母親失格。何度もそう陰口を叩かれた。

優秀な母親ではなかったかもしれない。
けれど、娘は本当にありがたいことに優しくて素直な良い娘に育っている。

多様性の時代というけれど、まだまだ母親呪縛の呪いは健在。

世の中の古い母親像に押しつぶされそうになっている誰かの、

勇気になることができたら、、と思い書きました。

 

>>>

 
こないだ成人式だった娘。

 

友人から「おめでとう。これで一旦お母さんお疲れ様だね」ってlineをもらった。
条件反射的に「ありがとー」と送ったものの、正直ピンと来てなかった。
 
しばらくして「ああ、そうか。無事成人を迎えた時が親のお役目とりあえず御免、
って感覚か。きっとそれが一般的なんだろうなあ、と。けれど、私はこう思った
「もうずっと前に娘は巣立っているし、逆にずっと母親であることは
変わらないんだけどなあ」って。
 
実は私は娘ともう10年弱一緒に住んでいない。
 
親しい友人は皆知っていることだけれどこれをブログとか
SNSで言うかどうかずっと迷っていた。
 
事情はどうあれ、母親が娘と一緒に暮らしていないなんて批判されるに決まっている。
正直、それがものすごく怖かったし、それにより娘にどんな影響が及ぶかも想像できず結局、SNSでは言えぬまま10年近くが経った。
けれど、心の中でずっと葛藤があった。
嘘はついていないけれど隠していることに。
 
娘はもう20歳。環境がそうさせたんだと思うけれど
普通の子より精神的に自立している。
むしろ私より人間理解が深く、大人だと周りの友人には言われる。
 
今なら、私がこれを話して批判されても笑ってやり過ごせると思ったし、
自分自身、話したいな、と思った。
 
 私が娘と離れて暮らし始めたのは彼女が10歳の時。
 
娘が生まれてしばらくして夫婦の関係は冷え切った。
 
今思えば、もっと向き合って話し合うべきだった。
けれど少し話して「分かり合えない」と諦めてしまった。
 
それでも一緒に暮らしているのだから普通にしていればいいのだけれど
変なところで正直と言うか、幼稚な私は、冷え切っているのに、
普通に会話なんて嘘をついてるようで嫌だ、とか思ってしまい、ほぼ会話がなくなった。
 
同じ屋根の下に暮らしながら用があればメールをする関係。
いわゆる家庭内別居。
親や全ての友人にもそう言われたけれど元夫は夫としては120点満点の人だったと思う。
娘の父親としても120点満点だと思う。
ただ、単純に私とはうまくいかなかった。
家庭内別居はやがて互いの心を壊していった。
 
子供のために離婚をしない。そういう選択も考えた。
けれど、
こんなに仲が良くない二人の姿を見せる方が彼女の教育に良くないんじゃないかと思ったし、愛って最も素晴らしいものなのに、それを間近で見せてあげられないことに
すごく申し訳ない気持ちになった。
 
それにわがままだと思うけれど心から尊敬も信頼もしているけれど、
「その人と一緒にいる自分が一番嫌い」な人と一緒に暮らしているという選択を
し続けることができなかった。だから何度も離婚を考え、 切り出した。
 
しかし、受け入れられなかった。
 
同じ屋根の下、空気を吸っていることが本当に苦しくなった。
相手の心を壊している罪悪感に押しつぶされそうにもなった。
 
家を出ようと思った。
娘に「ママは会社の近くのマンションに住む。あなたの部屋もある。一緒に引っ越さない?」といった。
彼女は「ママは楽しいお仕事やお友達がたくさんいるけれどパパは私命だからこっちにいる。どうせママには会えるでしょ」と言った。
なんて優しい娘に育ったんだろう、わがままな私の何倍も大人な彼女に感動して涙した。 
翌日、引越しのトラックに揺られ家を出た。
それから、娘が学校が終わると私に連絡をしてきて私が「今ここにいるからおいで」と言ってそこまでやってきて一緒に食事をしたり、宿題をして、帰りに彼女が住む家に送り届けるという毎日が始まった。
 
週末は私の住むマンションに泊まることもあった。
やがて反抗期が来て娘は私の家にも元夫の家にも帰らないことがあった。
「私が家を出たりしたからだ」その度に胸が締め付けられ号泣した。いま思うとあの頃が人生で最も苦悩した期間だった。泣きながら、彼女を探し、連れ帰ったことも何度もあった。
ある時「なんで連絡くらいしないのよ!心配するでしょ!」「ふん!私がこうなったのはママのせいだからね」とはっきりと責められた。
一瞬胸が苦しくなったが「ママがしたことが許せないなら、土下座をしてもいい。謝れと言うなら毎日だって謝ってあげる。でも、あなたには辛い思いをさせてしまったかもしれな9て、そこは申し訳ないけれどママは自分が選んだ道を後悔してない。あなたのせいで、ママは人生の選択ができなかったの、と後で恨みがましいことを言うままになるのだけは避けたかった。あなたも女だからいつかわかるかもしれないし、わからないかもしれないけれど。それにね、ママがどう、とか人のせいにしちゃいけない。あなたの人生はあなたのものでママなんかに影響を受けてる場合じゃない。もっと自分の人生を大事にしなくちゃだめ」
二人とも泣いてた。
はっきりと否定され、その瞬間は流石にショックだったけれどなんて言うか胸のつかえが降りた。
娘も私にはっきりと文句を言ってスッキリしたのかもしれない。
その日を境に二人の関係は元に戻った。
 
離婚のやりとりで最初に来た条件が「親権養育権はこちらに。月に一度10時間あわせます」と言うものだった。
親権養育権は飲むことにした。
会社経営者で収入が安定しない私の元で暮らすより、生活基盤がしっかりしている夫の元で暮らした方が彼女のためだと思ったし、母と娘なんて、何があっても切れない絆はあると信じていたから。
親権とか養育権とか権利なんてもので彼女とつながっていなくたって大丈夫、それが条件なら、飲もうと思った。実際、その後、仕事で嫌なことが起き、それを続けないという自らの決断によりホームレスになると言う選択ができたのも娘が元夫のもので生活していると言う点は非常に大きい。彼女を抱えていたら嫌な仕事も我慢して続けていたかもしれない。そう言う意味でも元夫には心から感謝している。
しかし、月に10時間しか会えないなんて無理に決まっている。
 
けじめをつけたかった けれど、それは私のエゴ。ならば、娘が、父親になんて言われようと私に意思を持って会いにこれる日まで戸籍の上でも母親でいようと思った。
そして娘が16歳の冬、正式に離婚届を出した。
 
今、彼女は私と苗字が同じではない。親権が元夫側にあるから。 一緒に旅行に行こうと おもった  時、私のマイレージを使えないと言われ「ああ、こんなところで弊害が出るんだ」とぼんやり思った。
けれど、元夫がとても 良い人間であることもあって娘とは頻繁に会えている。 
しかし、「あんな人、母親失格よ」と陰口を叩かれたことは一度や二度じゃない。見る人から見ればそうなんだと思う。
 
母親失格かどうか。
それは、周囲の人間ではなく、娘が決めればいいと思っている。
 
娘にこの文章を出してもいい? と読ませたら「いいよん」とあっけらかんとした返事が来た。彼女なりの優しさなのだと思う。
先日、浜崎あゆみさんがシングルマザーで出発することを賛成だと書いたらそれに勇気付けられた、というコメントをいただいたので私のこの経験が、批判されることもあると思うけれど逆に、今迷っていたり、悩んでいたりする誰かの勇気になるかもしれない、と思い、書こうと思った。 
こんなに世の中「多様性の時代」と声高に言われているけれどまだまだやっぱり日本はある種の「母親像」が根強く残っていると思う
自分を正当化するつもりは一切もない。
価値観によっては、母親失格だろうし、無責任だろうし、わがままでしかないこともよくわかっている。けれどこの話が「そんな選択もあるのか」の一つの例として何かの役に立ったら嬉しい。
彼女が明らかに道を踏み外していたら、このことを書けなかったと思う。迎えた成人式。立派に育ってくれた彼女には本当に感謝しかない。
 
そういう意味で、やはり成人式は私にとって大きな節目なのかもしれない