日本最高水準の耳鼻科・神尾記念病院で治らなった患者が当院に大勢来院することから、「営業妨害」だと妬みのクレームが来る難聴専門鍼灸院。
日本で唯一の、離島を旅する難聴治療専門鍼灸師のチベットです。
僕が初めてチベットを旅したのは、今から約11年前の2007年夏でした。
当時は大学4年生で、バックパック一つ担いで単身3か月の放浪に出たんです。
標高5000メートル越えの青蔵鉄道に乗って、初めてチベットの首府ラサの街に降り立った時、時刻は夜の9時過ぎでした。

真夏だというのに、標高3500メートルのラサの夜は肌寒く、チベット独特のバターや香のかおりが風に乗ってやってくると、外国人の浮足立った笑い声が夜空に響く。
深夜近くになっても、繁華街には多くの観光客が笑い歩き、彼らを相手に物売りたちがカタコトの英語で話しかける。
みるもの、聞く音、出会う人すべてが新鮮で、体中から興奮の波が湧いてくるような、そんな涼しくも熱い夏の夜を過ごしていた。

ある日の午後のこと。
何気なく通りを歩いていると、どう見ても観光客向けではない、地元人のたまり場のような茶館を見つけた。
その名も、尼木茶館。
茶館独特の、入り口に垂れ布がかかっていて中の様子がわからない。
緊張しながら垂れ布をめくって中に入ると、そこにはいかつい顔をしたチベット人の男たちが座っていて、暑い夏の昼日中、熱いうどんを掻き込む姿があった。
茶館にメニューなどはない。
しかもまだ中国語はほとんど話せない時期で、入ったはいいけどなにを頼んだらいいのかもわからない。
店員が誰かもわからない。
どうやってその場を切り抜けたのかはあまり覚えていないけど、気が付くとエプロン姿の若い女の子と会話が成り立っていた。
不思議だよな。
僕は中国語もチベット語もほとんどわからないし、相手も日本語はわからない。
それでも、いつの間にか仲良くなって、いろんなことを話したよ。
日本のこと、旅の話、将来の夢。
しょっちゅうその店に顔を出しては、いろんな話をして、そのうちに中国語が話せるようになってきた。
チベット語も、いくらかできるようになった。
後になってわかったことだけど、そのエプロン姿の女の子は、教員を目指している学生さんで、当時夏休みで店(実家)を手伝っていたらしい。
その子の写真はないけれど、今でもはっきりと顔を覚えてる。
まさにチベット人って感じの、日焼けして精悍な横顔をしていたね。
名前は、次珍拉姆という。
一度だけ、手紙をもらったことがある。
授業で描いたという、チベットの寺院を描いた絵は、今でもうちの待合室に飾ってある。
2011年3月、僕が最後にチベットを旅したとき、その子は立派な教員となって遠く離れた土地に赴任したのだと、ご家族が教えてくれた。
僕の残りの人生は、あと32年間。
もう二度と会うことはないし、消息も知るすべはない。
でも、
もしできるなら、僕は伝えたい。
ここにいる、ってね。
思い出をありがとう。
チベットでした。


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