教えることが教師の仕事?教えて君の大量生産 | みとのや先生日誌:元帰国生だから言える事

みとのや先生日誌:元帰国生だから言える事

アメリカオレゴン州、ワシントン州にある学習塾巣鴨アドバンススクール(www.sugamoadvance.com)で日々子供達と奮闘中です。

私が、塾講師のアルバイトをしていた時代

一生懸命、目の前の生徒たちに教えよう教えようとしていました。

「先生これが分かりません。教えてください。」

と生徒が来れば

「よし、いいよ。これは、こことここを足して、それをこれで割るから答えがでるんだよ。

そうそう、そのとおり。よくできたね。」


と。

これは、教育初心者が必ずと言って良いほどやってしまう失敗なのですが

「教育」とは、「先生がお子さんを教えて育てること」だと思ってしまうのです。

そして、教えた方が、先生も満足感に浸れるので、どうしても教えよう、教えようとなってしまう。


しかし、本当に大事なことは

教えることではなく

目の前の生徒が

学んでいるか、成長しているか、ということなのにです。



学ばせるためには、こちらの教える度合いをうまくコントロールする必要があります。

この教える度合いは、塾仲間でも、色々と討論になることなのですが

だいたい落ち着くところは

教えすぎても駄目だし、教えなさ過ぎてもいけない、というあいまいな答えに終始します。

なぜなら、その子その子にとって、必要とされる教える度合いは違うからです。


そして、現代の子どもたちの傾向性として

「教えて君」になってしまっている子が増えています。

つまり、少しでも見たことの無い問題に直面したり、分からない問題に直面すると

「習ってないから分かりません」と言うのです。

皆さんのお子さんでも

こんな言葉を発していませんでしょうか。

それは、今までそのこが教えられすぎている証拠です。



習ってないから分からないのであれば

大人になるまでは親が面倒をみてくれるかもしれませんが

社会人になってからでは、それは通用しません。

社会など、分からないことばかりなのですから。


これは、今までの教育のシステムの問題でもあるでしょう。

今までは、とにかく偏差値の良い学校に行き

それなりの大手会社に就職していれば、最低でも定年までは会社にしがみついていれば良かった。

右肩あがりの日本経済においては、特に試行錯誤する必要も無く、会社も大きくなれました。


しかし、今は違います。

エリート集団であるアメリカのFRBでさえ、この経済の混沌をどう対処していいのか

模索している状況なのです。

こんな状況で、習ったことがないから分かりません、という人間が必要とされるのでしょうか。

それは、一般の会社でも同じことでしょう。



この社会において必要とされない「教えて君」にならないためには

積極的に学ぶ姿勢をつくらなければいけません。

教えて、ではなく、学びたい、学ぶぞという姿勢です。

これを「学ぶ君」と呼びましょう。


「教えて君」は受動的であり、「学ぶ君」は能動的です。

吸収する知識としては、双方、同じ量かもしれませんが

能動的な姿勢であれば、その知識を知恵に変えられる。

そして、社会で必要とされる人材は、知恵をもち、あらたな発想をもたらしてくれる人材なのです。



では、「教えて君」よりも、「学ぶ君」のほうが大事だということが分かったけれども

具体的に家では何ができるのか。


それは、教えすぎないということです。

ルールを教えることは必要です。

基本を教えることも大事です。

何も教えずに「頑張って」と突き放しては、ルールも知らずに、野球のバットとボール持たせて試合やりなさい、といっているようなものです。


そうではなく、最低限のルールは教え

あとは、本人に任せる。

ただ、家ですと

一体何を基準に、どこまでを教えてどこまでを教えないという決断をするのは難しいと思います。

強いて言うのであれば、英語と数学と国語という教科別でも、教える度合いは違ってきますし

お母様、お父様はそれぞれやるべきことがあり、塾の先生のように、試験問題や教え方の研鑽などに費やす時間も機会もないからです。


では、何も出来ないのかというと、そうではありません。

まずはお母様お父様の意識の中に

この子を「教えて君」ではなく、「学ぶ君」にする、という概念があるだけでも

日々の行動が変わってくることだと思います。


ここで、その概念をもつとどうなるか一例をあげておきたいと思います。

例えば、お子さんが算数の文章問題で、分からないから教えて、と来たとします。

ここでは、質問に対して、素直に応えるのではなく、逆に質問で返しましょう。

「この問題で聞かれていることは何?」

・・・クラスの男子の人数。


「そうだね。では、クラスの男子の人数を知るためには、何が分かればいいのかな?」

女子の人数がわかれば分かる。

「そうしたら、何をすればいいのかな」


という様に

文章題などを指導するときは

まずは、聞かれていることは何なのか。

そこにたどりつくためには、何を求める必要があるのか。

ということを確認します。

これが分かっていないで、問題を解けるわけがありません。

その上で、分数の計算の仕方が間違っていたりすれば、しっかりと教える必要がありますし

ただ、考えたりていないのであれば、再度「もう一回文章読んでみて」と伝えるだけでもいいときもあります。



ですので

お子さんが「教えてぇぇ」と来たときに

一度深呼吸をし

教えなきゃ、ではなく

「学ぶ君」にするために、この機会を有効活用するぞ!

と決めてからお子さんの指導にあたってください。


それだけでも、教える度合いが変わってくるでしょう。


「教えて君」ではなく、「学ぶ君」になってもらう。


是非、家庭指導でも気をつけてもらいたい点です。