ジャーナリズムの考察と展望3
歪んだジャーナリズムに対して。
マイケル・ジャクソンを陥れた悪辣なジャーナリスト・マーティンバシール。
私の、彼に対する憎悪は燃え尽きる事はない。
感情が先行して、ジャーナリズムに対するべきではない。
しかし、彼ほどの悪魔に対しては感情を抑えて、今ここで書き綴ることが困難であるが、出来る限り冷静にもの申したい。
マーティンバシールはマイケルへのドキュメンタリー番組の制作交渉中には、マイケルが納得出来る演出をすると約束したはずだった。
しかし実際の放送ではマイケルが到底納得出来ないような、中傷ともとれる内容となっていた。
言葉というものは、人によってたくさんの意味を含有する。
人によって だけではなく、人ひとりの気分や精神状態にとっても意味合いの違うものとなる。
実はとても曖昧な伝達手段なのであろう。
家族や友人等、近しい存在であれば、その人のそのひとつの言葉を、その人の意思や意味合いをより近く組めるであろう。
しかし、世に出るジャーナリズムはそうではない。
言葉の使い方、表現の仕方というものは、慎重にならずとも、その発信する者が信念と責任感を持って表現していくべきだと私は思う。
マイケルのドキュメンタリーでいえば、裁判でのVTRでも引用された子供に対しての想いである。
「子供といっしょに寝る」ことに対して、「悪い事ではない」と言い切る。
マイケルは本当に純真な気持ちで、子供を大切な友人として想っている。
大切な人と寝たい。この子供らしい感情を、歪んだ常識を利用し猥褻な思想の持ち主に貶めた。
またその対象が「子供」という抵抗力の少ない存在であることを誇張・逆利用し、さらにマイケルを悪しき偶像とさせた。
問題は、色んな人間がいて、それぞれの考え方や想いを尊重する気持ちなのである。
マイケルのピュアな感性を汚した罪は重い。
マイケルを汚す悪人は世界中にどれだけいたことだろうか。
2度の裁判で疲弊しきったマイケルが、安定剤を打ち続け、死を招いたということは否定しきれない。
マイケルの歌やダンスを見ればわかるだろう、マイケルがとてつもなく純真なことが。
言葉以上に、「感じる」という人間らしい感覚の鈍化を防ぎ、もっと研磨していく必要性も確認された事件だとも思うのである。
我々はそのような、
伝わった時は強く、また非常にあやふやで危険な「言葉」を使って生活している。
「口は災いの元」とはよく言ったものだ。
しかし、間違いを恐れず、自分の意志を発信していかなければならない。伝わるまでとことん言い争えばいい。
我々は、人間なのだ。
ジャーナリストに告ぐ、
あなた方のピュアでシンプルな感覚が表現の発生源となり、発信しようという意思を尊重します。
そこに付随して、「人の尊厳を心から想う」ことを忘れないでほしいと願います。
あなたの価値とは異なる価値で、悪辣に非人道的な表現方法でもって、あなたのことを世界中に発表されることを考えてほしい。
私は利用し、利用されるメディアなどとは縁のない者であるが、沖縄基地問題や原発、機密費等の我々に国民に大きく関係する情報を発信するジャーナリスト達にはよく心得ていて欲しいのである。
マイケル・ジャクソンを陥れた悪辣なジャーナリスト・マーティンバシール。
私の、彼に対する憎悪は燃え尽きる事はない。
感情が先行して、ジャーナリズムに対するべきではない。
しかし、彼ほどの悪魔に対しては感情を抑えて、今ここで書き綴ることが困難であるが、出来る限り冷静にもの申したい。
マーティンバシールはマイケルへのドキュメンタリー番組の制作交渉中には、マイケルが納得出来る演出をすると約束したはずだった。
しかし実際の放送ではマイケルが到底納得出来ないような、中傷ともとれる内容となっていた。
言葉というものは、人によってたくさんの意味を含有する。
人によって だけではなく、人ひとりの気分や精神状態にとっても意味合いの違うものとなる。
実はとても曖昧な伝達手段なのであろう。
家族や友人等、近しい存在であれば、その人のそのひとつの言葉を、その人の意思や意味合いをより近く組めるであろう。
しかし、世に出るジャーナリズムはそうではない。
言葉の使い方、表現の仕方というものは、慎重にならずとも、その発信する者が信念と責任感を持って表現していくべきだと私は思う。
マイケルのドキュメンタリーでいえば、裁判でのVTRでも引用された子供に対しての想いである。
「子供といっしょに寝る」ことに対して、「悪い事ではない」と言い切る。
マイケルは本当に純真な気持ちで、子供を大切な友人として想っている。
大切な人と寝たい。この子供らしい感情を、歪んだ常識を利用し猥褻な思想の持ち主に貶めた。
またその対象が「子供」という抵抗力の少ない存在であることを誇張・逆利用し、さらにマイケルを悪しき偶像とさせた。
問題は、色んな人間がいて、それぞれの考え方や想いを尊重する気持ちなのである。
マイケルのピュアな感性を汚した罪は重い。
マイケルを汚す悪人は世界中にどれだけいたことだろうか。
2度の裁判で疲弊しきったマイケルが、安定剤を打ち続け、死を招いたということは否定しきれない。
マイケルの歌やダンスを見ればわかるだろう、マイケルがとてつもなく純真なことが。
言葉以上に、「感じる」という人間らしい感覚の鈍化を防ぎ、もっと研磨していく必要性も確認された事件だとも思うのである。
我々はそのような、
伝わった時は強く、また非常にあやふやで危険な「言葉」を使って生活している。
「口は災いの元」とはよく言ったものだ。
しかし、間違いを恐れず、自分の意志を発信していかなければならない。伝わるまでとことん言い争えばいい。
我々は、人間なのだ。
ジャーナリストに告ぐ、
あなた方のピュアでシンプルな感覚が表現の発生源となり、発信しようという意思を尊重します。
そこに付随して、「人の尊厳を心から想う」ことを忘れないでほしいと願います。
あなたの価値とは異なる価値で、悪辣に非人道的な表現方法でもって、あなたのことを世界中に発表されることを考えてほしい。
私は利用し、利用されるメディアなどとは縁のない者であるが、沖縄基地問題や原発、機密費等の我々に国民に大きく関係する情報を発信するジャーナリスト達にはよく心得ていて欲しいのである。