お世話
3.11 地震の後、香苗っちょすの仙台の友達が、東京駅で足止めをくらう。
知之は会社の研修の帰りに。
隆之介は就活の帰りに。
当然、新幹線は動く筈もない。混乱の東京駅の中、慣れない土地での初ホームレス活動。
翌日、香苗を頼りにこちらへ。
温かい部屋とご飯とお風呂があっても、テレビに映る生まれ育った仙台の変わり果てた姿に、どんな言葉も役に立たない。
携帯が少しずつ繋がり始めて、たくさんの同郷の安否をひっきりなしに続けていたね。
こんな強烈な不安と、すがるような希望のアマルガムがあるだろうか...。
いっしょにいる僕は何も出来なかった。
東京にいても、突如として降り掛かった地獄に涙が止まらないのに、地元のあまりにも過酷で理解を労する真実に直面している彼等に、何かしてあげたいと思ったこと自体無謀だったのではないかと、今となっては少し冷静さを失っていたのでは?とさえ思う。
特に仙台市の沿岸沿いは皆さんもご存知の通り、この世の果てのような世界だった。
風が強く感じるのは、遮るものがなくなったから。みな流されてしまった。
言葉を失う。
言葉は愛すべきもの?
そう信じることでしか、僕のような人間は保っていられなかった。
せめて邪魔にだけはならないように、微力ながら彼等の力になりたいと自分に出来ることを探した。
混乱とかつてない恐怖、深い哀しみに沈む被災地に、彼等はすぐにでも帰る という。
悩みも、迷いもせずそう言った。
この時点で、家族や友人の所在・取り急ぎの安全は確認済みで、親御さんも「今はこっちに帰って来ないほうがいい」とおっしゃっていたにも関わらず、彼等は帰ると。
新幹線は勿論、バスでの仙台までの道も閉ざされていたが、ネットで粘り強く探した結果、福島経由で仙台まで帰れる高速バスを発見した。予約はしたものの、その後連絡がとれない。
とにかく準備だけはしておきたい と。
仙台へ持ち帰る物資の調達をしたいということで、僕はようやく自分に出来る小さなことを見つけた。
翌日町田・横浜を走り回った。
コンビニから大型電気店まで30軒近くは当たっただろうか。
単一、単二電池、水、食糧、ウェットティッシュ...。
しかし、単一、単二電池は、”我先に”という精神から(防衛本能の観点から言えば、悪いとは言わないが...)ここ東京でも、幾ら梯子しても見つからない。
ヤマダ電機やビバホームなど大型店には当然なく、しまいにはラジオまでなくなる始末。
本当に必要としてるのはここ(東京)ではない と苛立ちを覚えつつも、未来が霞む程の大きな震災に、備えを強化したい気持ちは十分に理解出来た。
東京のリズムで、仙台の呼吸をする。
とても中途半端な思考になってしまった。
どっちの人間か とかではなくて、こうすることしか出来なかった。
仙台に対して何を嘆いても、涙しても、それは東京にいて電気もガスも水に不自由しない僕が想ってることに他ならならない。
今はとにかく出来ることをする。
半端な同情より、行動を。
被災された方々に対して、今想うことと、今出来ることを。
2人は野宿の疲労も見せることなく、タフに物資を探していた。
22歳のフレッシュな感性が、沈痛よりも使命感を必然的に選択していた。
仙台と、家族と、友達を助けたい。
その本能と言える精神が、肉体の上限を越えていないかは注視していた。
彼等にはなるべく体力を養って戻って欲しかったし、冷静さも一度取り戻すべきだった。
仙台は大変な状況であり、エネルギーは帰ってから使うべきだと思ったからだ。人間のエネルギーのコントロールは、このような時は先行して浪費しがちである。
電気も資源も人も、エネルギーをコントロールし、上手く使わなければならない。
より良い人間的幸福を感じられる人生の為に…。

↑完全にマーシー似の知之。笑 悪どい。
知はカツオばりの世渡り上手。笑 口からぽんぽん出てくるおべっかのマシンガン。
だけど、黙ってても冷静さを取り戻していたように思えた。こいつには何かを判断するだけのプロセスがしっかりしていた。
カツオにならなくても、お前は説得力があるんだ。
この先、もっと思いや体験が積もり固まっていくことで、知だけの真理が説得力を持つことだろう。
ところが、隆之介はバカだった。笑

↑バカ
猪突猛進 とはこいつの為にあると思えるほどだ。
ぶつかってからでなければ気付かない。笑
そして、足が臭い。
しかも、声がくそデカイ。笑
だが、可愛い。
ただそのバカな情熱は思っていた以上に誇り高い。
そしてなによりこいつには揺るがない思いやりがあった。
そして知とは絶対的に異なるのは、周囲を必ず自分の次に持ってくるところだ。
自分の丈にあった観念しか持たないからこそ、絶対的に自分をベースにし向き合う。
それは、着実な対人関係を生む。(隆之介にとって)
また、自分の観念に忠実で、余計な観念が入ってこないこそ、自分のオリジナリティーに集中出来る。
これは、僕にとっても大きな発見だった。これはアリだぞ と。
昼から夜まで続けた調達を終えて、寿司を食うことにした。
英気を養い、蓄えて、仙台での彼等の行動の大成を願って。
酒を飲んで、仙台の話を聞かせてもらった。
久々に3人会ったわけで、それはそれは香苗にとって大切な時間になっただろう。僕は一度も行ったことがないから聞いていて余計楽しい。
「テレビに映ってたあの場所は…」という接頭語でもって語られる彼等の思い出を、僕は精一杯11日以前の潤沢な自然の街に置き換えた。
今はなきリアス式海岸が生み出す、饒舌な海産物の絶品。
地元の絆が強いこと。
牛乳のふたは”ぎゅっぱ”ということ。
中学生の時から隆之介は隆之介だったこと。笑
知はというと、安否確認の電話の合間にちょこちょこ「車はハンドルの右下のあれをぶっ壊して…」と、やんちゃなスタイルを垣間見せた。笑
その後報道されていた石巻の犯罪の2割はおそらくこいつだろう。笑
同郷 仙台に拠点を起きワールドワイドに活躍するヒップホップ スターGAGLE(Jazzy Sport)や、パンピー&スラックス(我らがクロマニとJOINTSのアルバムでもフューチャーしている)が好きらしく、その話も楽しかった。
好きなもんを好きなだけ というノリで寿司屋に来たが、聞いたことない魚を結構たいらげた。知が釣り好きらしく説明してくれた。
満足してもらえただろうか。
楽しい時間を過ごし家へ帰ってテレビをつけると、膝から落ちそうになった。
福島原発の爆発映像だ。
こんなに恐ろしいことがあるだろうか。
この一年、反原発を志し学び努めてきたのは、こんなにも恐ろしいものが稼働しているという戦慄が原動力になっていた部分が大きかったことと思う。
そして、その危うさを殆どの日本人が知らないということ。
さんざんBlogに書いてきたのも、反対して欲しかったんじゃない、知って欲しかっただけだ。
人のピュアな感情であれば、原発の恐ろしさを理解し、人の遺伝子に深く問いかければ、これからの子供達の未来を守りたいと思うはずだ。祝島の方々のそういった無垢な想いを、金や権力の為に蹂躙しようとするこの国の在り方。
そして、それに対し30年という長いスパンでレジストし続けてきた姿。
それに心を鷲掴みにされ、怒りと哀しみが焼き付けられた。
まだまだ僕はあまりにも未熟だったが、時間が許す限り勉強していた。しかし、それは当然だが、シュミレートと想像力と歴史をないまぜにしたものだ。
今はそれが現実となっている…。
シュミレーションじゃないんだ。
目の前にある爆発がチェルノブイリと同じメルトダウンによる爆発だと思えた。
だとすると、3号機はMOX燃料を使ったプルサーマルであることは知っていたので、300km圏はかなり危険な状態に発展することは学んでいた。
頭の中は真っ白になって、暫くするととても綺麗な景色が見えてきた。
人の気配はない。
そんな景色の中にいたように思える。
知は言った、
「隼人さんは香苗を連れて西へ逃げて生き延びて下さい。おれはそれでも仙台に帰ります」と。
涙は我慢した。
一刻を争い、冷静な対応を見つけなければならない時だったから。
出逢って二日だったけど、この言葉でこいつの持ってるもんは、さほど僕の前に姿を現した。
この言葉は、このまま少し落ち着いた状態(3/30現在の原発状況)が続けば、後で再会した時の酒の肴にでもなるかな…。
だけど、僕にはとても誠実な言葉だった。
強く、儚い言葉だったよ。
きっと一生忘れないと思う。
原発の問題は一瞬、一瞬の判断が鍵を握る。迷ってる暇などないのだ。
間違っていようが、自分がその時最善と信じるものを、きちっと行動しなければならない。
命の問題なのだ。
だから、精一杯勉強してきたんだ。
元々僕は、歳だ、職種だなんてどうでもいい性格だが、22歳にして政治や歴史、原発の危険性をもよく学んでいる知を尊敬する。
彼の根幹にあるセンスが、法学部で学ぶべき知識を対位的にも見つめ、そして拡げるだけの情熱を持っていた。
法の中の不確かな論理に、きちっと疑問を抱くことが出来た人間なのだろう。
僕は外に向け情熱とエネルギーを発散する露出狂だが、知は彼の中での確固たる倫理を、内なる情熱でもって精査する。
少しして、TVで水素爆発であったと発表があって、とりあえずは胸を撫で下ろした。
しかし、僕も知も政府は幾らでも嘘をつく ということを語らずして分かっていたので、すぐに電話や今後の対処の話をし始めた。
危急の情報探索にはTwitterだった。
放射線量でしか判断しにくかったので、そこを中心に。
報道よりも早く、現地での放射線量を確認し、その数値がメルトダウンによる爆発に比べかなり低かったことから、水素爆発であったことを裏付けた。
原発騒動でどっと疲れ、もう眠ることに。
原発のこと、政策のこと、男女の関係だって、如何様な問題であれ、充分に考察、研究をして答えを出す方がいいだろう。
僕はずっとそう思ってたし、今でもそう思う部分はある。
そして、人の運命を左右する怖さから、自分にはストイックにもしてきたが、周りの人には決定的なことは言わなかった。
結局、最後は人は自ら選択しなければならない と思っていた。
だけど、この大震災と原発事故、そして知の言葉。この余りにも大きな要因から、僕はその瞬間の僕の中にあるすべてで持って判断すること、そして大切な人の運命を抱えるだけの覚悟と心持ちを誓う。
翌日は、ランチに淳子のとこに連れてった。
地震の影響で食材も少ない中、これから仙台で闘う若い勇者達にと、特に魚介類は暫く食べれないかもしれないということで、海の幸を惜しみなく出してくれた。
温かいおもてなしをしてくれた淳子に感謝する。
知の、
「隼人さんは女を落とす時、ここ連れてくるんすね」
に爆笑!
本当に可愛いやつだ。笑
隣のいちいちリアクションも体もデカ過ぎる隆之介が、chin2スペシャルのカルボナーラを食べて、いちいちウザくなっていた。笑
本当に2人とも可愛い。
「仙台に来た時は、ロールスロイスで迎えに行きますからっ!上手いもんと熱いローカルのクラブ連れてきますっ」と言う知。
必ず、君達にもう一度会いに行くよ。
そして、予約していた怪しいバスは当然バックれられた。
しかし、隆之介の粘りの捜索で
新潟→山形→仙台 の経由で帰れるコースを見つけた。
出発は今夜だった。
帰りの荷物をまとめる手伝いをしている時から泣いていた僕ちん。笑

もはや登山家を越えた。笑
変態である。
彼等はというと、物凄い熱気を帯びていた。
芯の通った意志が、仙台に少しでも光となって届くことを祈った。


知之は会社の研修の帰りに。
隆之介は就活の帰りに。
当然、新幹線は動く筈もない。混乱の東京駅の中、慣れない土地での初ホームレス活動。
翌日、香苗を頼りにこちらへ。
温かい部屋とご飯とお風呂があっても、テレビに映る生まれ育った仙台の変わり果てた姿に、どんな言葉も役に立たない。
携帯が少しずつ繋がり始めて、たくさんの同郷の安否をひっきりなしに続けていたね。
こんな強烈な不安と、すがるような希望のアマルガムがあるだろうか...。
いっしょにいる僕は何も出来なかった。
東京にいても、突如として降り掛かった地獄に涙が止まらないのに、地元のあまりにも過酷で理解を労する真実に直面している彼等に、何かしてあげたいと思ったこと自体無謀だったのではないかと、今となっては少し冷静さを失っていたのでは?とさえ思う。
特に仙台市の沿岸沿いは皆さんもご存知の通り、この世の果てのような世界だった。
風が強く感じるのは、遮るものがなくなったから。みな流されてしまった。
言葉を失う。
言葉は愛すべきもの?
そう信じることでしか、僕のような人間は保っていられなかった。
せめて邪魔にだけはならないように、微力ながら彼等の力になりたいと自分に出来ることを探した。
混乱とかつてない恐怖、深い哀しみに沈む被災地に、彼等はすぐにでも帰る という。
悩みも、迷いもせずそう言った。
この時点で、家族や友人の所在・取り急ぎの安全は確認済みで、親御さんも「今はこっちに帰って来ないほうがいい」とおっしゃっていたにも関わらず、彼等は帰ると。
新幹線は勿論、バスでの仙台までの道も閉ざされていたが、ネットで粘り強く探した結果、福島経由で仙台まで帰れる高速バスを発見した。予約はしたものの、その後連絡がとれない。
とにかく準備だけはしておきたい と。
仙台へ持ち帰る物資の調達をしたいということで、僕はようやく自分に出来る小さなことを見つけた。
翌日町田・横浜を走り回った。
コンビニから大型電気店まで30軒近くは当たっただろうか。
単一、単二電池、水、食糧、ウェットティッシュ...。
しかし、単一、単二電池は、”我先に”という精神から(防衛本能の観点から言えば、悪いとは言わないが...)ここ東京でも、幾ら梯子しても見つからない。
ヤマダ電機やビバホームなど大型店には当然なく、しまいにはラジオまでなくなる始末。
本当に必要としてるのはここ(東京)ではない と苛立ちを覚えつつも、未来が霞む程の大きな震災に、備えを強化したい気持ちは十分に理解出来た。
東京のリズムで、仙台の呼吸をする。
とても中途半端な思考になってしまった。
どっちの人間か とかではなくて、こうすることしか出来なかった。
仙台に対して何を嘆いても、涙しても、それは東京にいて電気もガスも水に不自由しない僕が想ってることに他ならならない。
今はとにかく出来ることをする。
半端な同情より、行動を。
被災された方々に対して、今想うことと、今出来ることを。
2人は野宿の疲労も見せることなく、タフに物資を探していた。
22歳のフレッシュな感性が、沈痛よりも使命感を必然的に選択していた。
仙台と、家族と、友達を助けたい。
その本能と言える精神が、肉体の上限を越えていないかは注視していた。
彼等にはなるべく体力を養って戻って欲しかったし、冷静さも一度取り戻すべきだった。
仙台は大変な状況であり、エネルギーは帰ってから使うべきだと思ったからだ。人間のエネルギーのコントロールは、このような時は先行して浪費しがちである。
電気も資源も人も、エネルギーをコントロールし、上手く使わなければならない。
より良い人間的幸福を感じられる人生の為に…。

↑完全にマーシー似の知之。笑 悪どい。
知はカツオばりの世渡り上手。笑 口からぽんぽん出てくるおべっかのマシンガン。
だけど、黙ってても冷静さを取り戻していたように思えた。こいつには何かを判断するだけのプロセスがしっかりしていた。
カツオにならなくても、お前は説得力があるんだ。
この先、もっと思いや体験が積もり固まっていくことで、知だけの真理が説得力を持つことだろう。
ところが、隆之介はバカだった。笑

↑バカ
猪突猛進 とはこいつの為にあると思えるほどだ。
ぶつかってからでなければ気付かない。笑
そして、足が臭い。
しかも、声がくそデカイ。笑
だが、可愛い。
ただそのバカな情熱は思っていた以上に誇り高い。
そしてなによりこいつには揺るがない思いやりがあった。
そして知とは絶対的に異なるのは、周囲を必ず自分の次に持ってくるところだ。
自分の丈にあった観念しか持たないからこそ、絶対的に自分をベースにし向き合う。
それは、着実な対人関係を生む。(隆之介にとって)
また、自分の観念に忠実で、余計な観念が入ってこないこそ、自分のオリジナリティーに集中出来る。
これは、僕にとっても大きな発見だった。これはアリだぞ と。
昼から夜まで続けた調達を終えて、寿司を食うことにした。
英気を養い、蓄えて、仙台での彼等の行動の大成を願って。
酒を飲んで、仙台の話を聞かせてもらった。
久々に3人会ったわけで、それはそれは香苗にとって大切な時間になっただろう。僕は一度も行ったことがないから聞いていて余計楽しい。
「テレビに映ってたあの場所は…」という接頭語でもって語られる彼等の思い出を、僕は精一杯11日以前の潤沢な自然の街に置き換えた。
今はなきリアス式海岸が生み出す、饒舌な海産物の絶品。
地元の絆が強いこと。
牛乳のふたは”ぎゅっぱ”ということ。
中学生の時から隆之介は隆之介だったこと。笑
知はというと、安否確認の電話の合間にちょこちょこ「車はハンドルの右下のあれをぶっ壊して…」と、やんちゃなスタイルを垣間見せた。笑
その後報道されていた石巻の犯罪の2割はおそらくこいつだろう。笑
同郷 仙台に拠点を起きワールドワイドに活躍するヒップホップ スターGAGLE(Jazzy Sport)や、パンピー&スラックス(我らがクロマニとJOINTSのアルバムでもフューチャーしている)が好きらしく、その話も楽しかった。
好きなもんを好きなだけ というノリで寿司屋に来たが、聞いたことない魚を結構たいらげた。知が釣り好きらしく説明してくれた。
満足してもらえただろうか。
楽しい時間を過ごし家へ帰ってテレビをつけると、膝から落ちそうになった。
福島原発の爆発映像だ。
こんなに恐ろしいことがあるだろうか。
この一年、反原発を志し学び努めてきたのは、こんなにも恐ろしいものが稼働しているという戦慄が原動力になっていた部分が大きかったことと思う。
そして、その危うさを殆どの日本人が知らないということ。
さんざんBlogに書いてきたのも、反対して欲しかったんじゃない、知って欲しかっただけだ。
人のピュアな感情であれば、原発の恐ろしさを理解し、人の遺伝子に深く問いかければ、これからの子供達の未来を守りたいと思うはずだ。祝島の方々のそういった無垢な想いを、金や権力の為に蹂躙しようとするこの国の在り方。
そして、それに対し30年という長いスパンでレジストし続けてきた姿。
それに心を鷲掴みにされ、怒りと哀しみが焼き付けられた。
まだまだ僕はあまりにも未熟だったが、時間が許す限り勉強していた。しかし、それは当然だが、シュミレートと想像力と歴史をないまぜにしたものだ。
今はそれが現実となっている…。
シュミレーションじゃないんだ。
目の前にある爆発がチェルノブイリと同じメルトダウンによる爆発だと思えた。
だとすると、3号機はMOX燃料を使ったプルサーマルであることは知っていたので、300km圏はかなり危険な状態に発展することは学んでいた。
頭の中は真っ白になって、暫くするととても綺麗な景色が見えてきた。
人の気配はない。
そんな景色の中にいたように思える。
知は言った、
「隼人さんは香苗を連れて西へ逃げて生き延びて下さい。おれはそれでも仙台に帰ります」と。
涙は我慢した。
一刻を争い、冷静な対応を見つけなければならない時だったから。
出逢って二日だったけど、この言葉でこいつの持ってるもんは、さほど僕の前に姿を現した。
この言葉は、このまま少し落ち着いた状態(3/30現在の原発状況)が続けば、後で再会した時の酒の肴にでもなるかな…。
だけど、僕にはとても誠実な言葉だった。
強く、儚い言葉だったよ。
きっと一生忘れないと思う。
原発の問題は一瞬、一瞬の判断が鍵を握る。迷ってる暇などないのだ。
間違っていようが、自分がその時最善と信じるものを、きちっと行動しなければならない。
命の問題なのだ。
だから、精一杯勉強してきたんだ。
元々僕は、歳だ、職種だなんてどうでもいい性格だが、22歳にして政治や歴史、原発の危険性をもよく学んでいる知を尊敬する。
彼の根幹にあるセンスが、法学部で学ぶべき知識を対位的にも見つめ、そして拡げるだけの情熱を持っていた。
法の中の不確かな論理に、きちっと疑問を抱くことが出来た人間なのだろう。
僕は外に向け情熱とエネルギーを発散する露出狂だが、知は彼の中での確固たる倫理を、内なる情熱でもって精査する。
少しして、TVで水素爆発であったと発表があって、とりあえずは胸を撫で下ろした。
しかし、僕も知も政府は幾らでも嘘をつく ということを語らずして分かっていたので、すぐに電話や今後の対処の話をし始めた。
危急の情報探索にはTwitterだった。
放射線量でしか判断しにくかったので、そこを中心に。
報道よりも早く、現地での放射線量を確認し、その数値がメルトダウンによる爆発に比べかなり低かったことから、水素爆発であったことを裏付けた。
原発騒動でどっと疲れ、もう眠ることに。
原発のこと、政策のこと、男女の関係だって、如何様な問題であれ、充分に考察、研究をして答えを出す方がいいだろう。
僕はずっとそう思ってたし、今でもそう思う部分はある。
そして、人の運命を左右する怖さから、自分にはストイックにもしてきたが、周りの人には決定的なことは言わなかった。
結局、最後は人は自ら選択しなければならない と思っていた。
だけど、この大震災と原発事故、そして知の言葉。この余りにも大きな要因から、僕はその瞬間の僕の中にあるすべてで持って判断すること、そして大切な人の運命を抱えるだけの覚悟と心持ちを誓う。
翌日は、ランチに淳子のとこに連れてった。
地震の影響で食材も少ない中、これから仙台で闘う若い勇者達にと、特に魚介類は暫く食べれないかもしれないということで、海の幸を惜しみなく出してくれた。
温かいおもてなしをしてくれた淳子に感謝する。
知の、
「隼人さんは女を落とす時、ここ連れてくるんすね」
に爆笑!
本当に可愛いやつだ。笑
隣のいちいちリアクションも体もデカ過ぎる隆之介が、chin2スペシャルのカルボナーラを食べて、いちいちウザくなっていた。笑
本当に2人とも可愛い。
「仙台に来た時は、ロールスロイスで迎えに行きますからっ!上手いもんと熱いローカルのクラブ連れてきますっ」と言う知。
必ず、君達にもう一度会いに行くよ。
そして、予約していた怪しいバスは当然バックれられた。
しかし、隆之介の粘りの捜索で
新潟→山形→仙台 の経由で帰れるコースを見つけた。
出発は今夜だった。
帰りの荷物をまとめる手伝いをしている時から泣いていた僕ちん。笑

もはや登山家を越えた。笑
変態である。
彼等はというと、物凄い熱気を帯びていた。
芯の通った意志が、仙台に少しでも光となって届くことを祈った。

