産経新聞、『正論』こそ「劣化」が連鎖しているのではないか。 | 府中の元気・杉村康之の 「ハッキリYES、ハッキリNO」

府中の元気・杉村康之の 「ハッキリYES、ハッキリNO」

初めて議員になった時、びっくりしたことが3つ
一つは、議会なのに議員同士の議論がないこと
一つは、議会自らが条例をつくらないこと
一つは、審議の前に予算への賛否を聞かれたこと
二元代表制の地方議会では是々非々が筋
だから僕は「ハッキリYes! ハッキリNo!」

もう何年もどの新聞もとるのをやめてしまったが、以前は産経新聞を読んでいたこともあった。その頃、『正論』はかかさず読んだし、特に桜田氏の文章は切り抜きもした。今回ネットの検索でたまたまヒットしたので久しぶりに読んでみた。内容はタイトル通り「劣化の連鎖の果てにできた小沢新党」への批判である。産経新聞も『正論』の執筆者も(なぜかいまいちわからないが)小沢嫌いが多いから、このような内容になるのは仕方がない。それぞれのお考えだと思う。

ただ一つだけ気になったことがある。

 小沢は政党を創っては壊してきたが、イギリスの二大政党は100年以上の歴史がある、という件である。政党の歴史の厚さに違いがあることは確かだが、日本の二大政党制は始まったばかりだ。そのことは日本の民主主義がまだ定着しておらず、本家イギリスのそれに比べて100年以上遅れているということを示しているにすぎない。それが小沢のせいではないことくらい櫻田氏もわかっているだろう。それになのに、このことを小沢批判に結び付けているあたりが、産経新聞、『正論』の「劣化」と感じてしまうのである。

今、新聞が本来まじめに考えるべき課題は、小沢云々などではなく、
「なぜ民主主義が定着しないのか」、ということではないのか。

 毎週金曜日に官邸前に集まっているデモは、政党や労働組合が動員したものではない。ここに集まった人たちは、自分たちの声が政治に反映されていないという想いを持っている。以前は、仕方がないとあきらめ、泣き寝入りしていたが、3・11以後、そうではいけない、何か自分にできることはないかと考え、わざわざ官邸前まで、子供を連れてまで集まってきたのだ。『正論』に記事を書くような有識者といわれる人たちは、


このデモこそ、議会制民主主義が機能していない、政治が機能していないことの証左


 だとまず謙虚に認めるべきだと思う。

 国民の声を聞くことをポピュリズムだと勘違いする人もいるが、国民の声を聞くとは何でもかんでも国民の言うとおりにすることでは勿論ない。財務省や有識者の提案も国民の声もそれぞれ真摯に耳を傾けたうえで、政治家が自らの見識に立って決断する、ということである。別の言い方をすれば、結論ありきの思考停止はダメですよ、ということだ。

 自民党も、今の民主党も、そういう意味で機能していない。財務省の結論を鵜呑みにしている。櫻田氏が、「新党」への幻想は捨てよという気持ちはわかるし、幻想は捨てた方がいいと私も思う。しかし櫻田氏はどうしたいのか。『正論』の執筆者である櫻田氏は、民主党がいいとは決して言わないだろう。では自民党が民主主義を機能させられるのか。官僚の言いなりは自民党が元祖だ。新党かどうかは別にして、自民党でも今の民主党でもない何かが必要ではないか。国民もそれを感じているから、何度裏切られても既成政党よりは新党がましだと思うのだ。その元を語らずに新党への幻想を止めよといったところで、お仲間にしか通じないだろう。

 そうはいっても、産経新聞や『正論』の執筆者たちは消去法で自民党に幻想を抱くのだろう。それはおそらく民主主義を信じていないからだ。彼らは端的に言えば国民をバカだと思っていて、自分たち有識者や官僚が正しく、その通りに政治が動けばいいと思うのだろう。財務省の考えと同じである。


しかしそうだとすれば、そのこと自体が「劣化」である。