ロック界で最も知られた日本の玩具 | 鳥肌音楽 Chicken Skin Music

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この間の日曜のお昼すぎにぼーっとTVを眺めていたら「アタック25」で会津の「赤べこ」についての問題が出題されていました。”赤べこかぁ”とひとりごちながら、以前から調べようと調べようと思っていたことを調べてみることに。

それは英国のRSOレコードのこのロゴ・マークについてです。どう見ても「赤べこ」。なんでイギリスのロックのレコード会社が日本の田舎のおもちゃである「赤べこ」なの?それともこれは「赤べこ」とは違う何かなのか。




早速、米ウィキで検索をかけると簡単に見つかっちゃいました。答えに行くそのまえにRSOレコードについて簡単にご説明を。

RSOレコードはオーストラリア生まれのプロモーターであるロバート・スティグウッドがロックン・ロールとミュージカルのためのレコード会社として1973年3月にスタート81年までつづいた英国のレコード会社です。ロバートはクリームとビージーズのマネージャーを務めていたほか「ヘアー」や「ジーザス・クライスト・スパースター」といったロック・オペラの製作にかかわっており、会社設立時に所属していたのはビージーズ、エリック・クラプトン、イヴォン・エリマンといった縁故のあるミュージシャンたちでした。

レーベル最初のアルバムはおそらくはビージーズの『ライフ・イズ・ア・ティン・キャン』だと思われます。



国内盤の帯に「アレンジャーが替わり、レコーディングがアメリカに変わった意欲作!」というコピーが書かれていますが、このアルバムからしばらくアリフ・マーディンがプロデュースを担当することになります。アリフの起用はRSOのアメリカでの販売元アトランティック(レーベルはアトコ)の社長アメット・アーティガンの示唆によるもののようで、アリフが英国で成功させた白人のファンキー・バンド=アベレージ・ホワイト・バンドの成功の二番煎じを狙ったようです。

しかし、wikiによれば「マンネリ化した従来のストリングスサウンド(1967年~ステージではバックに30人編成から成るストリングス・オーケストラを付けていた)からリズム主体のファンキーなサウンドへと脱皮を図ったものの、ファンからは「売れるためにサウンドを変えた」と猛反発され、翌1974年のアルバム『ミスター・ナチュラル』も不発に終わる。」と思ったような結果は得られなかったようです。

しかし、どのみち人気は凋落気味でしたからオールド・ファンの意見は気にしてられないということなのかアリフのプロデュースは続き1975年のアルバム『メイン・コース』からシングルとなった「ジャイヴ・トーキン」が見事に全米NO.1を獲得しビージーズは完全復活をします。



一方のエリック・クラプトンもクリームでの栄光、デレク&ドミノスでの成功の後ドラッグ禍に陥りキャリアを棒に振りそうになったところをピート・タウンゼントら友人の助けもありライヴへの復活を果たし、再起作が待たれている状況の中でのRSOとの契約でした。



ロバートは気候の良いマイアミのクリテリア・スタジオを押さえ、ゴールデン・ビーチのオーシャン通りの一軒家をクラプトンに与えクラプトンにリラックスした状態でレコーディングに臨めるように万全の手配をします。そのかいあってかアルバムにさきがけてシングルカットされたボブ・マーリーのカバー「アイ・ショット・ザ・シェリフ」が見事に全米1位を獲得。そして素晴らしいレコーディング環境を手配してくれたローバートに対する謝辞の気持ちもあったのか、一軒家の番地をそのままタイトルにしたアルバム『461オーシャン・ブールバード』も全米1位(オリコンでも8位)を獲得と、こちらもビージーズ同様に完全復活を果たすこととなります。ロバート・スティグウッドって再生屋という感じですね。




大ヒットした「アイ・ショット・ザ・シェリフ」でクラプトンのボーカルように歌っているのがイヴォンヌ・エリマンでした。ハワイ生まれ、日本人の母と英国人の父をもつイヴォンヌは60年代末にロンドンに渡り生活のためにクラブで歌っているところをティム・ライスとアンドリュー・ロイド・ウェバーに見出され彼らの出世作である「ジーザス・クライスト・スパースター」でキリストに次ぐ重要な役柄であるマグダラのマリアに大抜擢され、「私はイエスがわからない」などのヒットを得ます。71年にブロードウェイで上演された際に後にRSOの社長となるビル・オークスと恋に落ち結婚、その縁もあってかRSOの所属となります。初期には大ヒットと呼べる曲はないのですが、クラプトン・バンドの歌姫として日本に紹介された『ライジン・サン』(日系ゆえのタイトル?)は選曲の良さもあって当時愛聴いたしました。



70年代半ば以降はなんといっても『サタディー・ナイト・フィバー』の大成功をきっかけに『グリース』『スパークル』『スターウォーズ帝国の逆襲』『ジェダイの復讐』『タイムズ・スクエア』『フェーム』といったサントラでの大ヒットも続き70年代に最も成功したレコード会社となります。

ところが順風満帆と思われたRSOですが、78年、ビージーズとピーター・フウランプトンというスパースターを主役にした『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』をオールスターキャストで映画化したのは良いのですが、これがとんでもない大ゴケとなり莫大な負債を抱え込むこととなります。その後ビージーズとも契約を巡って裁判沙汰になるなどゴタゴタが続きヒット作も減っていきます。そんなことで嫌気がさしたのかロバートは81年にはRSOから手をひいてしまいます。忘れていましたが、RSOという会社名はロバート・スティッグウッド・オーガナイゼーションの略でもちろんロバートあっての会社ということで船頭を失くした船は後は沈むのみということで83年にはポリグラムに吸収する形で会社はなくなります。



簡単にといいながらRSOの説明が長くなってしまいましたが、何故レーベルのロゴが会津の「赤べこ」になったのかでしたね。

米ウィキを見ると2001年のビルボード誌へのインタヴューということで次のような内容のことをロバートが語っています。

私はザ・フーとともに日本に居て、インディーズのレコード会社としてのRSOの立ち上げを決意していたんだ。デザイナーにレーベルのロゴを考えさせていたんだけど出てきたのはどれも気に入らなかったんだ。ある日本の友達が張り子の牛をくれたんだ。それは健康と幸運のシンボルなんだそうだ。私の書斎のマントルピースに置いていたんだけど、ある日思ったんだ「健康と幸運」こいつはいいぞと。それでRSOのロゴに決まりさ。


元ネタは日本の友達からプレゼントされた「赤べこ」だったというわけですね。なるほどヤク中だったクラプトンが「健康」を取り戻し、全米NO.1の大ヒットという「幸運」を手にしたのは「赤べこ」のおかげだったというわけです。ロバートの狙いはぴたりと当たったというわけです、めでたしめでたし・・・・。


ちょっと、待ってください(byサンディ)、「私はザ・フーとともに日本に居て」ってザ・フーはついこないだまで来日したことがなく、未来日の最後の大物バンドあつかいだったじゃないですか???。ロバートの記憶違いなのでしょうが、じゃあ一体誰と一緒に日本にいたのか?はたまたその時に「赤べこ」をプレゼントした日本の友人は誰なのか?あらたな謎が、誰か教えて(笑)。



おまけ。

ほんといい選曲のアルバムだったんですよね『ライジング・サン』