働きアリの権左は、働かないアリでした。と言っても、はじめっから働かないというわけではありません。働きアリのお父さんと、働きアリのお母さんから生まれた権左は、自分も働きアリになるんだということに、なんの疑問も持たずに育ちました。それを証拠に、権左は体が大きくなると、皆と同じように列に並んで、せっせと餌を運ぶようになりました。
ある夏の暑い日のことです。いつものようにせっせと餌を運んでいた働きアリたちに向かって、涼しい木陰で寝そべっていたキリギリスが言いました。
「たくさん食べ物があるのに、どうして働いているんだい?」
働きアリの一匹が言いました。
「いつかやってくる冬に備えているのです」
「そんなにつらい思いをしてまで?」そう言って、キリギリスは楽しそうに歌いだしました。
働きアリたちは、気にもとめずにせっせと餌を運び続けました。
それからいく日もいく日もたって、寒い冬がやってきました。あたり一面が雪におおわれた日のこと、キリギリスがアリたちの巣にやってきて言いました。
「寒くて飢えてて死にそうなんだ。お願いだから、食べ物を分けてくれないかい?」
働きアリの一匹が言いました。
「そんなにつらい思いをしているなら、歌ったらいかかです?」
キリギリスは仕方なく、雪の中で歌いました。働きアリたちは気にもとめず、せっせと餌を食べました。ただ権左だけは、他のアリたちとは違って「素敵な歌だな」と思いながら、餌を食べました。やがてキリギリスは、歌いながら死んでしまいました。
それからまた、いく日もいく日もたって、暑い夏がやってきました。働きアリたちは、いつものようにせっせと餌を運んでいました。その時、なにを思ったのか、列に並んでいた権左は運んでいた餌を放り出して言いました。
「みんな、聞いておくれよ」
すると権左は、見よう見まねで練習していた、キリギリスの歌をうたいだしました。
働きアリたちは、気にもとめずにせっせと餌を運び続けました。ところが、一匹の働きアリが思わず吹き出すと、周りの働きアリたちもつられて笑いだしました。権左のうたった歌が、キリギリスと比べてあまりにへんてこだったのが、可笑しくてたまらなかったのです。それでも権左は「みんなが自分の歌を聞いてくれた。みんながこんなに喜んでくれた」と、嬉しくてなりませんでした。それからというもの、権左は毎日のようにうたって、皆はそれを聞きながら笑っていました。
またいく日もいく日もたって、寒い冬がやってきました。夏のあいだ、歌ばかりうたっていた権左には、冬を越せるだけの餌がありませんでした。権左は仲間の働きアリたちに言いました。
「少しでいいから餌を分けておくれ」
皆は権左が働かないでいたことを知っていましたから、いい顔をしません。
そこで権左は思いたったように「こいつを聞いてよ」と言って、キリギリスの歌をうたいだしました。
ところが働きアリたちは、少しも笑うことなく権左に言いました。
「もう、その歌は聞きあきてしまったよ」
働きアリたちは、その場から一匹、また一匹といなくなり、とうとう権左の周りには、誰もいなくなってしまいました。とその時、耕作という名前の働きアリが引き返してきて、権左のもとへ近づいてきました。
耕作は「あまり物でよかったら、これをお食べよ」と言って、権左にひと握りの餌をさし出しました。
「いいのかい?」権左は驚いて言いました。
「うん。だけどお礼に歌をうたってほしいんだ」
耕作のその言葉に、権左は大喜びでした。権左はお腹がすくのも忘れて、大きな声でうたいました。歌を聞き終えた耕作は、少しも笑うことなく言いました。
「素敵な歌だね」
それを聞いた権左は、おいおいと泣き出してしまいました。耕作は驚いて「そんなにお腹がすいていたのかい?」と言いました。
「違うんだ。喜んでもらえたのが嬉しくて」と権左は言いました。
「僕は君の声が大好きなんだ」
「だけど、みんなは聞きあきたって」
耕作は少し考えてから「それなら、新しい歌をつくってみなよ」と言いました。
「新しい歌?」
「うん。きっとまた、みんな聞いてくれる」
「僕にそんなことができるかな?」
「大丈夫だよ」
「だったら、一緒につくるのはどうだい?」
「僕とかい?」
「一緒だったら、できそうな気がするんだ」
耕作はまた少し考えてから「わかった。やってみるよ」と言いました。
「ありがとう」権左が言いました。
「だけど、約束をしてほしいんだ.。手伝うのは、働かない冬のあいだだけにすること」
「約束するよ」
「あと、もうひとつ。歌ができたら、一番に聞かせること」
「もちろん。それじゃあよろしくね」そう言って権左は、手をさし出しました。
耕作は「うん。よろしくね」と言って、権左の手を握ろうとしました。
ところが権左は、手を下ろして、その場に座り込んでしまいました。耕作は驚いて「どうしたの、やっぱり嫌になったのかい?」と言いました。
「違うんだ。お腹がすいたのを思い出したんだ」と権左は言いました。
その日から、権左と耕作は、お互いの家を行き来するようになりました。権左がつくって、耕作が直して。耕作がつくって、権左がうたって。二匹のアリは、歌をつくることにすっかり夢中になりました。
耕作は権左のために、いつも餌を半分にわけてくれました。けれども権左は、半分の餌をもう半分にして、残りは耕作に返しました。
「それっぽっちじゃ、足りないだろう?」耕作は聞きました。
「僕はへいちゃらだよ」と権左は言いました。「歌のことを考えているとね、楽しくて仕方がないんだ」
それからいく日もいく日も、いつもなら長く感じる寒い冬があっと言う間にたってしまい、暖かい春がやってきました。
働きアリたちは、列に並んでせっせと餌を運びはじめました。しかし働かないアリの権左だけは、列に並ばずにいました。やがて権左は皆の前に立ち、冬のあいだにつくった新しい歌をうたいだしました。働きアリたちは、気にもとめずにせっせと餌を運び続けようとしたものの、誰からともなく、大声で笑いだしました。春の陽気も手伝ったのか、いつもはまじめな働きアリたちが、権左の周りをぐるりと囲み、口ぐちに権左をもてはやしました。働きアリの中には、運んでいた餌をご褒美として権左に与える者まで現れました。
権左は皆にまた歌を聞いてもらえたこと、喜んでもらえたことが、嬉しくて嬉しくてたまりませんでした。それから権左は、遠くから見ていた耕作をみつけると、泣いてしまいました。耕作もまた、嬉しくて涙を流していたからです。
その年の夏も、権左は歌をうたってばかりいました。やがて冬になると、耕作と新しい歌をつくってばかりいました。それでも、もう餌に困ることはありませんでした。権左は餌がなくなると、皆の家々をうたって回り、餌を分けてもらっていたからです。決して豊かな暮らしとは言えないものの、働かないアリの権左は、幸せな毎日を送っていました。
そんなある日のことです。権左のもとへお父さんがやってきて言いました。
「お前、ちゃんと働いてるのか?」
「ううん。その代わりに、歌をつくっているよ」と権左は言いました。
「そんなことで食べていけるのか?」
「ほら、これを見てよ」そう言うと権左は、皆からもらったご褒美の餌を見せました。それは、冬を越すのに十分とはいえないほどの量でした。
お父さんは言いました。
「いつまで続けるつもりだ?」
「いつまでって……」
「恥ずかしくないのか?」
「みんなの前でうたうのは、楽しいことだよ」
「物もらいのような真似をして」
「え?」
「私は恥ずかしい。お前が働きもせず、歌をうたい、物をもらうことが」
「みんなが餌をくれるのは、喜んでくれるからだよ!」
お父さんはしばらく黙ってから、話しはじめました。
「お母さんが、病気で倒れたんだ。去年の冬、うちの倉庫から餌を盗んだものがいたみたいでな。二三日あけては、少しずつ盗んでいたようで、しばらくは気づきもしなかった。でもある日を境に、お母さんの食べる量が減ってきたから、不思議に思って聞いてみた。はじめのうちは歳のせいだなんて言ってたが、お母さん、おかしなことに泥棒をかばっていたんだよ。もっとおかしなことには、今年の冬は泥棒がこないなんて言いだしてな。心配するあまり、寝込んでしまったというわけだ。権左、歌をうたうなとは言わない。歌をつくるなとも言わない。だけどな、お母さんを心配させるな」
なにも言えずにいる権左に、お父さんは「この冬はこれでやっていきなさい」と言って、餌をさし出しました。権左はその手を払いのけ、走り去ってしまいました。
あくる日の夜、権左から話を聞いた耕作は、「お見舞いに行こう」と言いました。次の日になり、二匹は連れ立って、権左のお母さんを訪ねました。お母さんは、少しやつれた様子でしたが、玄関で二匹を迎えいれてくれました。権左はそこで、お父さんが死んだことを知らされました。その年の夏、お父さんは無理をしながらも、権左のぶんまで、せっせと餌を運んでいたのです。
その日から、権左と耕作は、お互いの家を行き来することはなくなりました。
耕作は、権左の家に行きたかったのですが、なんと声をかけていいものかわからず、それができずにいました。ですが、とうとう心配のあまり、権左の家に行くことにしました。久しぶりにあった権左は、すっかり痩せほそっていました。
「大丈夫かい?餌がなくなったの?」耕作は言いました。
「餌はあるけど、食べられなくて」権左は言いました。
「気持ちはわかるけど、食べなきゃだめだよ」
「食べられなかったんだよ、歌をつくるのに夢中で」
「歌を、つくったのかい?」
「うん。お父さんに、ありがとうも、ごめんなさいも言えなかったから。でも、どうしても伝えたくて。だからね、それを歌にしたんだ」
「聞かせてもらっても?」
「もちろんだよ。約束だからね」
それから、いく日もいく日もたって、暑い夏がやってきました。いつものように、せっせと餌を運ぶ働きアリたちの前で、権左はお父さんの歌をうたいました。
働きアリたちは、誰も笑いませんせんでした。働きアリたちは、誰も餌を運んでいませんでした。権左への拍手を惜しむものがいなかったからです。遠くから見ていた耕作は、涙を流していました。権左は、歌をうたって、初めて心から笑いました。
権左の歌はまたたく内に評判となり、いつまでもいつまでも楽しく暮らしました。と、思っていた、ある夏の暑い日のことです。せっせと餌を運んでいた働きアリの一匹が、突然たおれてしまいました。その働きアリの体には、小さなダニが巣食っていて、それが元で病気になってしまったのです。病気になった働きアリは、看病のかいもなく死んでしまいました。
また別の日になって、同じようにたおれてしまうアリが次々と現れました。なんとその小さなダニは、アリの体から他のアリの体へと渡り歩き、数を増やしていくのでした。働きアリたちは、列に並んで餌を運びますから、小さなダニはあっと言う間にアリの巣ぜんたいに広がっていきました。たくさんの働きアリたちが、病気になって死んでしまいました。そこで女王アリ様は、これ以上小さなダニを増やさないため、皆に家の中から出ないようにと、おふれを出しました。こうして働きアリたちは、一匹残らず働かないアリになってしまったのです。
権左もまた、家にいるより他なくなってしまいました。権左は歌をうたいたくてなりませんでしたが、誰にも聞いてもらえません。そこで権左は、新しい歌をつくることにしましたが、なかなかできずにいました。誰にも聞いてもらえない歌をつくることに、どうしてもやる気が起きなかったのです。わずかに蓄えてあった餌は、日毎になくなっていき、とうとう底をついてまいました。権左はできるだけお腹が減らないよう、一日じゅう横になって過ごすことにしました。権左は横になって、宙を見つめながら考えました。
「僕はみんなに喜んでもらえると思って、歌をうたっていた。だけど僕の歌は、だれも必要としていないんだ。だっていま、僕が歌を必要としていなんだから」
権左はもう、新しい歌をつくることができなくなってしまいました。そして、このまま歌をつくれずに生きていくのなら、いっそ死んでしまったほうが、いいのかもしれない、と思うようになりました。権左はじっと眺めている宙に、自分の魂が溶け出しているかのような気がしました。
そのとき、誰かが権左の家のドアを叩く音が聞こえました。権左がドアを開けると、そこには誰もいませんでしたが、代わりにひと握りの餌が置いてありました。餌には、手紙がそえてありました。
元気でやってるかい?少ないけれど餌を置いていくから、なんとかやっていってほしい。それからね、女王アリ様のところへ行ってみるといいよ。困っているものに、餌を分けてくれるみたいだから。
そしてまたいつか、二人で歌をつくろう。できあがった歌は、一番に聞かせておくれよ。約束だからね。それを楽しみにして、僕はがんばるよ。
手紙を読み終えた権左は、餌を食べました。餌を食べながら、権左は泣きました。耕作の気持ちが嬉しかったのと、耕作の期待が恐ろしかったからです。そうして権左は、女王アリ様のところへ行くことに決めました。
女王アリ様の住む、巣の中央では、権左と同じように餌に困ったアリたちが、大勢つめかけていました。そこに集まったアリたちは、怒って大きな声をあげるものや、悲しみで泣いているものがたくさんいました。女王アリ様が餌を分けることに決めたものの、一度に多くのアリが集まりすぎて、なかなか配れずにいたのです。
「僕にも餌を分けておくれよ!」
権左がどんなに大きな声で頼んでみても、誰も聞こえていないかのようでした。何度も何度も頼んでみても、結果は同じでした。そして、とうとうその日は、餌をもらえずに終わってしまいました。
次の日もまた、権左は女王アリ様のところへ行き、餌を分けてくれるように頼んでみました。けれどもまた、同じようにもらえません。餌を配る係のものたちが、小さいダニを恐れるせいで、辞めていってしまっていたからです。そこで権左は、このまま餌をもらえないよりはましだと思い、言いました。
「僕にも餌を配らせておくれよ!」
今度の権左の頼みは、あっさり聞き入れられました。こうして権左は、餌を配る係として、働くことになったのでした。
女王アリ様の倉庫には、見たこともないほど多くの餌が、山となって積まれていました。権左はさっそく、困っているアリたちに、餌を配り始めました。すると、それを見ていた上役のアリが言いました。
「そんなに沢山、餌を配ってはなりません」
「どうしてですか?」権左が言いました。
「皆に配るだけの餌がなくなるからです」
そこで権左は、先ほどよりも少なく、けれどもできるだけ急いで、餌を配り始めました。するとまた、上役のアリが言いました。
「そんなに速く、餌を配ってはなりません」
「どうしてですか?」権左が言いました。
「皆に配るだけの餌がなくなるからです」
「こんなに餌が、あるじゃないですか?」
「それでもなりません」
「こんなにみんな、困っているじゃないですか?」
「それでもなりません」
権左は怒りと心苦しさとで、その場を立ち去ってしまいたくなりました。けれども権左は、じっと堪えました。そうしなければ、自分が餌をもらえなくなるからです。そこで権左は、餌をできるだけ少なく、できるだゆっくり配ることにしました。働き終えて、権左はその日のぶんの餌をもらいました。
そんな毎日を過ごしているうち、怒りも薄れ、苦しさも忘れ、権左はだんだん、なにも考えなくなっていきました。なにも考えずに働いて、なにも考えずに餌を食べ、なにも考えずに生きていく。お腹は満たされていきましたが、心は空っぽになっていきました。心の中がすっかり空っぽになって、もうなにも残っていないと思ったとき、権左は歌をうたいたくなっていました。みんなを喜ばせたいとか、誰かのためとかではなく、ただ自分のうたいたいという気持ちのために、うたいたくなったのです。
「ああ、けっきょく僕は、自分のために、歌をうたっていたんだ」
どこか諦めともとれない、希望とも呼べない気持になって、権左は自分の中に、確かに聞こえてくる歌を感じました。権左は、餌を食べました。餌を食べながら、権左は泣きました。涙を流しながら、歌をうたいました。
あなたは死んでいきました
雪の中で歌をうたって
そんなあなたに憧れて
生きていこうと決めました
あなたは死んでいきました
私のために餌を運んで
そんなあなたを偲んで
歌をうたうと決めました
歌に生きると言いながら
歌に死ぬ勇気もなくて
あなたのためと言いながら
自分のために歌をうたって
みんなが死んでいく中で
私は餌をもらっています
みんなのためと言いながら
自分のために餌を配ばって
腹を満たす手を止められず
もらった餌で命をつなぐ
ああ私は なんと恥知らずな
生き物なんでしょう
溢れでる歌を止めようとせず
その喜びに身を委ねる
ああ私は それでもいま
間違いなく生きています
その日の夜、耕作は、どこからか権左の歌が、聞こえているような気がしました。
(終)