自分がどういう目つきで生徒を見ているかを考えたことはあるでしょうか。
ここ数年間、さまざまな生徒とさまざまな関わり方をしていくうちに、生徒に向ける〝まなざし〟も実は生徒との関係を築いたり生徒を指導したりするうえで重要あるということに気づいたのです。
それから僕は意識して〝まなざし〟を使い分けるようにしています。
どんな生徒に対しても、余計な口出しはせずに見守るというのが、僕の基本的なスタンスです。
(出しゃばって教師主導になる場面もたくさん見てきましたが、そういうのは生徒の主体性を奪うだけなので、僕はしません。)
命に関わる危険な行為や人権を侵害するような発言をしなければ、たいていは寛容な態度をとっています。
だから、生徒に向ける〝まなざし〟には、「僕は常にあなたことを見守っているよ」というメッセージを込めているつもりです。
ときどき、わざと生徒をじーっと見つめることもあります。
そうすると、たいていの生徒は「何で見ているんだよ」と言いながらも、どこか照れくさそうな表情を見せてくれます。
生徒は構ってほしいのである。自分のことを見てほしいのです。
だから、「常にあなたのことを見ていますよ」という〝まなざし〟を向ける。
これを継続するだけでも信頼関係ができます。
このように〝まなざし〟の使い方ひとつで生徒との関係も違ったものになってきます。

生徒は、思っている以上に教師の目つきに敏感です。
温かい〝まなざし〟を向ければ、相手も心を開いてくれる。
敵対的な〝まなざし〟を向ければ、相手も身構えるか、応戦モードになる。
常に不機嫌な目つきをしている人は、近寄りがたい印象を与える。
このように〝まなざし〟の使い方で相手に与える印象が変わってきます。
大人が感じているように、生徒も同じことを思います。
目つきが悪い教師を見ると、距離を置こうとしたり、何らかの前触れだと捉えたりします。
教師といえども人間ですから、機嫌の良しあしは表情にも出るでしょう。
それすらも読み取るのだから、〝まなざし〟には気を付けたいですね。
例えば、「お前のことを常に見ているからな」というメッセージを発している〝まなざし〟は、生徒に恐怖感を植え付け、委縮させます。
クラスを制圧しようとするタイプに多い〝まなざし〟ですが、もちろん、これでは心の距離が縮まるはずがありません。
ちなみに、「見守る」と「監視する」は全く別物ですが、これが分からない人もいる。
本人は「見守る」つもりであっても、生徒にとっては「監視」と感じることがあるようです。
逆に、「見守る」ふりをして、「監視」している場合でも、生徒はそれを見抜きます。
「監視されている」と感じたら、頭のいい生徒は場所を変えるか、こちらの意図を見抜かれないように行動するようになります。
とはいえ、「監視」は窮屈。
やはり、温かい〝まなざし〟で見守れる雰囲気のクラスにしたいものです。
クラスの雰囲気が良くなれば、おのずと〝まなざし〟も温かいものになるし、温かい〝まなざし〟でいっぱいにすれば、クラスの雰囲気も良くなるのではないでしょうか。
〝まなざし〟を使い分けることも教師の重要な資質の一つなのではないか、と最近考えるようになりました。
明日から、〝まなざし〟の使い方を意識してみてはいかがでしょうか。