113系運転開始から60年その34 | 鉄道とバスのブログ

鉄道とバスのブログ

鉄道とバスの写真、乗車記などを紹介。


UQモバイル

 

サロ124.125形

老朽化が進み、取替時期に来ていたサロ110形およびサロ111形の置換えにあたり、乗客の着席需要が旺盛なことから同時期に登場した211系の2階建グリーン車サロ212形およびサロ213形と同じ車体を採用して座席定員の増加を図ったものである。


サロ124形

これにより定員はサロ110形1200番台の60名に対して90名と30名増となり、実に1.5倍に増加している。車掌室付きでトイレなしのサロ124形が1989年3月から1991年2月にかけて29両、トイレ付きのサロ125形が1990年度に5両製造された。将来的には、車掌室とトイレを向かい合わせた形で2階建グリーン車を2両連結することとしていたが、投入当初は両形式とも4号車に組込まれ、2階建+平屋の組合せとした。このため、サロ125形は登場時点でサロ124形と同じ向き(方向転換し本来の向きと逆の状態)で組み込むため、引通しを両渡りとして使用していた。後述の211系への改造時に本来の向きに戻されサロ124形と組んでいる(逆にこの時は両数の多いサロ124形の一部が方向転換と引通しの改造を実施することになった)。

サロ212形などとの相違点は、連結相手が異なることからブレーキ装置など構造が異なる他、サロ124-1 - 8は485系などからの発生品であるTR69系空気ばね台車を改造して使用していることが挙げられる。なお、9以降は211系と同様の新造のボルスタレス台車のTR235形に変更されている。

サロ124形のうち横須賀・総武快速線に投入された9 - 14、25 - 29は東海道本線のサロ124形と異なり、成田空港利用者輸送に対応して後位出入台側の一列を荷物置場に変更しており、定員は4名少ない86名となった。また前述のとおり台車がこのグループから新造のものに変更された。1994年から1999年のE217系投入時に全車が東海道本線に転属し、荷物置場を撤去して4名分の座席を増設した。また帯色が湘南色に変更されたが、東海道本線に新製投入されたサロ124形とカラーシートの貼り方が異なっているため、見分が付く。サロ125形は全5両が東海道本線に投入された。

なお、グリーン車独自の車両番号採番となったため、後に全く関係なくJR西日本125系が製造されたが、JR西日本車はクモハ125形のみのため車番の重複が生じなかった。

153系・163系からの改造グリーン車編集

サロ110形0・900・1000番台編集


153系急行用一等車(グリーン車)からの改造で、1967年 - 1969年と1975年とサロ152形30両全車(0・100番台)とサロ163形1両(7→サロ112-51)の計31両がサロ112形に改造された。種車のリクライニングシートをそのまま装備しており、定員は48名とサロ111形と比較して16名少ない。

サロ152形・サロ163形→サロ112形の改造は3回に渡って施工された。車両番号は原則としてサロ152形時代のものが踏襲された。

1回目(1967年 - 1968年)
  • 大垣電車区・下関運転所に配置されていた非冷房のサロ152-2 - 12・14・16・18・20の15両に吹田工場で改造施工。高槻電車区に配置され京阪神地区で運用された。
  • 後に3・14の2両のみが冷房改造された
2回目(1969年)
  • 大垣電車区に配置されていた冷房車サロ152-1・13・25・サロ163-7の4両に浜松工場での改造施工と併せて静岡運転所に転属。東海道本線東京口運用に投入されたが、1971年以降は高槻電車区に転用。
3回目(1975年)
  • 下関運転所・田町電車区に配置されていた冷房車サロ152-21 - 24・26 - 29・101 - 104の12両に大船工場で施工。24のみが京阪神地区用に高槻配置となったが、他の車両は大船電車区(現・鎌倉車両センター)に配置され、東海道本線東京口・横須賀線で運用された。

下降窓という車体構造上、雨水が浸入しやすかったため車体の腐食が早く、1979年までに全廃された。

その35へつづく