
我々が小さな生命に畏敬の念を抱くのは、
小さき物は弱いもの、守らねばならないものという母性的な部分と、
実は自分自身の小ささを無意識のうちに感じているからではないだろうか。
延いては判官びいき、少数派、孤立無援といったのも全般、応援したくなるのだ。
小さいもの、弱いものを擁護して構成される社会が理想なのだとも言える。
誰かを守ることが自分を守る事にもつながる…という概念。
しかしこれは昨今、急速に失われつつあるものでもある。
私が子供の頃、住んでた地域には木造の小さな派出所が一軒あるのみで、
一人の中年の駐在さんがいるだけだった。
その頃の家はもう無いのだけれど、私は家の鍵という物を、最後まで見る事は無かった。
ドアはいつでもオープンだったのだ。
私の家だけに限った事ではなく、近所のどの家もそうだった。
つまり何が言いたいのかというと、悪い事(犯罪)は必ずしも厳しい取り締まりや、
罰則が封じ込めているのではなく、一人一人の気の持ち様が、個々の倫理が規正しているということだ。
物理的な大小ではなく、有形無形なく"小さな"ものを敬おうという価値観。
これに抵触することこそが、悪の根源であるということを、
共通認識として浸透させることが、鍵の無い家への小さな標なのではないだろうか。

追伸:もしも来世があるとして、次の人生が人ではなく、
小動物としてだったらどうだろうか。
今のうちに"小さいヤツ"を労っておいた方が良いと思う。
人だって十分小さいんだから。
世界を救う愛への第一歩は小さいヤツ救済の心からだよ。
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