【読書日記】名前の裏に隠された心理を科学する-「子供の名前が危ない」
おはようございます。
本日の1冊はコチラ↓
「子供の名前が危ない」 牧野恭仁雄 ベスト新書
あれ、これ何て読むんだろう?
そういう名前を見たことありますよね。
私も、ほぼ正確に読まれたことがありません。
読み方は正しいのですが、常用的には
まったく使われない漢字なので。
著者の牧野さんも「恭仁雄」と書いて
「くにお」と読むそうです。
こちらは、読み方も一般的ではありません。
本書では、珍しく奇抜な名前のことを
「珍奇ネーム」と呼んでいます。
最近、珍奇ネームが増えてきた背景と、
その影響を本書では解説しています。
ここで一つ、問題があります。
何をもって珍奇ネームとするか、です。
一般的と思われる名前でも、
世代によって傾向は変わってきます。
例えば、祖父母の世代によくある名前を、
今の子供に用いたらどうでしょうか。
違和感、ありますよね。
逆に、今の時代に一般的な名前を、
歴史上の人物で想像してみても・・・
まったくイメージが湧きません。
つまり、名前は時代によって変わり、
ある人から見ればおかしくても、
ある人から見ればふつうに感じる。
というのが当たり前です。
そこで、珍奇であるという定義を、
本書では次のようにしています。
ここでは、具体的な名前を用いて、
その良し悪しは取り上げませんが、
なんとなくのイメージを持っている
方も多いのではないでしょうか。
親が個性を発揮したいために、
子供の名前にそれを託す。
その結果、読み書きが困難となり、
不便が生じてしまう。
この点を問題視しているのです。
名前を何にするかは、親の権利です。
誰にも縛られることはありません。
でも、その名前は子供のためですか?
と珍奇ネームの氾濫に警鐘を鳴らしています。
実は、名前には大きな深層心理が
隠されていることをご存知ですか?
過去何十年もの名前の統計から、
著者はそれを実証しています。
この部分だけ読んでも面白いですが、
考えさせられることも多いです。
名前の傾向を追っていくと、
名前の種類が一気に増えた時期があります。
それは、昭和50年代です。
今の30代より若い世代ですね。
その親の世代は、多くが昭和30年代生まれ。
つまり、テレビが登場して、
情報が多様化していった時代です。
そして現代はインターネットが登場し、
さらに情報が多様化しています。
名前も同様に多様化しています。
このあたりの相関関係は興味深いですね。
しかし、すべての親たちが、
珍奇ネームを付けるわけではありません。
著者は次のように分析します。
ちょっとわかる気がしませんか?
いつの時代も、どんな人でも、
無力感や欠乏感、後悔などはあります。
ただ、それを子に託してはいけない。
名前で表現するのはちょっと違う。
著者の言い分も、もっともです。
名前に関する分析はとても面白く、
読んでいて参考になります。
名づけのことも解説していますので、
結婚・出産を控えた方にもおすすめです。
本日の1冊はコチラ↓
「子供の名前が危ない」 牧野恭仁雄 ベスト新書
あれ、これ何て読むんだろう?
そういう名前を見たことありますよね。
私も、ほぼ正確に読まれたことがありません。
読み方は正しいのですが、常用的には
まったく使われない漢字なので。
著者の牧野さんも「恭仁雄」と書いて
「くにお」と読むそうです。
こちらは、読み方も一般的ではありません。
本書では、珍しく奇抜な名前のことを
「珍奇ネーム」と呼んでいます。
最近、珍奇ネームが増えてきた背景と、
その影響を本書では解説しています。
ここで一つ、問題があります。
何をもって珍奇ネームとするか、です。
『すなわち、珍奇かどうかは、あくまで同じ時代に生きている人にとってどう見えるか、ということが重要になってくるといえるでしょう。』(P24)
一般的と思われる名前でも、
世代によって傾向は変わってきます。
例えば、祖父母の世代によくある名前を、
今の子供に用いたらどうでしょうか。
違和感、ありますよね。
逆に、今の時代に一般的な名前を、
歴史上の人物で想像してみても・・・
まったくイメージが湧きません。
つまり、名前は時代によって変わり、
ある人から見ればおかしくても、
ある人から見ればふつうに感じる。
というのが当たり前です。
そこで、珍奇であるという定義を、
本書では次のようにしています。
『本書で問題としているのは、漢字の読み方がまちがっていたり、一見してとても読むことができなかったりする不便な名前に限ります。あるいは、あまりに変わった名前であるため、一定層の人に不快感を与える大きな難点をもった名前です。』(P25)
ここでは、具体的な名前を用いて、
その良し悪しは取り上げませんが、
なんとなくのイメージを持っている
方も多いのではないでしょうか。
親が個性を発揮したいために、
子供の名前にそれを託す。
その結果、読み書きが困難となり、
不便が生じてしまう。
この点を問題視しているのです。
名前を何にするかは、親の権利です。
誰にも縛られることはありません。
でも、その名前は子供のためですか?
と珍奇ネームの氾濫に警鐘を鳴らしています。
実は、名前には大きな深層心理が
隠されていることをご存知ですか?
『名前にあらわれる世相とは、「その時代に強く求められながらも、手に入り難いもの」を指しており、その時代の欠乏感が名前を通して見えてきます。』(P73)
過去何十年もの名前の統計から、
著者はそれを実証しています。
この部分だけ読んでも面白いですが、
考えさせられることも多いです。
名前の傾向を追っていくと、
名前の種類が一気に増えた時期があります。
それは、昭和50年代です。
今の30代より若い世代ですね。
その親の世代は、多くが昭和30年代生まれ。
つまり、テレビが登場して、
情報が多様化していった時代です。
そして現代はインターネットが登場し、
さらに情報が多様化しています。
名前も同様に多様化しています。
このあたりの相関関係は興味深いですね。
しかし、すべての親たちが、
珍奇ネームを付けるわけではありません。
著者は次のように分析します。
『珍奇ネームにこだわる人の心のなかには、「自分はこうでありたかった」「自分にはこれがない」という無力感が働いています。その結果、ことさら名づけの基本を無視して脱線し、「世の中の常識なんかに左右されない」「自分の個性を発揮して名づけをしている」という逸脱した形をとることになるのです。』(P112)
ちょっとわかる気がしませんか?
いつの時代も、どんな人でも、
無力感や欠乏感、後悔などはあります。
ただ、それを子に託してはいけない。
名前で表現するのはちょっと違う。
著者の言い分も、もっともです。
名前に関する分析はとても面白く、
読んでいて参考になります。
名づけのことも解説していますので、
結婚・出産を控えた方にもおすすめです。
皆さんの応援で元気が出ます(´∀`)♪