長い間の重苦しい問題の原因がつかめたことで「私はダメ人間じゃない」と
有頂天になってしまいました。
しばらくの間は、
「人と違う私」
「普通じゃない自分」
そんな点を見つけては、
「そうだったんだ、そういうことだったんだ」と安堵しました。
モヤモヤしていたものが、わかるのは爽快でしたし
自分は人と違う、ちょっと特別だ、という感じも悪くありませんでした
(もう、何言ってんだか)
『普通』の人がたくさんいて、その人達が固まっていて
そことは違う場所に『普通じゃない』私がいる
そんなイメージでしたね。
「私ね、ちょっと変わってたんだよ」なんて話を
家族やいろんな友達に聞いてもらいました。
そんなある日、友達が
「私も、人とは違うんだと思う」と話してくれました。
私から見たら、まるきり普通の人だと思うその人が「違う」というのは
ちょっと解せません。
どういうことかしら
人と違って、普通じゃないというのは、
私みたいに奇行があったり、生活がうまくできない人のことでは…
そんなことを何日か考えていたら…。
そうか
『普通』の人だと見える大勢の人たちも、人それぞれなんだろうな
折り紙の色に例えてみると
最初は
私が赤で、普通の人たちはみんな同じ青色
と思っていました。
でも
私が赤で、あの人は緑、この人は黄色、あの人は紫
み~んな別々、み~んな特別
そんなイメージかもしれないな~
私の子どもの頃の折り紙は10色しかなかったけれど
今時の折り紙は1セットが50色とかになっていて、
同じピンクでも濃い、薄い、普通と3段階くらいになっています。
まさに、そんな感じなのかもしれませんね。
そして、色で分ける分け方だけでなく、
におい、とか、味、とかで分ければ、またそれぞれが違う場所に
収まるのかもしれません。
そう考えてみたら、
いろんな人がいて、
みんながみんなその人なりの、色や味やにおいがしていたら
なんだか楽しいなあ、ってわくわくしてきました