何度も書いていますが、自分史、このブログの中だけは決して偽らないと決めてこれを書いています。自分の事を書き残していますが、今の所、鬱、パニック障害、脳梗塞3年目、多分発達障害、時には家事をする事を全て嫌になる、たまーに心がしんどい等以外は癌や余命等を告げられている訳では全くありません。ただ、心がしんどい原因は今までの自分に何かヒントがあるのか。と勝手に思ってます。そして、偽りや嘘というのは偽り続け、嘘を付き続けなければならない事が怖いのです。だから、幸せな嘘以外は決してついてはいけない!そう教育を受けたはず。でもそれを守る事が出来なかった。八方美人でカッコつけ、真面目そうに見えるからこそ、自分を良く見せる。
素のままの自分が良かった。ありのままを受け入れるくれた友達も出来たはず。自分にもっと自信が欲しかった。偽りの人間像を作り続け、演じ続けている何て、今、誰か気づいているだろうか。
だから、ここのブログだけは素でいたい。

自分史8に書いた様に多分発達障害児であったであろう私が、家族を憎んだ事はない。それこそが偽り続けている最大の事なのかも知れない。私には頭脳的にも、人間的にも良く出来る兄がいる。(本人は否定している)今はそう本心から思えるが、兄も又私と同じ様に、従姉妹の存在は扱いに悩んだと思う。がしかし、その兄にも小学生時代、嫌な思い出が何度となく夢に出てくる。いつも泣き叫んで、記憶を深く刻む。決してその受けた屈辱的な出来事は話さないで、違う記憶を兄に言った事があるが、兄は記憶のすり替わりだ!と言った事がある。だが、私は何度も思い出は思い出し、もっとも深く脳に刻みこまれると思っている。

従兄弟(従姉妹)は全員で7人。私が小学生の頃は5人だった。夏休みや冬休み等は年齢も近いし、我が家は本家になるので皆んなが良く家に集まった。本家と言っても、何の歴史に関係ある家とかでは無く、ただ叔母達にとっては、我が家が実家となるだけだ。私以外は皆んな頭が良かった。となると遊ぶとなると、皆んなが本を読んでいたり、時には百人一首など、カルタ系の遊びをする事があった。自分史で書いている様に私は短い文であろうが、ひらがな、漢字に読み仮名が付いていようが、スラスラ読む事は小、中、高、共に弱かった。何度と無く覚えてしまえば読めるというか、口から出るのだが、眼で文書は追えない。
自分史をみてもらえると、原因は色々書いています。
その百人一首だが覚えていなくても、下の句を読んでもらえれば、カルタとして成立する。3歳年上のしっかりした従姉妹と、とっても面倒な2歳下の従姉妹と3人で遊んでいた時だ。最初は3歳年上の従姉妹が上の句を読み、後の2人が知らない下の句を読んでもらってから探す。私は、ちょっとはやった事があったかも知れないが、百人一首を覚えた記憶は中学生以降だ。
その後となると、恐怖にも交代がやってくる。そう、私が上の句を言い下の句を読み後の二人が取り合うのだ。当然たどたどしく読み、何度と無く中断したり、聞き取り難くなったりと、カルタとしての遊びはほとんど成立する事無く終了する。そこで終われば、私は、いつもの事だと、百人一首やカルタが嫌いになるだけだ。それなのに遊び足りない従姉妹は、小学校低学年にして、自分が読み手になると言い出す。嫌な予感は的中するのだ。多分ワザとだと感じた。だが、やらない選択肢は無く始まる。頭が良かった従姉妹は、スラスラと読み始めた。私の5分の1位の速度で読み進め、上の句、下の句ともにしっかりと読み進んだ。そこで、近くで聞いていた兄の一言が飛び込んできた。何気ない一言だったのだろう。しかも兄にとっては悪気があったのか、聞こえる様に言った事すら覚えてないだろう。だが、私の耳は全ての音を拾う。

お前よりスラスラ読まれてるよ!ひらがなや、仮名が付いているからそれぐらい読めないと!

でしょうね。まあ、兄が言わなくても分かっているし、兄が言わなくても誰か違う人が言ったかもしれない。その一言は頭をぐるぐるまわる。あれから35年位たったが、一言一句、状況。母の添えた言葉もはっきり。

そうやねー。恥ずかしいよー。

私は一生忘れられない。ただ、忘れた訳ではないが、現在まで、ずっと気持ちを封印しているので、兄を憎いや、嫌だと今は全く思っていない。小学生時代は本気で喧嘩をしたり、かなり生意気な私を嫌がっていた事は、良くある兄弟だと思うし、ずっと自慢の兄だった。今も、子供の頃以上に尊敬している事に偽りはない。ただ、この幼少期の出来事は、周りからの自分への見え方が悪く見えない様に自分を偽り、賢そうに見えるよう振る舞い続ける事になる。そうじゃないと、バカ扱いを受けるだけで無く、友達も離れていくのではないかと思い込んだのだ。ずっと偽りの人間像を作り、生きていかなければならない。と。