温故知新 リチャード・ペリー | 鳥肌音楽 Chicken Skin Music

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このブログでプロデューサーについて何人か書いてきて

「プロデューサー列伝」なるテーマもたててしまいました

(ちなみに.このテーマはマンガ「プロレスラー列伝」のもじりです)


しかし、記事にするのが本人の死亡がきっかけということで

いつも回顧録のようなものになっちゃってますので、これはいかんなぁということで

現在も現役で頑張っているプロデューサーを取り上げたいと思います


perry

今回はリチャード・ペリーRichard Perryでいきます


先日、猟盤日誌でとりあげたタイニー・ティムの

「タイニー・ティムに神のご加護を」のクレジットを見ていたら


タイニー・ティムに神のご加護を


プロデューサーがリチャード・ペリーになっており

ウクレレで20世紀前半のグッド・タイム・ミュージックを歌うというタイニー・ティムのスタンスに

グッド・タイム・ミュージックとロックを見事に融合させたニルソンの諸作をプロデュースしていた

リチャード・ペリーに対する僕のイメージにはぴったりくるもので


あぁリチャード・ペリーは昔からこういうことやってたんだと

彼のプロデューサー歴を例によって all music  で調べてみました


1968年発売の「タイニー・ティムに神のご加護を」は彼にとって

ごく初期のプロデュース作(3作目?)のようです


リチャード・ペリーは1942年にニューヨークのブルックリンで生まれました

50年代後半にティーン・エイジであった彼は勿論のことR&Rに夢中になり

自らもいくつかのグループを結成していたようです


そんな中にエスコーツEscorts というバンドもあり(フェリックス・キャバリエのバンドとは別バンド)
そこのヴォーカリストでありガール・フレンドであったGoldie Zelkowitzは70年代に
Genya Ravanという名前でTen Wheels Driveというジャズ・ファンク・バンドやソロとして活躍したようです
gr2  gr3  gr

その後大学時代をミシガンで過ごしニューヨークに戻ったリチャード・ペリーは

ケニー・ヴァンス(ジェイ&アメリカンズ)とソングライター・チームを組んだりしたようです


1965年にはレッド・バード(レーベル)での仕事を通じてリーバー&ストラーとも知り合い

そうした中でプロデューサーという立場を確立していったようです


彼の最初のプロデュース作は少し意外な気もするのですが

1967年のキャプテン・ビーフハートのブッダからのデビュー・アルバムでした

Captain Beefheart and the Magic Band Safe as Milk


奔放なビーフハートと学究肌のライ・クーダーがかなり衝突していたようで

若造プロデューサーとしてはまとめるだけでも大変だったんじゃないでしょうか


次にリチャードが手がけたのがニュー・オリンズの大御所ファッツ・ドミノのアルバムでした


 Fats Domino Fats Is Back


all musicのレヴューにもあるように

過去の名曲のカバー(自作曲含む)とコンテンポラリーな作家(ビートルズ)の曲を上手く織り交ぜ

腕利きミュージシャンを集めてエンターティンメントなんだけどルーツも感じさせる

そんなアルバム制作の方法は後の「Ringo」の雛型であったといえるかもしれません


ちなみにこのアルバムに参加したミュージシャンは

ハル・ブレイン、マイク・ディジー、ブロッサムズというレッキング・クルーがらみや

エリック・ゲイル、チャック・レイニー、キング・カーチス、ラリー・ネクテル、ジェームス・ブッカーといった人達

そしてアレンジャーにはランディ・ニューマンが参加

ジェームス・ブッカー以外あまりニュー・オーリンズとは関係の無いミュージシャンばかりですが

(試聴しただけですが)見事にローリングするニューオーリンズ・サウンドになっています

このメンバーですからその位当たり前ですよね


自身のヒット曲「I'm Ready」をセルフ・カバーしていますが

ザ・バンドの「I'm Ready」(「ムーン・ドッグ・マチネー」収録)は

あきらかにオリジナル・バージョンではなく「Fat Is Back」バージョンを元ネタにしてますね


そして次にリチャードが製作したのがタイニー・ティムのアルバムでした


タイニー・ティム タイニー・ティムに神のご加護を


先にも書きましたが20世紀前半のティン・パン・アレイ・ミュージックをウクレレを弾きながら

ファルセットで歌う大男Tiny(小男)Timはおそらくはキワモノ芸人的な扱いだとは思いますが

ジョニー・カーソン・ショウやエド・サリバン・ショウといった音楽バラエティ番組に出演していて

アメリカ人の間ではかなりの認知(ヘンなオッサンって認知?)はあったようです


にしてもこのアルバムがチャート7位という大ヒットになったのは

ストリングスを加えヴァン・ダイク・パークスの「ソング・サイクル」なんかと似た雰囲気の

浮遊感溢れるサイケデリックな音像を作り出したリチャードのプロデュース力があってのことと思います


1969年にはナイアガラー にはお馴染みのソングライター・チーム、アンダース&ポンシアの

アンダース&ポンシア名義の唯一のアルバム The Anders & Poncia Album」 をプロデュース

これ聴いてみたいのですがワーナーさん出してくんないかなぁ


タイニー・ティムでの成功もあってか

70年代に入ると多くのアーチストがリチャードに仕事を依頼するようになります


まずはアレンジャーの一人としてですがリンゴ・スターのソロ・アルバムに参加

このアルバムはリンゴの両親が好きだったスタンダード・ナンバーを歌うというアルバムで

リチャード・ペリーにはぴったりの企画だったと言えるのじゃないでしょうか

Ringo Starr Sentimental Journey

リチャードの他アレンジャーとしてジョージ・マーチン、クィンシー・ジョーンズ、モーリス・ギブ、

エルマー・バースタイン、オリバー・ネルソンそしてポール・マッカートニーなどが参加

さすがはビートルっていう豪華な作りでした


このアルバムへの参加で信頼を得たのか

リンゴが1973年の実質的なソロ・デビュー・アルバム「RINGO」のプロデュースをリチャードに依頼

「RINGO」はリチャードにとってもっとも成功した1枚となります


 Ringo Starr Ringo


なんといっても解散後のビートルズのメンバーが4人とも参加したアルバムは後にも先にもこれ一枚

さすがに4人がそろって演奏といった場面はないのですが

ジョンが「I'm The Greatest」、ジョージが「Sunshaine Life For Me」そしてポールが「6 O'clock」を提供し

各々の曲では演奏に参加しています

「I'm The Greatest」ではポールをのぞく3人が参加(ベースはクラウス・ヴーァマン)もうちょい、残念!


ビートルたち以外のクレジットもとにかく豪華

ギターにはデヴィッド・ブロムバーグ、ヴィニー・ポンシア(曲も提供)、スティーヴ・クロッパー、

マーク・ボラン、ロビー・ロバートソン

ベースはクラウス・ヴーァマン

キーボードにはビリー・プレストン、ニッキー・ホプキンズ、ジェームス・ブッカー

ドラムにはジム・ケルトナー

パーカッションでミルト・ホランド

ホーンにジム・ホーン、チャック・フィンドレィ、ボビー・キーズ、トム・スコット

マンドリンでレヴォン・ヘルム フィドルでリック・ダンコ

バック・コーラスにメリー・クレイトン、リンダ・マッカートニー、ニルソン、マーサ・リーヴス

ストリングス含めアレンジャーはジャック・ニッチェ


ふぅー 


このアルバム中学時代に発売されたのですが

当時はビートル以外もこんな凄いメンバーだとは露知らず聴いていました

「You're Sixteen」というヒットがあったためかオールディズの現代版みたいな印象でしたが

アルバムにも参加しているザ・バンドの「Moondog Matinee」と同じく南部臭がプンプン匂ってきます

今思うとこんな素晴らしい演奏を中学時代に刷り込めたのは幸運でした


しかしこれだけのメンバーが集まったのは勿論リンゴの人柄もあるのでしょうが

たはりプロデューサー=リチャード・ペリーの力が大きいと思います


リチャードとはもう一枚これまたリンゴらしいアルバムを制作(ジャケ最高!)


 Ringo Starr Goodnight Vienna


プラターズの「Only You」やホイト・アクストンのドラッグ・ソングのカバー「No,No,Song」での

ひょうひょうとした歌声はリンゴの最大の魅力と思います

ジェシ・ディヴィスの参加も嬉しいアルバムです


さて時代を戻します、70年代初めのプロデュース作です

Barbra Streisand Barbra Joan Streisand

「君のともだち」のカバーの記事やビリー・プレストンの追悼記事でもピックアップしていたのですが

みたび出てまいりました1971年のバーブラ・ストレイサンドのアルバムです

ジョン・レノンやキャロル・キング、ローラ・ニーロという同時代の作家の作品を積極的に取り上げている

スティリー・ダンとしてデビューする前のベッカー=フェイゲン作の「I Mean to Shine」も収録

アレンジャーにはニック・デ・カロを迎えている


そしてリチャード・ペリーとの相性が最も良かった一人がハリー・ニルソンではなかったでしょうか

Harry Nilsson Nilsson Schmilsson

ニルソンの最高傑作となる「ニルソン・シュミルソン」をリチャードをプロデューサーに迎え

ロンドンで録音したことについてニルソンはこんな風に語っていたとか


>僕にはそれが本当に必要だった

 あのアルバムは素晴らしい共同作業だった

 僕にとっての二大プロデューサーはフィル・スペクターとリチャード・ペリーなんだ

 リチャードとはフィル・スペクターを通じて出会ったから、何となくマッチしているわけだ

 リチャードと僕は同じことを考えていた

 仕事をしてロックンロールをして楽しもう!と


以下は僕の想像です


ロンドンでニュー・アルバムの制作に入ったニルソンとリチャードは

アルバムのリード・トラックとなるべき歌を探していました

そんな時に耳にしたのがビートルズの弟バンド=バッドフィンガーの発売されたばかりのアルバム

「No Dice」に収録された「Without You」というナンバー


この曲は導入部をピート・ハムがサビの部分をトム・エヴァンスが作っていて

ボーカルもそれぞれ自分の作曲部分を歌っていました

ひとりで歌ってみたニルソンはこの歌の繋がりの悪さを感じます、

ピートのパートはしっとりとした湿度を感じるのだがトムのパートはサラっとしすぎている


そこでニルソンとリチャードは楽曲のテンポを落とし

ゲーリー・ライトの囁きかけるようなピアノをイントロに配し

エルトン・ジョンでお馴染みのポール・バックマスターの端正なストリングスをフィチャーし

最後にニルソンがゆっくりゆっくり感情を込めながら歌い上げました


そうして出来あがったのがニルソン版「ウィザウト・ユー」(当時の日本語表記ママ)です

この曲はロック史に残る名唱として72年のグラミーでベスト・ポップ・ボーカルに選ばれています


72年にはカーリ・サイモンのヒット・アルバムをプロデュース


Carly Simon No Secrets


エヴァーグリーン ナンバー「うつろな愛」You're so Vain でのミック・ジャガーとのデュエットは

やはりリチャードのアイデアだったのでしょうか・・・しかしどこに繋がりが、やはり唇か!?


余談ですが当時中学生だった僕にとって「うつろな愛」のジャケ(アルバム写真と同じ)は刺激的でした

胸の先っぽのポッチは何?同じ思いを抱いたロック中坊は多かったのでは


-----途中ですが とりあえずアップします 続きは後ほど-----

Art Garfunkel
Breakaway
Leo Sayer
Thunder in My Heart
Original Soundtrack
Streets Of Fire: A Rock & Roll Fable (1984 Film)
The Pointer Sisters
Break Out
Rod Stewart
Vagabond Heart
Vonda Shepard
The Radical Light
Percy Faith
Angel of the Morning/Black Magic Woman
Rod Stewart
It Had to Be You: The Great American Songbook