今日は原爆の日です。
当然の事ながら、今回の原発事故の話もいろいろ聞かれます。
簡素売り・・・あれ?こんな変換になっちゃった。(おぃ)
あらためまして・・・
菅総理も「脱原発」への方向転換を宣言しておりました。
余談ながら、言ってる事は良い事なのにあれだけ人気がない人もめずらしい・・・
要は、どんなすばらしいアドバイスも嫌いな先生から言われると台無しになるってのと同じですな。
そんなわけで良い機会なんで原発について考えてみた。
以前ちょこっと触れたように、個人的な意見としては、脱原発が良いと思っております。
でも今朝、新聞読んでて、ちょっと気になる記事が・・・
戦後、唯一の被爆国である日本でなぜ原発が推進されたかと言うお話。
被爆国であるからこそ、核の平和利用こそが犠牲者への償いになるという考えがあったようで。
しかし、その裏には「核の平和利用」を全面に押し出す事によって安全性をないがしろにしてきた。
「核の平和利用」は反原発運動を封じ込めるための切り札だった・・・・というような内容。
さらに記念式典での平和宣言の中に「核と人類の共存はあり得ない」という表現があったり・・・
なんかいつのまにやら「核の平和利用」=「原発推進」=「悪者」みたいになってる。
これって変だと思うの。
今まで国がやってきた原発推進政策はけして核の平和利用なんかじゃない。
本当の核の平和利用は、人類が完全に原子力をコントロールする技術を手に入れてはじめて実現するものだと思うん。
そんなの無理って言う人もいるかもしれないけど、これまで、科学の進歩はたくさん不可能を可能に変えて来てるじゃないですか。
200年前の人々が今の飛行機を見て、これが何百人もの乗客を乗せて安全に空を飛ぶなんて絶対信じられないと思うの。
だから今すぐは無理でも、何十年、何百年先には安全を原子力を使いこなせる、そんな時代が来るかもしれない。
科学者にとって核の平和利用はとても魅力的な夢であって、それに向かって地道に研究を続けている研究者も少なからずいると思う。
しかし、残念ながら研究者たちにはお金がない。
スポンサーをみつけないことにはまともな研究ができない。
原発が次々に作られた時代、原発の開発に携わる研究者には大きなスポンサーがついてて沢山のお金がつぎ込まれたんでしょうね。
そんでもって今回の事故を見る限り、スポンサーとしてはとにかく1日も早く原発を稼働させて儲けたいわけで、そんな中、心ある研究者たちが「これ、このままだと危ないんじゃね?」などと言っても聞いてもらえなかったんじゃないですかね。
今ある原発は廃炉にすべきだと思うけど、だからといって核の平和利用をすっかりあきらめる事はないと思う。
あきらめたら そこで試合終了ですよ。(by 安西先生)
核の平和利用に向けてがんばる研究者たちには、まだまだあきらめずがんばってもらいたい。
そんな心ある研究者たちは、当然、原発事故を収束させるための技術、まき散らされた放射性物資の処理方法なんかについても懸命に考えてくれてると思うの。
世界が脱原発へ向かって動き出した今、本当の意味での核の平和利用を夢見る研究者たちへの風当たりが強くならない事を願うばかり・・・