苦しくて苦しくて。
ゴッホとゴーギャンの苦しみが真っ直ぐに胸を刺す。
苦しさに胸が苦しい。
原田マハ『リボルバー』
ネタバレするので、読みたくない方はここでUターンを。
わんくっしょん。
ゴッホのひまわり、小説の表紙を水彩絵の具で模写?したよー、適当すぎるでしょ、めちゃくちゃすぎるでしょわはは!
改めて、この生々しいひまわりたち、生と死に見える。
それぞれの個性をむりやり花瓶に押し込んだような印象をうける…やっぱりこわい絵だな(勝手な感想)
さて
生涯を通し、絵を描くことしかできなかったゴッホ。
仕事もうまくできず、結婚もできず、描けども生涯でたった一つの絵を売ることもできず、でも弟のテオだけはゴッホを、経済的に精神的に一生献身的に支え続けた。
弟テオは兄のゴッホが亡くなった後、心と身体を病んで半年で後を追うように亡くなる。
そして、絵を描き続けられたのはテオがいたからだ、と、テオがいなければなにもできない自分に気付いてしまった。
なのに、テオがしあわせな家庭を築くことをゴッホは心からの祝福ができない。
ゴッホはとにかく絵を描きたいから。
絵を描き続けられる環境をテオに与えてもらえなくなるのは困る。
そんな自分に苦しむゴッホ。
「タブロー! この胸の中にはタブローしかないんだ!」
その叫び声に、私の胸が張り裂けそうだった。
一方、ゴーギャンは、仕事、結婚をしたり、子供もうまれたり、愛人も何人かいて、絵は人気はないけど全く売れなかったわけではない。
普通に考えたら、ゴッホよりはゴーギャンの方がしあわせなんじゃない?
でも、ゴッホには生まれて死ぬまでずっと支えてくれた弟のテオがいたのに対し、ゴーギャンを心の底から支えてくれたひとはいたのかな?
妻は帰ってしまったし、子供は数人いたが、愛した娘は亡くなってしまった。
その後も恋人は何人かできたが、絵もたいして売れずに貧しく、体も壊していく。
それに、この小説では、ゴーギャンはゴッホの並外れた才能に気付いていて、追いつこう追い抜かそうともがき苦しんでいる。
芸術が爆発的に花開いたフランスの同じ時代に生きた、奇抜な絵を描く、売れない貧しい二人の画家に思いを馳せる。
この小説の中のゴッホの語り口がいたいけだから、余計に苦しい。
自分も高みを目指したいと思ってるのに、軽々とその先へいってしまうゴッホへのゴーギャンの焦燥も苦しい。
憧憬と嫉妬、孤独、足掻き、人間であることの生々しさ。
心の中はぐちゃぐちゃだ。
まぁ、この辺はフィクションの部分で、マハさんの魔法によるものなのかもしれないけど、とてもリアル。
やっぱり原田マハの書く美術小説?はおもしろいなぁ、ハマるなぁ。
ゴッホとゴーギャンがアルルで共同生活をしていたが、私はその背景は知らなかった。
画家として意気投合した2人が共同生活で切磋琢磨し、画家としての意見の食い違いにより共同生活が終わりを迎えた。
と、私は思っていたのだが…
で、『リボルバー』という題名だけど…
題名の『リボルバー』は、ゴッホに生きることをやめされたリボルバーのことなんだけど。
そのリボルバーがオークション会社に持ち込まれたことから、物語は始まる。
ゴッホの死因は、今現在では自殺となっているけど、この小説では、なんと、違う。
その、もつれあいの場面が切なくて、泣ける。
ゴーギャンは全てをわかってるようだけど、ゴッホはその外側まで全てをすでに知っていた。
どこまでいってもゴーギャンはゴッホに追いつくことができず、ゴッホはついに本当に誰も手の届かない高みへ行ってしまった。
この辺りが今回の小説のピークだったと感じる。
そこからは最後は、ゆるゆると綺麗に物語をまとめていった感じがある。(えらそうなくまぞうでごめんね)
でもねー、マハさんはほんとすごい。
だって、ゴッホの死因は自殺だって、90パーセントの人が信じてるでしょ。
たまに他殺説が出てきて、そんな映画もあるけど、まさかゴーギャンが??
その発想!
キュレーターであるマハさんならでは美術史の知識による裏付け!
そして、小説家としての想像力と創造力!
私は最も簡単に、このフィクションをリアルとして受け入れて、苦しくて胸を掻きむしりたくなった。
また、お勉強させられちゃった
原田マハさんに、原田マハさんの視点で。
原田マハさんは、芸術に疎い日本人に、日本に、かなり貢献してると思うな。
マハさんの小説を読んだら、本物を自分の目で見たくなるよ。
画家が生きた事実を思い出させてくれて、時代に想いを馳せる機会を与えてくれて、いつもありがとうございます。
マハさんの小説に出会えて、私は本当にしあわせです
健康に気をつけて、たくさんのお話を紡いで、色んなことを教えてほしいと願います
読んでいただきありがとうございました
こっちの方が読んでほしいかも