬を管理したので
入院することなく回復に向かいました。
奥様の愛のチカラは素晴らしい
自立心が強い彼は
老いによる不可逆的な体の変化を受け止めれず
自分の力で物事をこなせなくなることや
自己管理できなくなることを
異常に恐れていました。
なぜそれほどまでに自立心が強いのか
人生を振り返ったときに
分かりました。
生後3ヵ月で父親が他界し
女手一つで育てることができずに
母親が再婚して
再婚相手の子供と差別されて
継祖母に虐げられて育ったそうです。
父親とはどういう存在か知らないし
愛されることを知らないから
愛し方も分からない
信じられるのは自分だけだったのです。
だから自立心が傷つくと
自分が信じられなくなって
死にたいと口にして
奥様に八つ当たりしたり
悲観的なことを何時間も話していました。
それでも奥様は気持ちに寄り添って
献身的に介護されていました。
病院を退院したときは車椅子生活でしたが
公園で歩行訓練して
喫茶店でモーニングをして帰るという
ルーティンを繰り返し生活リズムを作って
杖がなくても歩けるまでになりました。
ACPのタイミングは
身体状況が変化したとき
積極的な治療を中止して
対症療法や緩和ケアに切り替えるとき
終末期に入り看取りを考えるとき
といった本人の背景もだけど
身体状況が住宅環境とそぐわない
介護者の体調悪化で介護ができない
というように療養環境が変化した時です。
治療には病巣を叩く攻撃的な意味合いと
進行や悪化を遅延させる防御的な意味合いの
2つの側面があります。
治療のやめ時はメリットよりも
デメリットが上回った時だと
個人的に思うけど
それを素人が判断するのは難しいはず。
だからこそ専門職をACPの
メンバーに入れた方が
最善の選択ができると思います。
穏やかな日々が続いた彼の生活に
変化が訪れたのは
交通事故がきっかけです。
日々機能訓練していた甲斐あって
奇跡的に骨折や入院を必要とするケガはなく
在宅療養の継続ができて奥様の処置のおかげで
傷の完治も早かった。
でも、痛みをこらえて
なるべく安静にしていたら
筋力低下から歩行が不安定になって
転倒を繰り返すようになりました。
いよいよ奥様と二人で外出するのは
難しくなりました。
毎週息子さんが喫茶店や行きつけのお店に
連れて行ってくれたので
気分転換ができていました。
自立心が強い彼は
できなくなったことや
できなくなりそうなことに意識が集中していて
出来ていることには気づかずにいました。
九死に一生を得る経験をしたり
戦争を知る彼は
身体的な痛みには強くても
心の拠り所を失うような痛みには脆く
その痛みを持て余しているように見えた。
胸痛発作を起こすたびに
不整脈発作で早死にした兄を思い浮かべ
ようやく逝けると思ったそうだ。
ニトロールスプレーを使わずに
苦痛に耐えて発作が治まると
また生かされてしまったと落ち込んでいた。
夫婦そろってコロナに感染した時も
肺と心臓に持病があるから
今度こそは逝けると思っても
薬が効いて回復してしまった。
早く逝きたい
今日を生きることがつらい
認知症になって自分のことや
何が痛いのかも全部分からなくなりたい
眠って過ごしたい etc
1日に何度となく言うから
奥様も参ってしまって
眩暈発作で寝込んでしまいました。
奥様が
「どこでもいいから短時間でもいいから
預かってくれるところを探して欲しい」
心の叫びをあげました。
自分のことを自分でやりたい彼は
奥様の助けを借りずに行動して
手伝おうとする奥様に罵声を浴びせていました。
「山田さん、私もう無理。
疲れちゃった
最近眠れないんです」
奥様が涙を浮かべながら言いました。
「若輩者の言う生意気をどうか許して下さい
奥様の健康ありきで家で過ごせます。
奥様も私たち訪問看護師も
伴走者になりたいんです。
人に甘えることや
差し出された手を掴む勇気を出してください。
それは自分に負けたことではありません」
と言うと
「自分は悪い人間だったんだ。
だから今罰を受けている。
人生最後にどうしてこんな罰を受けるのか
部下を叱りつけてきたからでしょうか
妻に八つ当たりしたからでしょうか
父親として何もできなかったからでしょうか
ただ精一杯に頑張って生きてきたんです」
男泣きしながら大きな声を出して
自分を責め立てていました。
「私も看護師になりたての頃は
理不尽なことをされたり
厳しいことをたくさん言われてきました。
でも私はそうやって教育されたことに
むしろ感謝しています。
自分だったらこうしようという
反面教師になるというか学びがありました。
その時代の教育方法だったのだろうし
部下が育って後継者になっているのだから
罰を受けるようなことではないと思います。
人に施した分が還元されるから遠慮なく
受け取ればいいんじゃないでしょうか。
神様からのギフトです」
「ありがとう、ほんとにありがとう。
自分はこんなに温かい
言葉をかけてもらえるような
いい人間ではないんです。
それでも見放さないでくれますか。
最期までどうかよろしく頼みます」
私の手を両手で握った
彼の手の温度と
差し出された手を掴んだ勇気を忘れない。
いつ頃からだろうか。
奥様にして欲しいことを口にして
できない自分を受け止めて
手伝ってくれてありがとうと言って
穏やかになりました。
執着していた自立心を
ようやく解放できたのでしょう。
生きることが辛くなった彼と
達成できそうな小さな目標を
いつも立てていました。
誕生日に子供夫婦と孫とケーキを食べる
正月に奥様が作った雑煮を食べる
孫の大学合格祝いをする
今年の桜を見る
巨人優勝を願って野球観戦する
お盆に家族で集まる
マンションの外壁工事が終わって
足場が外れたら青空を眺める
1つ1つクリアしました。
難聴がひどくなり筆談で会話していたので
ホワイトボードに
「今日の心の天気は
晴れ、曇り、雨どれですか?」と書いたら
晴れを指さして言いました。
「いつ逝っても悔いがないのは
いつも言ってたけど
今とても心が穏やかで幸せです」
シャンプーをしたり体拭きをして
気分上々の時はにっこり笑顔で
Vサインをしてくれました。
亡くなる1週間前から
ほぼ終日寝ているようになり
奥様がぎっくり腰で介護が困難になって
関東在住の看護師の娘さんが
介護休暇を取って帰省しました。
照れなのか威厳を保ちたかったのか
娘さんに体を触らせなかった彼が
オムツ交換をしてくれる娘さんを見て
「ありがとう」と言いました。
家と仕事のキリをつけるために
娘さんが帰宅した数時間後
「主人が息を引き取りました」と
奥様から連絡が入りました。
「2時頃ずっと寝ていた主人が目を開けて
私をじーっと見たんです。
お母さんだよ、見える?
見えたらVサインだよって言ったら
手を動かしてVサインをしてくれたの。
子供が買ってくれたケーキで
お茶するねって言って
片づけて主人を見たら息してなかった。
最期、ひとりで逝かせてしまいました」
献身的に介護をしてきた奥様に
後悔して欲しくなかった。
「私は看取り支援を100人以上しているけど
最期の息を引き取る瞬間に
立ち会えた家族は少ないです。
奥様がそばにいてくれたから
穏やかに安らかに旅立たれました。
最期は奥様がいればいい。
奥様と二人きりがいいって言ってましたよね。
有言実行のかっこいい人ですね」
「そうそう、
通夜も葬式も私だけでいいってね
さすがにそれは
子どもたちが可哀そうだよね」
泣き笑いの奥様。
最後に着るために彼が選んだスーツは
奥様とイタリア旅行した時に着ていたもの。
ネクタイは奥様に選んでもらいました。
アルバムをめくりながら思い出話をして
ご夫婦の物語を聴かせてもらいました。
私は本業は訪問看護師だけど
副業は韓ドラマニアと言っていいくらい
毎月10本近いドラマや映画を
観ています。
最近観たのはウ・ドファン主演の
Mr.プランクトンでNetflixで見れます。
実子ではないことが判明して
親に見捨てられ根無し草のように
生きてきた男が
結婚目前に子供を産めない体と知った
元カノに再会して
一緒に旅することになる物語。
男は脳腫瘍で余命3ヵ月
命の時間が限られているなか
実父を探す旅に出る。
元カノは母親になるという夢を
叶えることは絶望的で
未来を繋いでいくことができない。
図らずも一緒に旅することになった
その二人が出会う人と紡ぐ物語は
最期までをどのように生きるか
ありのままの自分を受け止めることや
絶望から光を見つけて
未来を生きていくこととか
たくさん考えさせられました。
二人が同棲している時に
映画を観ながら理想の最期を話す
場面がありました。
俺の理想とする
人生最後のシーンを覚えているか?
大の字で道に寝転んで
まばゆいばかりの青い空を
見ながら死ぬ
俺の最後のロマンだ
意識不明の重体で
集中治療を受けている彼を見つめて
彼の理想の最期を思い出した彼女は
彼を病院の外に連れ出します。
青空の下で泣き笑いする彼女に
愛を告げて
永遠の眠りにつくエンディングは
まさに彼が望んだ最期の迎え方でした。
誰かに願いを伝えたら
誰かが願いを叶えてくれるかもしれない
そして
大切な人の切実な願いを
叶えることができたなら
大切な人を喪った後
それが心にぽっかりと開いた穴を
照らす灯になって
心を温めるかもしれない。
先日、社会福祉に関わる専門職対象の
勉強会を行って講師を務めさせて頂きました。
48名の参加して下さったすべての方に
感謝します。
安城市は看取り体制のめざす姿として
本人が望む場所で
自分らしく最期まで今を生きる
という理念を掲げています。
それを実現するために
『わたしノート』と
『専門職のためのACPマニュアル』を
足掛け2年がかりで作成しました。
私はこの2点を作成した
ACP作業部会に属しています。
会議には資料が必須で
司会進行のスキル次第で
会議の充実度が変わります。
『わたしノート』は資料に
『専門職のためのACPマニュアル』は
司会進行役の育成に役立ちます。
わたしノートはこちらから
ダウンロードできます
https://www.city.anjo.aichi.jp/kurasu/fukushikaigo/koureisya/documents/p1-4.pdf
https://www.city.anjo.aichi.jp/kurasu/fukushikaigo/koureisya/documents/p5-14.pdf
専門職のためのACPマニュアルは
こちらから
https://ptl.iij-renrakucho.jp/anjo/assets/files/58944ed74af3dfa0d2319395a4c379e10dd587c0.pdf
私はACPよりも政府が名付けた
『人生会議』の方がしっくりきます。
人生会議は平たく言えば生き方会議です。
今ここからをどのように
生きていきたいか願いや理想を語り
健康上のトラブルが起きた時や
生命の危機的状況で
どんな医療を望み拒否するかを
自分を大切にしてくれる人と
医療福祉介護に関わる専門家と一緒に
話し合って決めておくことで
最期まで尊厳が守られて
生きていくことができると思います。
今は過去の、未来は今の積み重ねで
経験が価値観を作り出す。
今までに
どんな困難を乗り越えてきて
どんなことが自分を幸せにするのかなど
人生を振り返って自分を見つめると
強みに気づいたり、心を満たす方法を
見つけることができる。
自分が好きなこと、人、もの、言葉を
記しておくことで
自分の信念や何を大切にしているかとか
価値観や人となりを伝えることができる。
理想の未来と避けたい状況を考えて
そのためにどのように行動するか
誰に何を伝えておくかが
自分の人生を主役で生きるためには
重要なポイントになります。
訪問看護師にあなたが自分の人生を
主役で生きるお手伝いをさせてください。
健康管理、脚本作りから演出、照明係
時には舞台の掃除まで
できることがあれば喜んで致します。
それでは今日はこの辺で。
最後までお読み頂き
ありがとうございました。