「先に決めちゃう」って聞いたことない?

 

そうなると決める

そういう状態になる、と決める

欲しいものが手に入る、と決める

 

人生の捉え方の話なんだけど

そういう在り方で生きていこうとするとき

 

慣れてないと

「決めるって言われても」

ってなったりしない?

 

 

「よくなると決めましょう」とか

「大丈夫と信じましょう」とか

 

わかってるけどんだけどねってやつ笑

 

これってさ

「決める」への期待値みたいなのが高すぎるからだと思うんだよね

 

 

実際はさ、この「決める」をマスターするには

何度も練習しなきゃ身体にも馴染まないし

頭にも定着しないと思うの

 

だから「人生が良くなると決める」みたいな漠然としたものを

本当に人生に取り入れるには

繰り返すことが必要だと思うの

 

 

例えば「人生は良くなる」とまず決めて

信じようと馴染ませようと頑張ってる時に

嫌なことがあったら

信じられないわけじゃん笑

 

で、そういうときに

「やっぱりだめじゃん!」って

多くの場合なっちゃうと思うのね

 

で、その時はそれでいいのよ

そう思ってることを否定しないでいいの

否定するから余計に信じられなくなるんでしょ

 

このときに

「信じられない! だけど良くなると決めてる!」

 

みたいにさ

感情とは目的は分けちゃってよくない? ってこと

 

伝わるかな

 

メタ認知とかわかる人にはわかりやすいかもだけど

要は、感情と在り方は別でしょってこと

 

在り方で感情が引っ張られることはあるだろうけど

それはまた別の話でさ

 

 

「決めたこと」と「感情」は別でしょ?

 

だから「信じられない」が感情(実際は思考になるのかな)だとしたら

それが原因で「決めたこと」を変更することはないわけよ

だって決めたんだから

 

 

「信じられない」でも「決めてる」

 

「信じる」ためには根拠がほしいのかもしれないけど

「決める」のは在り方だから根拠は必要ないでしょ?

 

 

「これ欲しい」

 ↓

「手に入るかどうか信じられない」

 

これは根拠が欲しいのはわかる

 

 

 

でも

「これ欲しい」

 ↓

「手に入ると決める」

 

この流れに根拠いる?

入り込む余地ある?

「決める」に根拠っている?

 

 

「信じるかどうか」に根拠は必要だとしても

「決める」には根拠は必要ないでしょ?

 

「ほしい」が根拠(理由)でしょ?

でも「決める」に対しては、決めたら感情は不要でしょ?

 

 

だから

「信じられないなー」

「疑っちゃうなー」

は感情と思考だから

その都度「そうだよねー」って

自分で寄り添って受容していくしかないけど

 

 

そのあとの「でも決めた」なら「決めた」だけでいいんだよ

これを繰り返すのが練習じゃない?

 

 

 

「でも信じられない」

「うん。でも決めてるんだよね」

 

これだけだよ

これを何度もやってると

何度落ち込んで疑いが出てきても

 

「うわー、また出来る気しないわー」

「でも決めてるからなー」

 

っていう思考回路が自然になって

どんどん自動的になっていく

 

落ち込んでから「でも決めてるからな」までの時間が早くなる

 

 

何でも繰り返すと早くなるじゃん

それと同じだよ

 

「決めてからも揺らぐ」がないと思ってるから

出来てないのと思うのかもしれないけど

 

定着するまでは

「決めてからも揺らぐ」のが普通なんだから

何度も「決めればいい」だけなんだよ