ふしぎ夢もの
数々の目という見(視)せられるもの
ふしぎ夢ものは、夢のようで夢ではなくて、といったような翆春の体験を語っています。(書くのは凄く久しぶりです)
私は東京の下町生まれで、小学校低学年まで都内を幾つか引っ越したりしていたようです。
3歳前に住んでいた家は記憶にあまりなく、その後からのはどのような間取りで、近所はこうで道はこうでと、わりとハッキリ覚えています。
小学一年生の頃は一番あれやこれやと訳もわからず、でもその意味はわかっているという変な視せ方や出会いをさせられたものでした。
そのような頃に、都内の賑やかな銀座とかそちらへんへ行っても、今なら全く考えられないかもしれないくらいな昭和の姿をしている辺りで、ビルも少なく昔ながらの構えた店や材木問屋や寿司屋等がある辺りへ行ったある日の時のことです。
材木問屋には背の高い倉庫のような建物がいつくかあり、長い材木が沢山立て掛けられていて、それを横目に見ながらその近くのある店で外食をしようと家族で出掛けた時のことです。
夕方の5時頃。
空はぼんやり夜の気配になりつつある時刻です。
その立て掛けられている材木と材木の間に、沢山の子供なのか大人なのか、(当時は自分が子供でしたので、自分より目線が高いか低いかで判断をしていたものですが、いくつも目線となる元があると、年齢を判断することが出来ませんでした)数多くの目線となる元があったのです。
「なんかへんなのがいくつもいる」と、その目の数を横目で見ながら、それを凝視してはいけないと子供心ながらに思うのです。
道路に面して材木問屋へ入れるようになっている細めの道路。
極々普通に特に何も無く出入り出来るであろうそこには、黒い布のようなものが何本も横に走っています。
まるで《みてはならぬ、はいるもいらぬ》とばかりにあるその黒い布のようなものは、横目に見ながら、ゆらゆらゆれつつその本数をゆっくりふやしていくのです。
この間およそ1分もないと思います。
親の後をついて歩いていたほんの少しのことだからです。
「よけいに見ちゃダメなんだ」と横目で見ることを止め、親が前を歩いていたので、そちらの方へと視線を向け歩き出せば、真横にスっと黒いものが寄ってきます。
"これは知らんぷりだ"と存在を無視し、親が向かう方へと歩みを進めて行けば、耳元で《ねぇねぇ》と声を掛けられます。
"子供は知らない人について行っちゃダメだし、得体の知れないものにも返事をしてはいけないんだ"と、内心ドキドキしながらもその声を無視していきます。
少し歩いた先の店の中に親が入って行ったので、その後について店の中に入ります。
《帰りもね》とまた声を掛けられますが、また無視をします。
その後の記憶がプツンと切れていましたから、どのようにしていたのかわかりませんが、良くそうした外食先で寝てしまう事が多かったので、その日も多分食事もせず寝てしまったのだと思います。
気がつけば帰宅したようで自宅の玄関前に立っており、親がガラガラと引き戸を開ければ、それについて私も家の中に入ります。
寝る支度をして、布団に入りうとうとと寝ていると、先程の材木問屋がうとうととしただけの夢の中に出てきました。
《みた?みたよね?》といくつもの目が話しかけてくるので、今度はそれを静かに見ています。
夢の中では正面で見ているので、視線が絡み合ってしまいます。
しかしその視線は私を見ていて私を見ていない。どこか遠くでもあり、近くでもあり、暗く澱んだものでした。
夢の中でも返答はせず黙ってそれらのやり取りを見ていると、本当に目の前に目の存在が近寄ります。
《みた?みたよね?》
さすがに気持ちが悪く泣き出したい自分の気持ちもあるのに、至極冷静にしている自分もいます。
その冷静な自分はその目に対して一振り大きく手を払い全てを白くしてしまう自分がいました。
それらの目の奥にあった黒い壁のようなものになっていた所も白くなり、安堵している自分がいます。
「寝れるね」と誰彼となく声を出し、「寝よう」と夢の中の自分も目を閉じ、ゆっくりゆっくり寝ていきます。
次の日の朝。
学校へ行こうと玄関を開ければ、前日までなかったし、今まで自宅の外にもそのようなものはなかった"短めな平たい材木"が置いてありました。
「いってきまーす」
と家の中に声を掛け、ランドセルをよいしょと動かしながら、その平たい材木を軽くつまんで自宅の敷地の外へと持ち出します。
やや暫く持ち歩き、もっと外の道へ出た先にある原っぱにぽーいとほおり投げました。
「あんなものいらない」と言いながら。
今ならゴミのようなものを、原っぱとはいえどなたかの敷地にぽいっとほおり投げるとはと、お叱りを受けそうですが、その当時の原っぱは、ドラえもんの漫画さながら土管があったり、木の板などが置いてあったりしたのです。(ほんとに昭和の昔ですからね)
なのでそこへ、ぽーいと。
"えーーい、あっちへ行け!"といった感じです。
その後材木問屋の近くへ行ったお店は、父の仕事関係での知人宅だったそうでしたが、それからは家族では行ったことがありませんでした。
行かなくて良かった〜と思いながらも、何十年も経った今でもあの材木と材木の間にあった目の数々は、時折思い出してしまいます。
私はその当時の東京が嫌でした。怖かったのでしょうね。
生まれた所なのに、息のしにくい場所だと捉えていたのです。
今もたまにその時の空気感がサッと蘇る時があります。必ず東京のとある場所が絡んでいます。東京もどこでもそうなることはないのですが、その空気感に触れそうになると、自分の中で何かが歪んでしまう気配になります。
それは未知の感覚であり、でも未知でもない感覚なので、自分がそれに囚われることを物凄く拒否します。
こんな年になってもまだそれを思い出すことがあるということは、何かしらの意味があるのでしょうね。
すいしゅん
しあわせのきっかけをお伝えします