ニヒヒこんな本・雑誌 買いました。➀

               セキセイインコ黄

 加齢で眼が悪くなりあまり本が読めなくなった。けれど愉しみは本を買うこと。

 近所の本屋はとうの昔に閉店してしまったので駅まで自転車で行き、電車に乗ってひと駅隣りの街の、行きつけの本屋へ行く。そこで買った本や雑誌を、まるで “畑で獲れた野菜” のようだと思いながらトートバッグに入れ、今度は電車、自転車に乗り、ほくほくしながら持ち帰る。家に着き、買ってきた本を手に取って眺め、触るだけで〈ああ、シアワセ・・・〉と思う。ただ、視力が低下しているため、熟読、精読、完読、能わず、おまけにちゃんとした置き場所がない。どの本も部屋の隙間に積み置かれる運命。・・・・というわけで、「本好き」の端くれとして、せめて、最近どんな本・雑誌を買ったかを備忘録として残したいと思う次第なり・・・。

               ピンク薔薇

 △月×日

 ○『鬼の筆 戦後最大の脚本家・橋本忍の栄光と挫折』(著者 春日太一2023年11月30日第1刷発行 文藝春秋)2500円

 黒澤明監督作品の数々の脚本を書いたことで知られる脚本界の第一人者のひとりであり、名匠山田洋次監督の脚本の師匠でもあった橋本忍の生涯を、橋本の証言と創作ノートの検証、関係者への取材、資料をもとに、12年にわたって調べている。

 ○『芝居の面白さ、教えます 井上ひさしの戯曲講座 日本編』(作品社 2023年7月初版第1刷)2700円

 本書は1998(平成10)年に仙台文学館の初代館長に就任した井上ひさしが、本来の創作活動の他に、忙しいスケジュールの合間を縫って、2001(平成13)年からスタートさせた「井上ひさしの戯曲講座」の内容を講座の参加者などが文字起こしを手伝うなどして書籍にしたもの。真山青果、宮沢賢治、菊池寛、三島由紀夫、阿倍公房が語られている。

『芝居の面白さ、教えます 井上ひさしの戯曲講座 海外篇』(作品社 2023年7月第1刷発行)3200円

 前出の「日本編」に続く「海外編」。井上ひさしの芝居に関する蘊蓄・愛情が、敬愛する戯曲家―シェイクスピア、イプセン、チェーホフ、二―ル・サイモン—の伝記的事実をはじめ、演劇史の解説、演出の仕方、せりふの一言一句への詳細な解釈、ト書きの読み方、舞台装置の使い方などに関して縦横に語られている。

 △月×日

 ○『ガザとは何か―パレスチナを知るための緊急講義』(岡真理著 大和書房 2023年12月 第1刷発行)1400円

 2023年10月7日に始まったイスラエルによるガザ地区への軍事攻撃。パレスチナ人の死者はすでに3万人を超え、ジェノサイド(集団虐殺)への抗議が渦巻いている。「難民」がなぜ生まれたのか。そもそもイスラエルとはいかなる国なのか。本書は、10月7日から10数日後の10月20日に開かれた「緊急学習会 ガザとは何か」(於・京都大学)と同23日の「ガザを知る緊急セミナー 人間の恥としての」(於・早稲田大学)の講演をもとに編集、再構成されたもの。

 ○『老後をやめる—自律神経を整えて生涯現役』(小林弘幸著 朝日新書 2024年1月 第1刷発行)840円

 著者は「老後不安」―お金・健康・生きがい—をなくすたった一つの方法は、「老後をやめること」だと説く。そうすれば、老後ではないのだから当然、老後にともなう不安もなくなる。「老後をやめる」ことで、人生の後半戦がどれだけ豊かになるか、どうすればワクワクする毎日を送ることができるかということなど、「やりたいこと あふれる人生へ」のヒントを伝えている。

 △月×日

 ○『50歳からの読書案内』(中央公論新社編・発行 2024年1月初版発行)1500円

 “「人生一〇〇年時代」、五〇歳は後半戦のスタート地点です。五〇歳以降に読んだ印象深い本、あるいは若い時に出会い今も読み返している大切な本を教えてください”――—。その依頼を受けた50歳以上の書き手50人の面々が、「50歳からの読書案内」ということで思い思いの本をあげている。例えば歌人の俵万智は、“病を得た作家の心の道のり”ということで西加奈子の『くもをさがす』ほか。また漫画家の里中満智子は、“一生勉強しても飽きない心の財産”として『万葉集』、脚本家の中園ミホは、“名作の中には必ず名台詞がある”と和田誠『お楽しみはこれからだ』―—等々。

 △月×日

 ○『婦人公論 2024年2月号』(中央公論新社 2024年1月15日発行)920円. [特集]小さな幸せを見逃さずに 運を引き寄せる人になる 伊藤蘭・養老孟子・冨永愛他 [第2特集]老けない! 忘れない! 「脳トレ」チャレンジ 1日1問解くだけ 名医考案のドリルで「5つの能力」を活性化。[読み物]ライバルは自分自身 大地真央 紫式部の時代に没入して 夫の死を噛みしめるのは、大河ドラマを書き上げてから 大石静 42年ぶりに「トットちゃん」を書いたわけ 誰もが自由で、戦争のない世界を 黒柳徹子他。

 △月×日

 ○『自分だけを信じて生きる—スピリチュアリズムの元祖エマーソンに学ぶ』(副島隆彦著 幻冬舎 2024年1月第1刷発行)1600円

 著者は70歳になる少し前に霊魂(れいこん・スピリチュアル)に導かれて、女神さま—ギリシャ彫刻の女神(ゴデス)の姿のような—と出会ったという。以来、「自分の残りの人生をこの女神さまたちの霊魂とともに生きていく」と決め、「自分だけを信じて生きる」ようにしたそうだ。スピリチュアリズムとは何か、スピリチュアリズムの生みの親などが解説されている(私には馴染みのない世界観である)。

『おとなの週刊現代—2024Vol1 完全保存版「血圧」と「血管」の新しい知識』

(講談社)1000円

 週刊誌『週刊現代』の別冊。

 △月×日

 〇『「差別」のしくみ』(木村草太著 朝日選書 2023年12月25日第1刷発行)1800円

 差別とは何か、差別をする人はどんな行動をするのか、差別と憲法の歴史、なぜ差別者は「差別の意図はない」と言うのか? 憲法24条と家制度、合理的根拠のない区別、平等権と差別されない権利の違い、―—等々といった内容で法学者が徹底検証している。

 〇『人種差別の習慣―人種化された身体の現象学』(ヘレン・ンゴ著 小手川正二郎 酒井麻依子 野々村伊純 訳 青土社 2023年11月20日第1刷発行)2800円

 日常生活に知らぬ間に入り込んでいる差別―。日常に織り込まれたそれは差別される者にしか気づかれない。そういう意味では「意図していない行為の責任を考える」書か? 著者は中国系ベトナム人難民の娘としてオーストラリアで育ち、ニューヨークの大学で哲学博士号を取得している。

 〇『NHKテキスト 趣味どきっ! 読書の森へ 本の道しるべ』(日本放送協会NHK出版 発行日2024年2月1日)1320円

 2022年12月―2023年1月に放送された「趣味どきっ!」の再放送(アンコール放送)用のテキスト。読書というのは、「進めば進むほど奥深く」、「もっと奥へ、奥へ」と歩を進めたくなる森のようなものだという。そんな「森の歩き方」を、角田光代、福岡伸一、ヤマザキマリ、町田樹など合計8人の「本好き」たちが「読書の森の本の道しるべ」となって案内している。

 △月×日

 〇『あなたと学ぶジェンダー平等』(坂井希著 新日本出版社 2023年12月25日初版)1600円

 ジェンダーという言葉を目にするようになって久しいが、私はいつまでたってもその意味を理解しきれない(忘れてしまう)。だからその言葉が出てくる文章に出合うたびに、《ジェンダーってそもそも何?》から始まる。ジェンダーでさえもそうだから、それに「平等」が付いて「ジェンダー平等」となると、 「男女平等」と「ジェンダー平等」は違うのか? などといよいよ首をかしげるはめになる。

 〇『作家になる方法』(千田琢哉著 あさ出版 2024年2月14日 第1刷発行)

2500円

 著者は損害保険会社、経営コンサルティング会社勤務を経て独立。会社員時代の2007年に出版デビューを果たし、本書で179冊目という。代表作は『死ぬまで仕事に困らないために20代で出逢っておきたい100の言葉』(かんき出版)、『人生で大切なことは、すべて「書店」で買える。』(日本実業出版社)など。「準備ばかりしていると、寿命が尽きる」「たった一人、あなたの最愛の人に向けて書くといい」「タイトル+見出し≒99%、本文≒1%が、プロのエネルギー配分だ」「立ち読みした人が「おっ」と思うように書く」―—等々の思わず読みたくなる見出しが157個並んでいる。

 〇『キネマ旬報2月増刊―2023年 第97回 キネマ旬報ベスト・テン&個人賞発表』(キネマ旬報社 2024年3月5日初版発行)1540円

 主演女優賞(「ほかげ」により):趣里、主演男優賞(「PERFECT DAYS」等により):役所広司、日本映画監督賞(「PERFECT DAYS」により):ヴィム・ヴェンダース、日本映画脚本賞(「せかいのおきく」により):坂本順治、外国映画監督賞(「TAR/ター」により):トッド・フィールド。

 日本映画ベスト・テン第1位は「せかいのおきく」。私が昨年観てブログに感想を書き(2023年10月2日に投稿)ベスト・テンの3位以内に入るかもしれないと予想した「福田村事件」は惜しくも第4位。しかし大健闘。なお、外国映画ベスト・テン第1位は「TAR/ター」、文化映画ベスト・テン第1位は「キャメラを持った男たち—関東大震災を撮る—」。

  △月×日

 〇『私訳 歎異抄』(五木寛之著PHP文庫2022年第1版7刷)770円

 無人島に一冊だけ本を持っていくとすればそれは「歎異抄」―—。そう誰かが言ったとされる唯円の「歎異抄」を、作家・五木寛之が、もしかしたら「唯円が嘆く親鸞思想からの逸脱」かもしれないと、それを十分、承知の上で、「私はこう感じ、このように理解し、こう考えた」とあえて「私」にこだわり、つまり主観的な現代語訳を試んだという。

             三毛猫

 ハイハイ差別について考える

 ●ある日の新聞の夕刊・記事キラキラ

 新聞をじっくり読むことはほとんどありません。じっくり読んでいたらそれだけで1日が終わってしまいそうです。ですから、いつもパラパラと見出しに目をやる程度。夕刊となると、夜に見るテレビ番組を何にするかテレビ欄を眺めるぐらいです。  

 

 しかし、ある日の夕刊は違いました。1面に「ハンセン病 差別への教訓」という見出しが見えたからです(2023・7・29「朝日」)。いつもは、一応、1面を一瞥したあとすぐ裏面のテレビ欄に目をやりますが、このところハンセン病に関する文章を書いているためか「ハンセン病」の文字に引き寄せられ1面の記事が目に留まったのです。

 

 記事には、記者がハンセン病の元患者に取材をしその経歴が紹介されているのと、元患者が過去に差別を受けた者として例の新型コロナウイルスの感染が流行したときの状況をどう見たかということが書かれてありました。

                チューリップ赤

 本文をまとめたリード文にはそのエッセンスがこうあります。

 

 「未知の感染症から私たちは何を学んだのか――。新型コロナウイルスが流行し始めた当初、日本では感染者の出た県ナンバーの車を傷つけたり、『感染者が利用した』と飲食店がSNS上で店名が公表されたりといった事例が起き、感染者や家族、医療従事者への中傷も相次いだ。過去、差別を受けたハンセン病の元患者は「また同じことが繰り返された」と振り返る」

 

 最後の、「また同じことが繰り返された」の「同じこと」は、ハンセン病患者が過去に受けた差別のことをさしているのは言うまでもありません。

                 チューリップ赤

 ●Nさんの辛い過去ショボーン

 記者の取材を受けたNさん(89)は、瀬戸内海に浮かぶ長島にある国立ハンセン病療養所・長島愛生園(岡山県瀬戸内市)で暮らしています。

 

 Nさんは中学1年生の時にハンセン病を発症しました。当時、ハンセン病は恐ろしい病気と思われていたので、社会から隔離されて生きるしかありません。母と兄と奈良で暮らしていた14歳の夏のある日、学校から帰ると、Nさんは愛生園に入所することを聞かされます。

 

 突然やってきた肉親との別れ。餞別に母から巻きずしを持たされ、汽車に乗りました。母と兄が残った実家は真っ白になるほど消毒されたと、Nさんは後日聞きました。               チューリップ赤

 島に到着し収容所に入ったNさんは孤独と不安で、出された食事はのどを通らず、泣き続けました。母からもらった巻きずしを少しずつたべながら数日を過ごしました。

 収容されてから10年ほど経ったころ、結婚し子どもを授かった兄から帰省するよう連絡がありました。Nさんは園の許可を得て奈良へ向かいました。駅で迎えた兄は「旅館を用意している」と言い、家へは寄りませんでした。

 

 そして、食事をしていた店で兄に言われました。

 

 「子どもが大きくなるまで、家に帰らないでくれ」

                 チューリップ赤

 Nさんはそれ以来、家に帰ることはありませんでした。

 

 ●感染症による負の歴史を繰り返さないガーン

 日本では1931年に「らい予防法」が制定され、国はハンセン病患者の強制隔離を推し進めました。患者は、孤島や山奥など社会から隔離された施設に収容されました。1940年代にハンセン病の特効薬が確認され、ハンセン病は治る病気になっても、人目を避けて生きるしかありません。

 

 長島愛生園では、戦時中に約2千人が生活していました。1996年に「らい予防法」が廃止されるまで隔離政策は続きました。

 

 ・・・・病気による偏見や差別を繰り返させないため、Nさんは園を訪れた見学者に自身の半生を語ってきました。

                 チューリップ赤

 しかし、2020年に新型ウイルスが流行し始めた頃、患者や医療従事者までもが中傷されたというニュースを聞いたNさんは心を痛めました。

 

 「 これから先、新たな病気が出てくるたびに差別が生まれるのか。人間はハンセン病の歴史から何も学べていない」・・・・。

 

 そうした中で、ハンセン病の歴史を伝える活動に取り組むNPO法人ハンセン病療養所世界遺産登録推進協議会はコロナ下の2020年、メッセージを発信しています。

                 チューリップ赤

未知の感染症を正確に知り、正しく行動すれば、それに伴う偏見、差別と人権蹂躙は生れない社会の創造に寄与できる」とし、感染症による負の歴史を繰り返さないように訴えました。

 

 Nさんも「病気について正しい情報を知り、正しく行動してほしい」と話します。

                       (夕刊の記事を引用・参考させて頂きました)

                   ハイビスカス

 ■漫画『はだしのゲン』ラブラブを読むやぎ座 

        <49>

      麦よ出よ

 ●ラジオから重大放送が流れるショボーン

 輝く太陽の輪の中に・・・

 昭和二十年 八月十五日 の文字。

 場所は、広島県山県郡

 

 ジ~~ ジ~~ ジ~~ セミが鳴いています。ゲンのすぐ上の兄・中岡昭夫が集団疎開しているお寺の本堂の前に置かれたラジオに向かって数十名の児童が並んで立っています。そこで先生が、「きをつけ~~っこれより 天皇陛下さまの 重大放送がある みんな せいしゅくに きくんだ」と言います。

 

 「中岡 いったい なんの放送かのう」と昭夫の友。「しるもんか きいて みんことにゃ」。「めしを いっぱい くわせてくれるという 放送ならええのう」「ほうよ わしら まい日 腹の皮が 背中と くっつきそうにペコペコ じゃけえのう」

 

 「はじまったぞ」

             

 君が代が流れたあと放送が始まりました。「朕 ふかく 世界の大勢と 帝国の現状とに 鑑み・・・」「非常の 措置を以て 時局を 収拾せむと欲し・・・・」

               びっくり

 「おい 朕とは なんじゃ?」「ばかたれ 天皇陛下の ことじゃ」。「へ~~ おもしろいのう チンポの ことかと おもったよ」「ば ばかたれ そんなこと いったら 先生にぶんなぐられるぞ」

 

 放送が終わると、先生たちが涙を流し「ううう」「ううう」と泣いています。それをポカ~ンと見ていた児童らは、「おおい 先生たち みんな 泣きだしたぞ どうしたんじゃ」「おかしいのう いまの放送は そんなに 悲しかったかのう さっぱりわからんかったぞ」と訝ります。

               ショボーン

 「あのう・・・ 先生 どうして 泣くのですか」。「ばかたれ これが 泣かずに いられるかっ 日本は 鬼畜米英に まけたんじゃ 無条件降伏で 戦争にまけたんじゃ」

 

 「おかしいのう 日本は神国(しんごく)で 神さまの天皇陛下が まもっているから 戦争には かならず かつ!・・・ と先生は いつもいうとったのに」。「ばかたれっ それが まけたんじゃ ううう な なんてことだ 日本の勝利を しんじて どんなに苦しくても がんばってきたのに いきなり まけたと いわれるとは・・・」。「ううう」「ううう」             照れ

 やはり先生たちにポカ~ンとなった児童らはやがて気づきます。「お おい 戦争に まけたということは もう 戦争は ないこと なんじゃのう」「ほうよ」「ほいじゃ わしらは ここへ 集団疎開 せんでも ええんじゃ」「そうじゃ わしら おとうちゃんと おかあちゃんの ところへ かえれるんじゃ」

               口笛

 「ウワ——イ 広島の家に かえれるぞーっ」

 「ワ——イ 家にかえれるぞ」

 「バンザ——イ 元や進次や 英子ねえちゃん みんなと あえるんだ」

 「ワ——イ ワ——イ」

 

 そうなんです。昭夫は疎開していたから、弟の進次と姉の英子が家の下敷きになり火事で死んだことをまだ知らなかったのです。

 

 昭夫の友だちが言います。「ほいじゃが だいじょうぶ かのう 広島には 新型爆弾の ピカが おちて めちゃめちゃ だと きいとるぞ みんな 死んでいたら どうしよう」。

 

 昭夫は言います。「ば・・・ ばかたれ おどかすなっ だけど 心配じゃのう」。

 

 ●天皇陛下への怨みつらみを吐く君江ムキー

 ミーン ミーンミーン ジー ジー

 所は変わって、ゲン親子と隆太が住んでいる家の庭先です。母・君江がウチワを持って七輪の前にしゃがんでいるところへ、ゲンと隆太が「ハア ハア」息を弾ませて駆けて来ます。「おかあちゃん 戦争が おわったんじゃ そうな」とゲンが言うと、「日本は まけたんじゃ」と隆太が言います。

 

 それを聞いた君江は言います。

 「まったく ばかに してるよ! あたしら国民には なんの ことわりもなく 日本のためだ 天皇陛下の ためだと かってに戦争を はじめておいて こんどは 日本は 戦争にまけたから しのびがたきを しのび たえがたきを たえて がんばれだって・・・ええかげんに してほしいよ」

                炎

 夫の大吉と娘の英子が、ぺちゃんこになった家の柱に挟まって燃え盛る炎の中で抜けださせないで苦しい表情でいる絵(フラッシュバック)と共に、

 

 「いったい あたしらに なにが のこったんだい 家は やかれ とうさんたちは 殺されて!」。そして七輪の鍋の絵と共に、「あしたの ごはんさえ たべられない 苦しみだけが のこたんじゃ ないか・・・・」

 

 「まったく 日本人は おめでたいよ! 戦争で もうけるやつに すっかり おどらされて 天皇陛下を しんじて はだかに されて・・・・ 天皇陛下も かって すぎるよ・・・・・戦争に まけると わかったなら なぜ もうすこし はやく戦争を やめて くれなかった  のかね・・・・」

 

 ゲンと隆太は立ったまま黙って君江の話を聞いています。君江の話はさらに続きます。

 原爆が投下されて燃えさかる火の海の中で焼けただれた被災者の群れの絵(フラッシュバック)と共に、

               炎ゲッソリ炎

 「せ・・・せめて 一週間まえに 戦争が おわっていれば広島も長崎も 新型爆弾を おとされず なん十万の人たちが 死なずに すんだのに・・・ すでに 東京や 日本中の都市が B29で やきつくされて 日本が まけることは わかっていた はずなのに」

 

 「なん百万人もの 日本人の命を 犬死にさせた 天皇陛下を あ・・・ あたしゃ うらむよ・・・ 天皇陛下を 利用して 戦争を はじめて もうけ・・・ ぬくぬく 生きている 金持ちや 自分たちの ことしか 考えない 戦争の指導者を ひとりずつ 殺して やりたいよ うううう ほんとうに 戦争ほど ばからしいものは ないよ ばかをみたよ あたしらが・・・ くやしいよ くやしいよ ううう とうさんや 英子や 進次を かえして ほしいよ」

 君江は手拭いで涙を拭きふき話し終えます。

                 アセアセ

 「おばちゃん なくなよ なくなよ」と目から涙をこぼした隆太が優しく声をかけます。

 「ううう ううう」と手拭いを顔に当てた君江。肩に手をやる隆太。

 

 立ちすくむゲン・・・。

 

 ●大吉も日本人と天皇を批判していたムキー

 昭和20年8月15日は言うまでもなく終戦の日。『はだしのゲン』はこの日以来、戦後の物語に入っていくことになります。

 

 (ちなみに第1巻は原爆が投下された8月6日までの戦前の物語。第2巻と第3巻の大半は、その8月6日から、ラジオで天皇陛下の重大放送があった15日までの9日間で起こった物語ということになります。起伏に富みボリュームがあるので、9日間でそんないろんなことが起きたなんてとビックリしますが)

 

 そうした中で、先のようにゲンから戦争が終わったことを聞いた母・君江は、天皇陛下と日本人を批判します。

 

 国民に断りもなく天皇陛下のためだと戦争を始めておいて、負けたら、しのんで、耐えて頑張れとはなんだ。いいかげんにしてくれ。家を焼かれ、夫と子どもが殺されてしまった。明日のご飯さえ食べられない、苦しみだけが残ってどうしてくれるのだ。

 天皇陛下も勝手すぎるよ、戦争に負けるとわかったなら、なぜもう少し早く戦争をやめてくれなかったのか。それにしたって、まったく日本人はおめでたいものだ。戦争で儲ける奴にすっかり踊らされて、天皇陛下を信じて裸にされたのだから・・・・。

 

 先の君江のセリフを纏めるとそのようになるかと思います。

 もっとも、君江の天皇陛下への怨みつらみ、日本人への批判は、夫の大吉もすでに第1巻で行なっています。

               ムキー

 「国民食堂」の前で「はやく くわせてくれ」「おすな!」と押し合い圧し合いしている行列を見て大吉は、「戦争を おこしたやつは わるいが その戦争に 協力して ありがたがる 国民ひとりひとりも わるいんじゃ こんな ひどい目に あわされて・・・」と批判します。

 

 また、順番をめぐり大人どうしがケンカを始めると、「情けないのう 大のおとなが ぞうすい一ぱいで あのざまだ 戦争を 命令している やつらは うまいものくって ふんぞりかえっているのに もっともっと戦争でひどい目にあわされないと 目がさめない のかのう・・・ ケンカを しなければ ならない怒りを 戦争をおこしたやつらに むければいいんじゃ」と容赦ありません。

 

 そして、田舎の知り合いからわけてもらったイモを大八車に積み皆で運んでいる途中で警官に呼び止められて「きさまら 天皇陛下に もうしわけないと おもわないのか!」とイモを没収されたときには、

 

 「く くそったれ 警官のやつ 権力をかさにきて 弱いわしら ばっかりいじめやがる なにかといえば 戦争にかつためだ 天皇陛下のためだと ぬかしやがる天皇陛下も くそも あるものか わしら あすのめしが くえなくて 死にそうなのに・・・ 天皇陛下が めしがくえなくて 泣いたことがあるか!」と批判している。

 

 ●「天皇制打倒」を言った中沢さんの父ガーン

 ゲンの父・大吉のモデルは、中沢啓治さんの父である下駄の塗装業をしていたという中沢晴海(はるみ)さんです。その晴海さんも実際に天皇陛下に対して批判的な人だったそうです。その父について、中沢さんが『はだしのゲンはピカドンを忘れない』(1982年 岩波ブックレットNO7)で、戦死したと思っていたが生きていた伯父にまつわる話のなかで書いています。

 

「そのおじは、敗戦後、海軍から復員してきて、そして私の家に訪ねてきました。おじは、『出撃するとき、おやじさんからこんこんと説教されて、自分は心臓がとまる思いだった。天皇のために喜んで死のうと思ったときに、天皇制打倒などと言われて、びっくりした。そして、日本は負けるということを聞かされて出ていって、そのとおりになった。おまえのおやじのいうとおりだった』としみじみ話しました。

 

 私の父は、そんな頑固一徹な人間だったのです。私たちも、絶えずそういう説教を聞かされました。私が小学校へあがる一年前の記憶ですが、「天皇制のためにおれたちはめしが食えないのだ、こんなに苦しんでいるのは天皇制のためなんだ」と、父が私たちにいうのを、おぼろげながら覚えています。

 

 ●天皇陛下に怒りをぶつけた作者の体験ガーン

 そうした父の影響を受けた中沢さんの天皇に対する批判、日本人に対する批判も並たいていではありません。中沢さんは、1947(昭和22)年に体験した2つのことを『はだしのゲン自伝』(教育資料出版会)の中で怒りを込めて書いています。

 

 1つは、その年の冬休み中の元日のことです。その日、全校生徒が登校するよう強制されたそうです。

 

 「『登校すると紅白の餅がもらえる』と聞いて慌てて登校した。食い物につられて登校してみると、全校生徒が校庭に整列させられ、校長がモーニング姿で朝礼台に立ち、PTA役員や地域のボス、教師たちが前面に正装して並んでいた。

 

 『一同、東向けー、東!』東京の皇居にいられる天皇陛下に向かって新年の挨拶! 一同最敬礼!」と号令がかかり、全校生徒が深々と頭を下げた。担任が「よしっ! と言うまで頭を上げてはいけんぞっ!」と注意してまわった。

              ムキー

 私は、この光景にあ然としたのだ。父が天皇制がいかに恐ろしいものかを説いていたかは聞かされていたし、天皇の命令で戦争をはじめ、その結果として原爆で焼きつくされ、多くの人間が殺され、いまも負傷してのたうちまわって呻いている被爆者が大勢いるというのに、まだ懲りずに天皇をありがたがり、宮城遙拝を生徒に押しつけて喜んでいるとは! 

 

 校長や教師、地域のボスや父兄の、戦争に対する意識の低さに驚いた。私は、いまにも大声を出して『「おどれらっ! どこまでバカなんだ!』と怒鳴りたい気持ちを必死で押さえた。宮城遙拝が終わると君が代を斉唱して、各教室で紅白餅が配られた。

 

 解散しての帰り路で、私は一気に餅を食いつくした。早く糞にして畑の肥料にすれば、嫌な餅も役に立つと自分を納得させ、『朕、思わず屁をたれた。汝、臣民、臭かろう、鼻をつまんで退避せよっ! ギョメイ、ギョメイ!』と、子どものあいだで流行していた文句を大声で叫んで帰った。」―《以下略》

 

 また2つ目の、その年の12月7日の怒りは、中沢さんの脳裏に一生やきついたそうだ。

 それは、担任の教師から「明日は、天皇陛下様がわが広島市においでになる喜ばしい日だ! われわれ広島市民は、旗を振って心から歓迎するのだ!」と言われ、みんな日の丸の旗を作って「明日かならず学校へ持ってこい!」と言われたことだ。

               ガーン

 「またもや私は、あ然とした。『なんとおめでたい教師と市民たちよ!』と呆れ返った。広島市を焼け野原にし、住む家を奪い、肉親を殺し、苦しみだけを押しつけて、みずからは安全なところでのうのうとしている張本人をありがたがって喜ぶとは、なんとバカな教師だと軽蔑した。

 

 新憲法が発布されて、教師はさかんに戦争放棄の第九条に触れ、日本は軍備は持たず武力を行使することなく、平和を求めて努力する新しい国に生まれ変わったと教えたが、やっていることは旧態依然の天皇を神と崇めた軍国主義教育だった。

 

 『仏造って魂入れず』である。翌日、私は、『わが一家をめちゃくちゃにし、貧乏のどん底に叩きこんで、毎日呻いている原因をつくった張本人の天公にだれが旗を振るかっ!』と母に言って、旗を作らずに登校した。

 

 寒風が吹きつけるなか、手に手に自分の作った日の丸の旗を持った全校生徒が、相生橋のたもとの広島城がある基町側の川岸に整列させられた」。〈略〉

               ショボーン

 私は「天皇という人間を考えた。周囲の瓦礫のなかには無数の人骨が埋まっている広島。その場所に天皇はどんな気持ちでいるのだ。よくぞ平然と、この廃墟を見ていられるものだと呆れた。天皇は、人間の神経をもたない冷血人間だと思った。正常な人間ならば、自分が起こした戦争のもたらした罪深さに、車にのってのうのうと広島見物ができるものではない、廃墟を正視できるものではないと思った」。〈略〉

 

 「教師は、『万歳!』と叫んで旗を振るように号令をかけた。天皇が黒いコートに白いマフラーを首に巻き、ソフト帽を沿道の人びとに振っている姿が車窓から見えた。私の目の前を車が通り過ぎようとした瞬間、私は一気に飛び出し、天皇の首に噛みついて食い殺してやりたい衝動を覚えた。〈略〉

 

 『この野郎! よくも父と姉と弟を殺し、よくもわしらをどん族の生活に落としやがったなっ!』という怒りで全身が熱くなって震え、天皇を睨み続けた。

 

 そして、足元の瓦の破片をチビた下駄で蹴り上げたら、タイヤに当たって跳ねた。

 

 教師と生徒の打ち振る旗の波と『万歳!』の歓声のなかで、私は必死で怒りを押さえ震えていた。このときの光景が、いつまでも脳裏に焼きついて、私は、一生忘れられない。天皇に旗を振っている教師や市民がバカに見えてしかたがなかった。

 

 そして、日本人に軍国主義を叩きこんで洗脳した『教育』という化物の恐ろしさを思い知ったのだ。」《略》 

 

               OK              

 ・・・・・長くなってしまいましたが、こうして引用した中沢さんの激しい怒りの文章を読むと、

                

 先に見たようなゲンの母親・君江の、戦争終結を天皇の放送で知った後のセリフがなぜ天皇陛下や日本人に対する怨み節になっていたかが納得いくように思われます。

―続く

         チューリップオレンジふたご座ちょうちょパンダチューリップオレンジヘビちょうちょ

          2024年3月2日(土)

               おばけくん