桜が風と共に舞い散っていた。

なんとも春の光景だった。

散歩でもしたくなる、そんな季節になりそうな気がした。

悲しい夜は、もう人生最後にしたい。

エイプリルフールは、嘘のように苦しい時間を過ごした。

精神世界が停止したような。心がどこか入ってしまったような虚しさでいっぱいだった。

それも、エイプリルフールの風に流してしまおう。


悲しみの夜を乗り越えて、薔薇色の明日がやってくる。

そんな人生を、四月からは歩んでいきたい。

そういえば、ちょうどこの記事で、20投稿目だそうだ。

早いのか、遅いのか、それはわからないが、一度でも、何度でも、読んでくださったあなたがいてくれたから、沢山の言葉を届けることができました。

気持ちが伝わりにくいかもしれないけれど、これからも、まるでユキヒロさんが今すぐに話しかけてきそうなくらい、寂しくなくなるような文章を書いていきたいと思っている。

これは、紛れもなく自分自身に言い聞かせたいこと。

一日たりとも、いないことに慣れることがなかったのだから。

きっとこれからも、いない人生に慣れることはない。

終わってなんかないよ。

時はいつでも、蜻蛉。

蜻蛉。(カゲロウ)

陽炎という言葉もあるが、あえて虫の方にしたのも、風情があって良い。

しかし、陽炎の方も想起させるから、この曲は奥行きがあって素晴らしい。

高橋幸宏のソングライティングの底なしの才能がひたすら眩しい。



あまりに大切な存在を失って、初めて迎えたエイプリルフール。

すなわち、四月の魚。

「四月の魚」と書いて「エイプリルフール」

と読む。

四月の魚とは、高橋幸宏さんが最初で最後の主演を務めた映画である。

監督は、巨匠「大林宣彦」氏

大林監督が旅立たれて悲しんでいたのも、ユキヒロさんだったな。

今ごろ新作の話でも、あっちではしているのだろうか。


以前、ボクはInstagramというSNSで発信していたことがある。

特に有益な情報があるわけでも、特別美しい写真を載せているわけでもなかったが、唯一、文章だけはこだわって書いていたように、自分では思っている。

(実際は九割がただ長いだけの駄文だったのだが…)

そこで、一番最初に書いたテーマが「四月の魚」であった。

ちょうど待望のDVDが発売されたタイミングであった。

映画としての出来や、主演の演技力が、なんともB級作品と言われがちだった作品だが、ボクが持った感想は、まるで真逆だったから、何処かの誰かにそれを伝えたくて、無我夢中で、四月の魚の魅力を書いていた。

結局は自分の中の葛藤に勝てず離れてしまった場所だが、温かい言葉をかけてくださる方がいたり、同じ趣味や考え方を持った方に出逢えたら、間違いなく自分にとって通らなくてはならなかった場所だ。

初心に帰らせてくれる。

「四月の魚」はそんな想いも込められた作品なのだ。




ところで、四月の魚を知らない方に説明すると。

四月の魚とは、エイプリルフールに「魚の形のチョコレート」を贈る。といったフランス式のバレンタインのこと。

まるでユキヒロさんのためにあるかのような、お洒落でチャーミングなイベントのように思える。

魚。というのはいわば高橋幸宏の人生に常に隣にいた存在だから尚更だ。

だから、ボクはいつまで経っても、エイプリルフールは高橋幸宏のことを思い出すだろう。


映画の内容だが、詳しいあらすじ等は、以下を参照して頂きたい。


特筆すべきは、映像と音楽、そしてファッションであろう。

演技力という概念は、そこに存在せず、「高橋幸宏」という存在が、映画を成立させていたと思う。

とにかくユキヒロさんは何をやっても画になる。

紙袋を抱えて道を歩く姿さえ、高橋幸宏ならば美しい。

同時に、こんな人が日常に存在したならどんなに幸せだろうか、と不思議な気持ちになった。

何気ないシーンでどんなことを思うか、みんな違うから映画は面白いのだ。

ストーリーのある種のぶっ飛んだはちゃめちゃ具合よりも、ボクは間違いなく、高橋幸宏という存在がフィルムに残されたことが何よりも一番素晴らしいことであろう。

今年のエイプリルフールは、画面と現実の区別を未だつけることができず、四月の魚を観ることが叶わなかった。

紙袋を抱えて歩くユキヒロさんに会いたかったな。


その時の写真。

フランス映画さながらな佇まいである。


四月の魚。

曲すら、聴くことができなかった。

無理もない、同タイトルの主題歌「四月の魚」

は日本語とフランス語で織りなされるユキヒロワールドが心地の良いロマンチックなナンバーなのだから。







いつにも増して、ユキヒロヴォーカルが儚げでどこまでも優しい、そんな曲を聴いてしまったら、、、いつまで経ってもサラヴァ。できないじゃないか。

代わりに、四月の魚のジャケットを飾った。

隣にサラヴァサラヴァのLPを並べて。


ボクの脳内の時空は、一月の二十日くらいで止まっている。

まだ何が起きたのか、わからないんだよね。


三月の最後には、ユキヒロさんの声を聴いた。

ラジオの前での出来事だった。

ラジオでオンエアされた、貴重な音源。

高橋幸宏+ムーンライダーズ「9月の海はクラゲの海」

サエキけんぞう氏がおっしゃった。

「幸宏さんは歌に対してすごく厳しい」

高橋幸宏は、間違いなく唯一無二のヴォーカリストだった。


ユキヒロさんの話す声を聴いていると、聴いてる方まで幸せな気持ちになれる。

普段ストイックでナイーヴな音楽をやっているが、話している声は、どことなく楽しそうだ。

声のトーンも、話すテンポも、歌声と同じで心地がとても良い。

大袈裟でなく、永遠に聴いていたいと思えるおしゃべり。それが高橋幸宏という魔法なのだろう。

これから先、新しいユキヒロさんの声が聴けないなんて、、現実という悪夢から逃げ出してしまいたい。

ラジオ番組の中で、兄の高橋信之さん(ノブさん)がおっしゃっていた。

「幸宏の写真に向かって毎朝おはよう。って言う。それだけでいい。」

なんで素敵なお兄さんなのだろう。

先程書いた、「何気ない幸せ」が、一番かけがえがなくて、美しいのだと。

このノブさんのお話を聞いて改めて感じた。

朝にはおはようと言って。

帰り道を共に歩き、夜にはおやすみという。

これが幸せというものなのかもしれないな。

人生に彷徨った大人の独り言と思っていただけたら幸いです。

ちなみに、本当の独り言を言うと、エイプリルフールの日、偶然検索で、失くして心にポッカリ穴が空いて、思い出しては涙しそうになるくらい大切だった物を見つけた。

来る日も来る日も探していた物だったから、動揺を隠せなかった。

声をかけようと思ったが、自分にはそんな勇気はなかった。自分にとって大切なものは、きっとその人にとっても大切なのだろう。

そう考えたら足がすくんだ。

その相棒のような心の友のような存在だった物と、もう一度出逢える可能性は、もう0%だと思っている。

1%の奇跡を望むことすら、今は心が許さない。

いつになったら心に平和が訪れるかな。


1%の関係

これがどれほどの奇跡なのか、ボクはまだ知らない。




四月になった。

これからはもう少し、ブログを書いていこうかと思っている。

例え誰も読んでいなくても。

この言葉で知らない誰かに想いを伝えられるのが幸せだから。





最後に、エイプリルフール前に放送したラジオ番組を。


特別番組「サラヴァ、高橋幸宏~感謝を込めて音楽を」 TOKYO FM 2023/3/31(金) 23:00-23:55 https://radiko.jp/share/?t=20230331230000&sid=FMT #radiko #高橋幸宏 #坂本美雨 #音楽との出会いが楽しめる



最後までお読みいただきありがとうございました。

ではまた、四月も同じ場所でお会いしましょう。