そう、これはゲーム

仮想世界であり現実ではないのだが、考えさせられる場面に日々楽しませていただいている。

 

まず思うのは、新しい発見や冒険こそが生命の根本的な楽しみであるという部分。人間も本来は自由であった。お金さえ生まれなければ自由や幸せを手放さずに済んだものを、、と、知能や欲望のある生き物の末路を悲しんだ。

釣りをするにも何をするにも、必ず誰かのナワバリであり、断りか通貨が要る仕組みそのものがおかしい事なのだが、生命ピラミッドから外れてしまった人間は増えすぎた。だから法や秩序が要るのだ。

 

この変えよう抗いようのない流れに乗らねば生きていけない世界に私は生きているのだなぁ…と、ヒトとして生まれてしまった事に残念な気持ちになる。これは小学生から続く私の価値観だ。

 

あちこちに散りばめられた人間の常識はリアルとも繋がり、楽しいからこそ静かに心深く浸透する"無意識の教育"でもある。

 

誰もが楽しく違和感がないよう設計されているからこそ、暮らし方や振る舞いが現実寄りになるのも頷けるが…果たして本当にそれでよいのかな?と思ってしまう場面も多々ある。例えば猫の定期的な洗浄やペットフードの説明文。これは今の私からしてみればあり得ない事であり抵抗しかない。猫を石鹸で洗い、湯をかけドライヤーで乾燥されて喜びじゃれつくなどは違和感しかない。それは、私の中に息づいている本来、自然界の常識とは大きく差異があるからだ。しかし、これは巷で行われているペットに対する当たり前の愛情、飼い主の責任という人間界の常識である。

 

人間が間違えて学んだ常識や暮らし方からこのような事がゲームに反映されているわけで、ほとんどの人が綺麗や清潔の定義を根本から間違えて学ばされてきた、そして気付けないでいるから誰も違和感を覚えないのだ。

 

私も以前はそうだった。これこそが正しいと勘違いしてたくさんのペットを犠牲にしてきていた事に気付けなかった。だが、今は違う。

 

猫は外で遊ばせ、自らが選んだ砂や場所で身体を洗わせる。彼等の行動に関与しない。足や身体に付いた泥や虫が家に入るのが嫌なら、飼わない選択しかない。野生肉を食べさせ、絶対に人が作り出した食べ物は与えない。それは胎内構造が人と近ければ近いほど人間と同じ病になるからだ。ペットといえど、身近だからこそ私達が学んだ暮らし方や生き方に、もう二度と彼等を巻き込んだりはしないだろう。

 

そしてそれらが叶わない動物を飼うならば、早死させてしまう事を覚悟し、自らの身勝手…エゴを理解した上で飼育するより他ない。

 

だから現実では体温がある動物は飼わないのだ…

悲しみよりも、罪悪感に耐えられないから。

魚やサンゴはある意味、感情が無機質であり直接触れ合う事ができないから長く飼育ができるのかもしれないな。と、ふと思った。あとは"死"に慣れてしまったのかも知れない。わざわざ飼い主が手を出さずとも、水槽内で自動的に生命の循環が行われるから。

 

死んでも他者の糧となり、気付けば骨となっていて。それも放置していればいずれは底砂となっている。

この自然界と似た"循環"がそこにあるからか、あまり悲しみは長引かず当たり前の出来事として受け入れられる。失えば悲しいのは変わらないし、本来の寿命を生きられなかった、人間に捕らわれてしまった彼等に懺悔の気持ちはいつでもある。それよりもたくさん知らなかった事を学ばせてもらえた、楽しい時間を過ごさせてもらえた感謝の気持ちが上回るから悲しくならないのかもしれない。

 

話が少し逸れてしまったが、このような間違えた常識が組み込まれたゲーム。子供から大人までが楽しむ仮想空間である。だからこそ逆に言えば、ゲームは日常的に繰り返しの世界でもある分、潜在、無意識でいながら学び直しもしやすいのでは?と逆手に取って考えれば大きな希望もあるのだが…

特に危惧するのは、これから学んでいく子供達までが間違えた愛情のかけ方をゲームの動物の反応やログから覚え、勘違いして大人になってしまう事だ。

 

大人はともかく、せめて子供達には正しい道、本来を示せないものかゲームをしながら悩んでしまうがこれ以上の案は、頭も力もない私には浮かばない。

 

情けないものだな。