アイツは今日もどこかで誰かと。 -11ページ目

私が恋愛できない理由



最近、全然ドラマとかみてなかったけどハマったのが今クールの月9!「私が恋愛できない理由」


一言一言が重かったりして、心にグサッとくる。
初回の段階で「恋が面倒」「本当の恋を知らない」なんてワードにはっとした。


第2話では「友達」という言葉について気づかされた。
・友達からはじまる恋
・恋が終わって友達に戻る
・友達以上、恋人未満
・まだ好きだけど友達だから、友達の恋を応援する


こういう経験があるだけに辛いなーとか役者に感情移入してしまう。「好きだけど別れる」「俺たちは友達でいた方が楽だ」なんて思ったこともあった。だからこそ友達の延長線上に恋人があって、その境目はほんとにちょっとした事なんだと思っている。


だからこそ本気で好きだったけど別れてしまったとき、ほんのちょっとしたことでまた好きになっちゃいそうで怖いから一切の連絡を断つし、絶つ。


ここまでは主に田中圭と香里奈の関係である。
このドラマは3人の女優が主役のポジションにいる。その一人が香里奈であった。もう一人はAKB48の大島優子。そしてもうひとりが吉高由里子だ。彼女の話も僕になにかを与えた。


「友達っていうけど私達の間には友情すらないよね。だからこういう関係でも楽なんだよね」みたいな台詞に思わず「うわっ」と漏らした。俺の大半の恋(らしき)はコレだったからだ。


付き合ってはない。けど、男女の関係を持ってしまった。なんで?
それは友達だから。


そう、これは言い訳でもなんでもないと思ってきた。確かに付き合ってないからお互い自由で楽。でもそれなりの幸せは手にはいる。いわゆる「友達以上、恋人未満ってやつだよ」なんて思ってきた。けどそうか友達にもなってない、何にもない関係だったのか。と痛感した。


考えてなかったなー。
たしかにこの文章で出たふたつの「友達以上、恋人未満」の言葉の意味は違った。一方はかつて付き合っていたから友達以上に自分のことを知っているがもう恋人ではない。もう一方は友達以上の関係を持ったが恋人にはならないし、というより友達の過程を踏んでない。

地に足つけて幸せを得るには順序ってものが必要なんだね。ドラマで1話を見逃したら2話を見る気にはなかなかなれないし。


このドラマでもうひとつ気になったのは「独立採算性」だ。夫婦であるが自分のことは自分でやる。これは俺の憧れでもあった。無駄に干渉はしないがいざってときだけ支え合う。しかしこれもどうなんだろうかとこのドラマを見て考えさせられた。


人間関係って支え合うっていうよりお互い足りない部分をお互いで埋め合わせる感じなのかな?


今後の展開に期待!

歴史は繰り返す



「歴史は繰り返す」なんて言葉があります。だからこそ反省をしなければ同じ過ちを繰り返すのだと思います。反省をして少しだけ成長すれば同じような困難を打ち砕けるでしょうね。


でもそうなのかな?なんて思ったりもします。時間は止まりません。成長しているのは自分だけではないのです。

この例が適切適当なのかはわかりませんが、例えば!女性の化粧。薄化粧の時代から平安美人の厚化粧時代。江戸の薄化粧時代から平成ヤマンバ厚化粧の時代。ナチュラルメイクが流行った時代からアゲ嬢メイクの厚化粧時代。


単純に薄化粧→厚化粧のサイクルというよりはその薄化粧も厚化粧も質は高まってる、成長しているんですよね。グラフにしたらただの波状というより右肩上がりの波状になります。


電子書籍なんてものを読みましたが、すごい!本が進化した。小説よみながら音楽流す。ドラマで良いシーンになると流れる曲。それによって盛り上がりが最高潮へ。小説でもそれが実現した。すごい。


でも紙はなくなるのか?歴史は繰り返す。レベルの高い紙の小説が見てみたい。例えばペラペラ漫画なんて紙だから面白い。
電子書籍を読んでるとき手に持っているのはスマホであったり本ではない。紙の小説を読むならば本を手にできる。この差をうまく利用できないかな?なんて考えています。


そんなことより自分の成長。
波状のグラフ。これって「人生山あり谷あり」みたい?(笑)

いつまでもあの時のままじゃダメだな。
「お前はなんだかんだしっかり自分でやるから大丈夫、心配してない。アイツは支えが必要だけどな」って俺も人間。「人という字は…」だよ。

守破離


「守破離」という言葉があるみたいです。
師からの教えを守り、慣れてきたらその教えを破るように自分流にアレンジし、いよいよ自分流を身につけて師から離れるといったところでしょう。


たしかにそうです。特に小中学生の頃ってそんな自由を弄ぶほどの力はないからただ先生の教えを受けてた。自分の考えを持つようになるとその教えは違うだの意見が言えるようになる。だから小中学校の先生っていうのは生徒が卒業して何年か経たないと感謝されないのかなと思う。


「あの時先生が言ってたことようやく今わかった気がする」みたいな台詞ってよくありますもんね。

「やらなくちゃいけないこととやりたいことが同じっていうのはなかなかない。勉強しなくちゃいけないけど遊びたいなんて良い例だ」と僕の中学の先生は言っていた。

そしていま僕はセミナーへ行った。自社の説明をする社会人の方が、まさに僕が成長したらなるであろう人であり、僕のなりたい人物像でもあった。

「そういう人がこの業界には多くいる」ということは僕はこの業界に向いているということだろう。自分らしく生きていける舞台なのであろう。


でも、やりたいことはなにか違う。

「自分に適したこと」と「自分のやりたいこと」違う。


人から「君みたいな人は××に向いてる」と言われても、僕のやりたいことは☆☆である。なんてことはよくあるだろう。

「自分に適したこと」「自分がやらなくちゃいけないこと」「自分のやりたいこと」はバラバラだ。

いまの状況というか、今日これからを考えた場合


テレビみたい、飲みたい。
就活の準備をしなきゃいけない。
遊びと勉強を両立させられるのが俺らしい。


3つの要因が重なったとき人は幸せというか生きがいを得るのかもしれない