2023年12月20日に「大阪市立中央図書館での文献調査から②」の中で、大阪西区の西六国民学校の疎開児童について紹介しました。
現在の島根県出雲市大社町に疎開した高田康子さん〔当時6年生〕に関する情報が、その後すぐ近くから得ることができました。
『大社の史話』に西六国民学校の学童疎開に関する資料が掲載されている事は知っていました。
今回の調査で、高田康子さんの情報が得られたことから、あらためて『大社の史話』の資料内容を確認してみました。
するとどうでしょう。
なんとそこにも高田康子さんの異なる内容の手記が掲載されており、新たな事実を知ることになりました。
『大社の史話166号』掲載の手記内容から得られた新たな情報は次の通りです。
・高田康子さんの旧姓は「羽根」であること
・昭和19年9月22日昼過ぎに大社駅に到着したこと〔13時間夜行列車に揺られた〕
・正月には七つボタンの予科練のお兄さん達が続々と参拝に来られていたこと
・昭和20年3月1日に卒業・進学のため大阪へ向けて帰ったこと
・大阪大空襲の後に神戸の親戚へ身を寄せたが、神戸大空襲で被災し家族で大社へ向かったこと
・3年生の妹の宿舎・高間旅館にお世話になり、大社町入南の馬庭力夫宅の養蚕所を借りて生活を始めたこと
・大社高等女学校へ転校手続きをとり、4月から電車通学を始めたこと
・女学校では、長刀・竹槍・手旗信号・農家へ田植えの手伝い・芝刈り・稲佐の浜で塩作り・農園で肥え運び・綿羊の糞掃除などをしたこと
『大社の史話』には、西六国民学校の他の体験者の証言も掲載されていました。
次回は、さらに明らかになった疎開生活の様子について紹介したいと思います。
【西六国民学校6年女子『大社の史話164号より』】