ミツバチの羽音と地球の回転 序文に代えて
ミツバチの羽音と地球の回転

彼女のエステ待ち時間、近くの渋谷ユーロスペースで、「ミツバチの羽音と地球の回転」を観た。
このブログでも散々お伝えしている、山口県 祝島の方達の原発反対運動のドキュメンタリー映画だ。
この問題に携わる島内外の情報と、講演会への参加、Ust等で、この問題を自分なりに触れ勉強してきた。
今回は実際に祝島の人達の、「暮らし」というものを感じたかった。
この問題は、私の生まれた1982年に始まる。国の原子力立国政策で、山口県 瀬戸内海にあるとても美しく、豊穣な大自然に恵まれた祝島の田ノ浦に原発を建設する案が、半ば強制的に決定した。
何度だって言うが、原発はあまりにもリスクの高い電力源である。
放射能はガンや白血病を発病させる。漏れてないなどと、国は、電力会社は平気で言うが、実際には日本各地の原発付近では漏れているのだ。これはネットで調べればすぐにその状況を散布図で確認出来ます。
この放射能の影響を微細にでも受け、
蓄積し続ければ、人間は被爆しガンや白血病になる。何よりも、これから生まれてくる子供達にまで、母体の被爆が原因でガンや白血病の子供が産まれてくるリスクがかなり高くなることは、最も真剣に考慮すべく動機となるのではないか。
北海道の女子中学生が、原発建設後に地元の大人達に対し涙ながらに「なぜ、足を掴んででも反対しなかったの」と訴えたレポートには深い哀しみと葛藤を覚えた。
そして、原発が稼働する度に広島・長崎に落とされた核爆弾の100倍に当たる温排水が海に流れる。生態系の破壊など容易に想像出来ることだ。
電力の安定供給を理由に、「原発を停止すれば発電能力が9割減るので稼働を止めることは出来ない」というのは真っ赤なウソである。原発は事故停止リスクが大きい為、同等の火力を待機させている。故意に火力を止めているのだ。需要に合わせた運転が不能なので夜間はダムに水上げてるだけ。日本中の原発を止めても、ほとんど変化はない。
つまりは、放射能漏れを起し、ガンや
白血病のリスクを大きく高める原発を、あまりにも「無駄」に稼働しているのである。
さらにはそれを、国と電力会社が絶対に安全
と公表する。
嘘を言うことを「公表」と云うのだから怖ろしい。
子供達がこの言葉をどう思うのだろう…。
科学が権力によって捏造される。
あってはならないことが、我々の日常なのである。
しかし、それでも私達には、社会というコミュニティを育む義務がある。
そして、人はひとりひとり違う。
であるからこそ、違いを違いのままにしておくことの、その覚悟と寛容さを身に付けた時、初めてスタートラインに立ったと言えよう。
人は底なしに美しく、底なしに醜い。
あるがままのそんな姿が、儚くも狂おしい。
そんなところが、「人が人を愛する」所以ではないだろうか と思う。
現代社会は「違うものを同じに」無理矢理しようとするから歪むのだ。
そうではない、「違ってる」ことは素晴らしい。
いつも言ってることだが、とことん話しあうんだ。思いっクソ、自分全開で。
シンプルな感情と慈しみとたおやかさを持って。
偏った議論は問題ではない。
皆が同じ方向に偏ることの方が問題であって。いろいろな偏りがあればあるほど、世論が健全でありバランスが取れる。
祝島の問題は、僅かな権力者達の作る不自然で、あまりにもいびつな資本主義経済の、全てのアメリカナイズされた狂ったプログラミング社会を集約している。
メディアを操作した「洗脳」という統一を強いる。
巨大権力が、質素で慎ましく生きる人々を平気で踏み潰す不条理。
先のチュニジア、エジプト、リビアの民主革命の大成に大きく起因したTwitterやFacebook。
正直、私はその効力を見くびっていた。
しかし、人々の意識がこんなにも目に見える形で、世界各地で沸騰し、そして独裁政権をぶっ壊した。
熱い呟きが、ひとりひとりの真摯な意識が、自分達の社会を変えたのだ。
だから、日本も変われるはずなんだ。
ひとりひとりが革命の種を持っているんだ。

彼女のエステ待ち時間、近くの渋谷ユーロスペースで、「ミツバチの羽音と地球の回転」を観た。
このブログでも散々お伝えしている、山口県 祝島の方達の原発反対運動のドキュメンタリー映画だ。
この問題に携わる島内外の情報と、講演会への参加、Ust等で、この問題を自分なりに触れ勉強してきた。
今回は実際に祝島の人達の、「暮らし」というものを感じたかった。
この問題は、私の生まれた1982年に始まる。国の原子力立国政策で、山口県 瀬戸内海にあるとても美しく、豊穣な大自然に恵まれた祝島の田ノ浦に原発を建設する案が、半ば強制的に決定した。
何度だって言うが、原発はあまりにもリスクの高い電力源である。
放射能はガンや白血病を発病させる。漏れてないなどと、国は、電力会社は平気で言うが、実際には日本各地の原発付近では漏れているのだ。これはネットで調べればすぐにその状況を散布図で確認出来ます。
この放射能の影響を微細にでも受け、
蓄積し続ければ、人間は被爆しガンや白血病になる。何よりも、これから生まれてくる子供達にまで、母体の被爆が原因でガンや白血病の子供が産まれてくるリスクがかなり高くなることは、最も真剣に考慮すべく動機となるのではないか。
北海道の女子中学生が、原発建設後に地元の大人達に対し涙ながらに「なぜ、足を掴んででも反対しなかったの」と訴えたレポートには深い哀しみと葛藤を覚えた。
そして、原発が稼働する度に広島・長崎に落とされた核爆弾の100倍に当たる温排水が海に流れる。生態系の破壊など容易に想像出来ることだ。
電力の安定供給を理由に、「原発を停止すれば発電能力が9割減るので稼働を止めることは出来ない」というのは真っ赤なウソである。原発は事故停止リスクが大きい為、同等の火力を待機させている。故意に火力を止めているのだ。需要に合わせた運転が不能なので夜間はダムに水上げてるだけ。日本中の原発を止めても、ほとんど変化はない。
つまりは、放射能漏れを起し、ガンや
白血病のリスクを大きく高める原発を、あまりにも「無駄」に稼働しているのである。
さらにはそれを、国と電力会社が絶対に安全
と公表する。
嘘を言うことを「公表」と云うのだから怖ろしい。
子供達がこの言葉をどう思うのだろう…。
科学が権力によって捏造される。
あってはならないことが、我々の日常なのである。
しかし、それでも私達には、社会というコミュニティを育む義務がある。
そして、人はひとりひとり違う。
であるからこそ、違いを違いのままにしておくことの、その覚悟と寛容さを身に付けた時、初めてスタートラインに立ったと言えよう。
人は底なしに美しく、底なしに醜い。
あるがままのそんな姿が、儚くも狂おしい。
そんなところが、「人が人を愛する」所以ではないだろうか と思う。
現代社会は「違うものを同じに」無理矢理しようとするから歪むのだ。
そうではない、「違ってる」ことは素晴らしい。
いつも言ってることだが、とことん話しあうんだ。思いっクソ、自分全開で。
シンプルな感情と慈しみとたおやかさを持って。
偏った議論は問題ではない。
皆が同じ方向に偏ることの方が問題であって。いろいろな偏りがあればあるほど、世論が健全でありバランスが取れる。
祝島の問題は、僅かな権力者達の作る不自然で、あまりにもいびつな資本主義経済の、全てのアメリカナイズされた狂ったプログラミング社会を集約している。
メディアを操作した「洗脳」という統一を強いる。
巨大権力が、質素で慎ましく生きる人々を平気で踏み潰す不条理。
先のチュニジア、エジプト、リビアの民主革命の大成に大きく起因したTwitterやFacebook。
正直、私はその効力を見くびっていた。
しかし、人々の意識がこんなにも目に見える形で、世界各地で沸騰し、そして独裁政権をぶっ壊した。
熱い呟きが、ひとりひとりの真摯な意識が、自分達の社会を変えたのだ。
だから、日本も変われるはずなんだ。
ひとりひとりが革命の種を持っているんだ。