雷が鳴った時、「クワバラ、クワバラと唱えると雷が落ちない…。

これは、和泉市桑原町にある西福寺に残される有名な伝承に由来します。
昔、井戸に落ちたカミナリを桑原の村人が蓋をして閉じ込め、それ以来、桑原の地にはカミナリは落ちない。よって「クワバラ、クワバラ」と唱えるというものです。

この西福寺は、東大寺を再建した「(俊乗坊 シュンジョボウ)重源」が中興の祖と言われています。地元の方からは、スイジョボさん俊乗坊のナマった形)の愛称で親しまれています。

重源上人と地域の関わりは深く、宋から水仙の球根を持ち帰って桑原の村人に栽培方法を教えたと言われています。
その甲斐あって、和泉市の花は水仙であり、今でも桑原町は花の産地として知られます。
また、農業の発展のため谷山池(和泉市青葉台の山側、はつが野4丁目・松尾寺の横に位置)の造築に携わりました。
造築に使用する鍛治を作る職人を讃岐地方から呼び寄せたことから、谷山池の近くには、鍛治屋町という地名が今も残り、「讃岐」姓の方が多く住んでいます。

※重源上人と和泉との関わりは西福寺ホームページや、下記のブログにも詳しく書かれています。



さて、前置きが長くなりましたが本題はここから…。
実はこれまで、お寺には重源上人を祀る「俊乗堂」しかなく、この度、住職の強い思いが実って本堂が建立、落慶法要となりました。
私は、桑原に住む従兄弟や親交のある住職とのご縁で参加させていただきました。

さて、本堂は岐阜県にある亀山建設(株)さんが中心となり、重源ゆかりの東大寺と同じ建築様式(大仏様)で建てられました。



本堂の中央には、阿弥陀如来が配置されており、作製された仏師の辻村桂祥氏によって「筆入れ?」の儀式、法要が営まれ、開眼となりました。
ちなみに、仏師の辻村氏は和泉市在住で、桑原町のだんじりの纏(カミナリ)も作製されています。


木曽檜の寄木づくりで作られた阿弥陀様はとても大きく、完成まで2年を要したとのこと。


本堂には、辻村氏が作製したカミナリも置かれていました。だんじり纏の見本に製作されたそうです。

落慶法要は約30分で終了し、最後は吹角隆光住職からご尽力された方々に感謝状が送られました。

法要後に住職と話をすると「これからまだ、門や三重塔も作りたい。完成までには100歳を超えるし、三重塔の建設には20億は要るので、しんどいけど頑張ります」と力強く語っておられました。

ちなみに住職は、御歳90歳。その思いに敬服いたしました。


こちらは、お寺にある雷井戸。
「昔は境内の別の場所にあって今よりも浅かった」と村の人が教えてくれました。


そしてこちらは、もともと本堂の場所に建てられていた俊乗堂。本堂建設にあたり、隣に20mほど曳家されました。


カミナリが落ちない伝承が残る桑原町西福寺ですが、今は「落ちない寺」として受験の合格祈願に訪れる方が後を絶えないとのことです。

最後に、吹角住職からこのような本をいただきました。
挿絵はとても有名な仏画家、和泉市万町に住む藤原佑寛先生。


まだ読んでおりませんが、住職の思いや、重源上人がこの地域に与えたことが書かれているとのこと。

この地域の歴史や伝承を通じて、私たちのルーツ、昔の方の営み、自然と共生を知り、これからの活動の一助にしたいと思います。