北海道ツーリング顛末記(その4)/善後策を練る為に宿を目指す | 直球オヤジの自由奔走生活

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座右の銘は「"行きたい"、"やりたい"、"欲しい"と思った時が"その時"」。55歳で早期退職し、高齢者と呼ばれるまでの今が"その時"。趣味のバイクや自転車は年齢的に待ったなし。エコノミーな生活で趣味を楽しむ。これをどう追い求めるかが、このブログのメインテーマです。

満身創痍のバイクと左手がほほ利かなくなった私は、再び走り始めた。さて、これからどうするか。


携帯電話が繋がらない、そして交通量はほぼ皆無の現場にいても何も解決しない。まずは人里を目指し、ここから最も近いオホーツク海沿岸の町、浜頓別にハンドルを切った。


ハンドルは少し曲がってしまったが、さほど支障はない。バックミラーは左右とも緩んでしまい明後日の方向を向いてしまったが、左手の力が入らず工具が使えない。だからバックミラーを外してしまったが、交通量はほぼ無いので支障は無い。問題はクラッチ操作。左手の指は動くが、全く力が入らず握れない。しかしレバーに指を掛け、腕全体で引っ張れば操作できる。もちろん頻繁にそしてスピーディーかつ微妙な操作はできないが、これまた交通量が少ないおかげでこれで何とかなった。


そんな状態でも時速70キロ程度で走行でき、しばらく走ると浜頓別郊外に近づき牧場もチラホラ現れた。さて、このまま浜頓別へ行くか。迷う。今回のツーリングは続行不可能なことは確定だ。では、どうやってこの旅を収束させるか。傷んだバイクはどうする、左手が利かないこの体でどう移動する、重い荷物もあるなど、考えねばならないことは多い。


その日の宿は予約済だった。事故現場から約120キロほど走ってそこまで行く予定だったが、最短ルートに変更すれば60キロほど。2食付の温泉ホテル(とはいえ8000円ちょっとのリーズナブルな宿だけど)。浜頓別へ行ってもそこで改めて宿を探し見つけるのは、この状態では至極難儀だ。ならばちょっと走らねばならないが予約している宿まで走り、そこで落ち着いて善後策を考えた方がいいと判断した。浜頓別の市街地手前でその決断をし、私はそこから50キロ先の山の中の小さな町、歌登町の温泉ホテルに方向を変えた。


宿までの道程は気が張っていたのか辛くはなかった。そして約1時間走り、宿に到着!ホッ。ようやくバイクから降りられる。その時、右の脇腹から背中に掛けてビリビリと電気のような痛み、激痛が走った。事故直後には全く感じなかったこの痛みは何だ?!。不安は一気に高まった。これからどうするか。


ボロボロガタガタの体を引きづって何とかホテルのカウンターにたどり着いた。チェックインカウンターで手をカウンターの上に置いたら、グローブをしていたのに手の甲があっちこっち擦りむけており血だらけで、骨折のせいなのか手のひらの厚みが1.5倍位に腫れ、係の人が心配してくれた。事情を話すと北海道ではよくある事故で、すぐに事態を理解されたようだ。


苦悶に顔を歪めながらもチェックインの手続きを済ませ、部屋にたどり着いた。この瞬間、安い和室を取ったことを悔やんだ。客室の三和土(たたき)に入ると、体中が痛く、ちょっと体勢を変えようとすると激痛が走り、体をかがめてブーツも雨具も脱ぐことすらできない。成すすべ無く、三和土の隅で壁にもたれてへたり込んで動けなくなってしまった。


その後の悪戦苦闘が最大の山場となった。