SUN and FUN blog -226ページ目

ジャーナリズムの考察と展望

ジャーナリズム 〖journalism〗
新聞・雑誌・テレビ・ラジオなど時事的な問題の報道・解説を行う組織や人の総体。また,それを通じて行われる活動。

大辞林 第三版より


報道・解説という行為自体においては、肯えんずるものだ。
報道というものは真実や事実を伝えればいいと思う。主観はいらない。つまり単なる情報だ。
解説というものは、その真実を元に主観や見解を伝達する。

但し、人それぞれ信じるものがあり、人それぞれの真実がある。
と、いうことを我々は忘れてはいけない。

また、我々側にもそれぞれの感じ方があるということを忘れてはいけない。

この「解説」のあり方が、今日の日本のジャーナリズムを腐敗させている根源ではないか。

それをお金や権力のもとで行うということが、あまりにも危険なのである。

しかしながら、毎日流れる情報のその殆どがお金や権力の下で行われているという、非常に劣悪な社会構造が出来上がっているのである。
あまりにも劣悪な。

報道に携わる大きな宣伝力を持つ新聞社や、TVやインターネットのメディア。
これらはその経営の規模に比例して、多分に株主や世界中のビッグカンパニーに影響される。
これらバックアッパーに都合の良い報道を行う。
そして我々の住む世界に、歪んだ情報をおぞましい量でもって流す。

当然、その莫大な報道・広告における資金は株主からのもの。
大きな力の、大きな過ち。

特に日本人は、「巨大な数字」や、「反芻するメッセージ」に傾倒しがちではないだろうか。

この風潮は高度経済成長を支えた団塊の世代に起因するのではないか。

小説すばるの編集長 山田裕樹氏は団塊の世代に対してこう語る。

「団塊の世代。きゃつらが近未来に日本の社会にまたまた悪影響を与える。彼等の特徴は、欺瞞に満ちた戦後民主主義の洗礼を受け、民主主義とは多数決、多数決とは正しい、僕らは絶対多数、するてえと、ぼくらのやることなすこと考えることは全て正しい。こういう不動の確信を持っている。
(中略)
戦後焼け跡と闇市の血笑に始まり、粗食と不便に耐えて生き残り、人工甘味料とかアスベストという劇薬に体を慣らし、校内暴力などという言葉のない時代に番をはり、多人数の受験地獄を勝ち抜いてきた。体力気力精力を今も持ち合わせている。
(中略)
国難を解決すべき政治家達も団塊の世代であり、政治家には年金と献金はあるけれど定年はないから、きゃつらと裏でつるんでいるのであり、対応の秘策はないのである。
(中略)
団塊の世代が引退しはびこる日本がおそろしいので、わたしは定年後、国外逃亡をする。真っ赤な太陽燃えていて、はてない南のカジノがある某国の不動産を物色しているところなのだ」

このおっちゃん、編集長でありながらイカチ過ぎる!!
ファンキーさが、言葉の端々から感じられる。

私は団塊の世代の人格は否定しない。
団塊の世代の方々の影響、ひいては戦後日本を洗脳したアメリカに都合の良い教育が、今もこうして日本の国民性に付帯し過ぎていることに嘆いている。

団塊の世代は、今国債を背負い過ぎてる日本にとってはもはや幻である高度経済成長期を支えた。この時期の自信が、かつて大家族・近所付き合いの濃密だった生活を、「おれたちはおれたちだけでやれる」という核家族化を進めていった。そして今日では地域の連帯感を喪失し、たくさんの凶悪事件まで多発している。


とにかくここで私が言いたいのは、大多数の大きな力が正しいとは限らない。
そして、それらが世の法律や共通理解となりうる危険を孕んでいる。
というよりも なりがち、なってしまっているのは、何と悪たる慣習なのかということである。

数字は幾らでも誤魔化せるし、同じメッセージの執拗な反芻は洗脳の要素を孕んでいる。

まるで、絶対に正しいもの であるように、我々に送ってくる。
全ての人に対し、「絶対に正しいもの」なんてない。
人の数の分だけ、感じ方がある。



今日では道徳すらも歪められている。

共通理解はいつも、「最も人らしい、慈愛から発生する想い」だと私は思う。

何も難しいことではなく、戦争でなら人を殺すことが肯定されていることを考えれば誰にだって気付くはずだ。
人を殺す ことが正しいことの筈がない。
自分の大切な人が個人の動機とはあまりにも無関係な理由で殺されたり、会ったこともない国を動かす者の理想や極めて不条理な理由(ここでは命令となるが)で人を殺すことが、
たった1人の自分になって、ひとのあるべき姿を想い、考えてみば、正しいことである筈がない。

このようにシンプルに自分の感情に問いかけてみると、見えない、または見えてなかったものが見えてきたりもする。

それはまた、新たな知識への欲求となり、自分の中に新しい観念を芽生えさせることも出来る。


他者や新しい情報を受け取り、感じたものを大切に育てる。

例えば「愛 」は非常に広義であり、私のような若輩者でも、
触れるびに、知るたびに、聞くたびに、
受け止め、考え、感じ、
またひとつ、またひとつと、新たな顔を見せたり、新たな感じ方をするようになる。

沢山の歪曲した情報が多すぎる昨今、全てを鵜呑みすることなく、自分が感じたことと、その論旨に対して、時間の許す限りに搾取した情報を自ら勉強することが大切となる。


全てのニュースが正しいわけではない。

大きく流れる情報こそ、その大きさ故に、真実を隠蔽し歪んでしまっていることが多い。
沢山の権力の圧力や、すでに制限されたその下で、沢山の人の価値が猥雑に絡まった結果であろう。

騙されるな!!


勿論、権力に屈さず、自らの調査を基盤に、人間らしい見解を伝える素晴らしい情報もある。

しかし、それが正しいとか正しくないとかは、結局自ら情報を収集し、勉強をしていく他ない。