毎日マジで飽きずに内観
基本は自分の内観だけど、
日常の中で人を見る事が多くなりました。
生活の中で関わりがある人たちです。
つい先日も矯正歯科で、
次回から担当医が変わると告げられて、
サヨナラする先生の最後の調整は、
いつもと様子が違ってて、
妙な力技を繰り出してました。
ギン(´・ω・)
「なんか先生、寂しいのかな…」
新担当医が次回予約を入れてる間に、
サヨナラ先生に話しかけました。
ギン(´・ω・)
「先生の診察は今日までなんですね」
サヨナラ先生(´∀`)
「そうなんです。初診から担当させて貰ってて二年くらいでしょうか」
ギン(´・ω・)
「いきなり変わるんですね」
サヨナラ先生(´∀`)
「そうなんですよ。僕も最後までと思ってたんですけど」
ギン(´・ω・)なるほど
「なんか寂しいけどお世話になりました」
サヨナラ先生(´∀`)キャッキャッと喜ぶ
「いえこちらこそ、有難うございました!」
そりゃあさ、大学病院だから、
担当が変わる事はよくあるし、
診断決定してる偉い先生は二回変わってます。
サヨナラ先生は現場担当。
だからって、
その度に寂しがるのは子供っぽいだとか、
ドライな切り替えがプロだとか、
割り切りは賢さであるべきとか、
別れにくらい慣れるべきとか、
そんなマインドセットは、
宇宙のゴミ
「また次回」がない今日に、
今を色濃く感じた訳で、
相手のシグナルをスルーするほど、
私は終わってなかったと思えたし、
話しかけるタイミングも、
感謝を伝え合うスペースも、
不思議なほどピッタリ。
寂しいけど、という一言が、
最後まで、という思いを消化して、
最後はお互い笑顔で挨拶をして、
内観技術はこんな風にも使えるんだと、
晴れ晴れとした気持ちでした。
帰りの車内~
ギン(´・ω・)次回はどうしようかな
「新担当は脳内音声を公開してたのが気になる」
「こういうのって本人は無自覚なんだって最近やっと気付いたしなぁ…」
「本人が知ったら卒倒しそう」
なぜかサトラレ(脳内音声を人に公開してる人)は
自分がサトラレである事に無自覚です。
そんな滅多にはいないし、
会っても5年に1人くらい。
原因は思考の暴走痕跡かなと思う。
焼き切れたままだから音量が馬鹿になってる。
特に医師界隈の努力集中は桁違い。
まま、人の事はいいんだけど、
もう担当変わらないで欲しいなと思います。
聞こえる私がおかしいって話は、
百回聞いたのでもういいです。
next(∩∀・*)