「芝浜を、変えます」と談春さんが口にしはじめたのは今年の7月ごろだった。
知り合いの娘さんの結婚観と、恋愛観をきいて絶句したんだと。
「オレの芝浜は、5年後だれがきいてくれるんでしょうか?あれはただのパワハラになっちゃうんじゃかいか」って。
高座のたびに、この言葉を口にされてたように思う。
そして「いままでの芝浜、これからの芝浜」という独演会を、年末にうつ!ときいたのは、たしか堺フェニックスホールだった。毎年恒例のフェスでの芝浜は、「これからの芝浜」をやるんだと。失敗するかもしんないけど、失敗したら基に戻せばいいだけだから、とりあえずやってみる。と、独り言ちているように、決意表明をしてはった。かっこよかった。
そして、仲入り後、鼠色の着物に黒の羽織をきた談春さんが高座にすわっってすぐ、「ねぇ、起きてよ。起きてってば」といきなりはじまる。
はじめこそセリフは同じだったが、勝五郎のセリフから、キャラクターから、サゲまでぜんぶ変わっていた。でも“夫婦愛”というテーマは変わらず、現代の男女観に変えられていた。落語の世界では、女は男をささえてなんぼ、前提で話がつくられているが、現在は男女は表向きは平等だ。
勝五郎が主役だったが、お浜さん中心に書き換えられていて、歯を食いしばって生きる女性へのエールのような話にかわっていた。
「しあわせ、ってなんなんだ?」を自答自問しているかのような落語で、「愛」なんて軽々しい言葉を使わず、相手をおもいやり、気遣い、ウソをついてまで支える。おたがいに思いやり、幸せになれるように変われたことが、それこそが幸せなんじゃないかと。ひとりではできなかった、変われなかった。でも、オマエ(オマエさん)がいたから変われたんだ。それに気がついた今、オレ(あたし)は幸せ者だ。人から言われるのでなく、自分で認めたかったんだ。と。
たっぷり1時間。ここまで変える?という驚きと、でもやっぱり芝浜の勝五郎とお浜さんだなという懐かしさと。いや、ほんまに驚いた。舞台のソデにはきっとたくさんの落語家さんがいただろうな。
まだ完成形にはなってないんだろうけど、きっと来年のフェスもこの芝浜のバージョンアップがきけるのだろうなと期待が高まる。
三谷幸喜に引き続き、大御所の失敗をおそれないチャレンジを目の当たりにして、己を恥じてしまう。勝ちパターンに逃げてしまってはアカン。失敗を恐れてもアカン。
ほんまに、2022年の舞台締めが立川談春の「芝浜」で幸せ。
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2022年12月28日
@フェスティバルホール
◆うどん屋
これをするのに40年かかったって。ほんとうに1杯のうどんを食べるようにたっぷりうどんを食っていた。ダシのかおりが、ただようかのような喰いっぷり。名人芸だわ。
◆除夜の雪
2021年だったか、NHKの番組で談春さんが米朝師匠の「除夜の雪」をやりたいと言っていた。ようやくきけた。雪が積もったお寺の境内。噺をききながら頭に浮かんだ雪景色が、めっちゃキレイだった。なんの噺?年の瀬に怪談?と、おもしろくもあったが、志半ばで亡くなった人への弔い噺でもあるのだろうな。
いや、ほんまにおもしろかった。
うちの会社の独身女子もけっこう会場におった。が、もう仕事モードはオフにしてるので、声をかけず、目も合わさず、会場をあとにした。
談春落語をきいた後は、じっくり自分の言葉で考えたいことがたくさんあるのだ。
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<今日のいちまい>
談春落語のあとは、だいすきな焼肉屋へ行き、ハラミと、厚切り塩タンを食べ、いつものBARへ。
東京転勤になった金貸屋かんちゃんに3年ぶりにあい、めちゃくちゃ騒がしかったが「◎◎ちゃんは、コミュニケーションお化けやで」と言われ、サイコパスな心理学教授Kにも「お化け部類ですね」と重ねられた。
自分では、人見知りで、コミュ障やと思っていたからめちゃ嬉しい言葉やった。かんちゃん、うるさいだけの男ちゃうかったわ。
がしかし、サイコパス教授と弁護士ねえちゃんと「教祖になるか、ならんか」で議論になった時、ニマァとわらったあの顔が、TVでよくみる30~40代の若手大学教授とにてて、サブいぼが立った。怖すぎんねん、オマエは。
大学教授で、心理学の専門家をつかまえて「あんた、そんなんじゃ誰にも共感してもらえんでしょ」と説教してしもた。「学生に見方がたくさんいまーす」というから「ただ、洗脳してるだけやん」というと「そうでーす」ともいう。ほんま、あいつ、怖いわー。
というカンジのエンタメおさめと、焼肉おさめと、飲みおさめをやってきた。
ややこしい人多目やったけど、楽しく呑めてひと安心や。