障がい児育児で感じた想いを綴った

発達ゆっくりさんの詩(うた)

 

ゆっくり先生(自閉症6歳次男)が

卒園するまでに完成させることを目標に

50音順にチャレンジ中飛び出すハート

      


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【発達ゆっくりさんの詩『お』】

 

〜「おかあさん」 呼んでくれる日は くるのかな?〜

 

 





 

 

ゆっくり先生(自閉症6歳次男)が、

「おかあさん」と言ってくれたのは、

2020年4月15日。4歳5ヶ月でした。

 

 

 

ポツポツと言葉が出始めたのがその数ヶ月前。

 

 

 

それまでは、

「この子は一生喋れないかもしれない。」

と、本気で思っていました。

 

  

 

喋れるから幸せ?

喋れないから不幸?

そうではないことは、よく分かっていたつもり。

 

 

 

私は喋れるけれど、

イジメられたこともあるし、

逆に人を傷つけてしまったこともある。

 

 

 

だから、喋る喋らないにフォーカスするのはやめよう。

 

 

 

そう思っていたのに、一度だけ夢の中に、

流暢に話すゆっくり先生が出てきて、

なんとも言えない不思議な気持ちになりました。

 

 

 

今のゆっくり先生が、

私の知ってるゆっくり先生だから、

同じ顔をしていても、全く別の人を見ているような感覚。

 

 

 

でも、障がいが無ければあんな感じなのか…

 

話せたら将来の選択肢が広がるのにな…

 

気持ちがもっとわかってやれるのにな…

 

と心の中にあったものが出てきてしまい

それと共に罪悪感が湧いてきました。

 

 

 

なんだかまるごと受け止めてない気がして、

ゆっくり先生を否定しているようで、

申し訳ない気持ちになったんです。

 

 

 

さらに、もし言葉が話せるならと考えたとき、

 

「おかあさん」って言ってほしい。

 

と、一番に頭に浮かびました。

 

 

 

「おかあさん」よりもっと

人とコミュニケーションをとるために

必要な言葉がたくさんあるのに、

 

 

 

私は私のエゴだけで

「おかあさん」と呼ばれたいと願ってしまう…。

 

 

 

そのことにまた罪悪感…。

 

 

 

だから、「おかあさん」と呼んでほしい!をはじめ、

 

お友達と楽しそうに近所を走り回ること。

 

ランドセルを背負って登校班で学校へ通うこと。

 

クラブ活動に励むこと。

 

自ら目的をもって学校へ進むこと。

 

社会に出てバリバリ働くこと。

 

恋をすること。

 

結婚して新しい家族をつくること。

 

 

 

そういう「当たり前」にやってくるものだと

思い込んでいた未来予想図を小さく小さく畳んで、

心のクローゼットに仕舞い込みました。

 

 

 

当たり前と思わなければ、

勝手に期待しなければ、

傷付いたり、落ち込んだりしないから…。

 

 

 

でも、ある日、

野球盤で遊んでいたゆっくり先生が、

パーツを上手くはめられなかったらしく、

「おかーしゃん、おかーしゃん」と、

癇癪を起こしながら喚き散らしていたのです。

 

 

 

私の方には向いていなくて、

私に言ってる感じがしない…。

 

 

 

のび太くんが困ったときに、

むやみやたらに「ドラえもーん!」と

言っている感じにちょっと似ている。

 

 

 

困ったときの合言葉的な立ち位置の「おかーしゃん」。

 

 

 

感動的な初めての「おかーしゃん」とは

ちょっと違いましたが、

(いや全然ちがったな笑。想像の斜め上爆笑

 

 

 

こうやって、

心のクローゼットにしまった未来予想図を、

ゆっくり先生がいつ間にか出してたり、

 

 

 

仕舞ったものとは全然違うものを持ってきたりして、

 

「これいいでしょ♡?」

 

と見せてくれるのかもしれないな…

とぼんやりと思いました。

 

 

 

それは最初に描いていた当たり前の

未来予想図ではないかもしれないけど、

きっとゆっくり先生の魂を震わせて生きるための

未来予想図なんだろうなと思います。

 

 

 


#発達ゆっくりさんの詩