once upon a time in hollywood (DVDから) | 宅徒の備忘録

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DVDレンタルで視ましたこの映画…

 

once upon a time in hollywood

 

 

 

感想から言うと、何故にゾンビ物をインサートしたのかね?

 

ピットくん?やらかしたのはピットくんではないのかね?

 

というイメージだった。

(様するに、暴力表現が最後になるにつれ増していくため、おススメできる内容の映画ではないというイメージだ。)

 

それが無ければ…それなりにウケる映画だったので、

 

ドイィさんになっても良かったのだが。

 

この映画を視て判るのは、

ハリウッドには

ヒッピーという生活者が居り、

 

ヒッピー=やくざ=ゾンビ

という感じの様だ。

少し売れた映画俳優に

ひっついて、いき血を吸う…

みたいなイメージで、

ヒッピー(尻穴な輩)

=やくざ(日本でいうところの)の実際

が、語られている。

 

ブラッド・ピット扮するところのスタントマンは…

 

ビミョ~な?立場だ。というイメージだろう。

 

俳優の、露払い役?みたいな?イメージなのかもしれない。

 

今は、俳優自体も?

そんなゾンビになりつつあるのかもしれないイメージを

におわせているイメージが…

ラストの10分辺りのエンディング部分だと思われた。

 

非常に危うい綱渡り生活観なのだ。

 

ヒッピーの規制している個人宅エリアに行くまでは、

面白い映画だった。

 

どう見ても、ヒッピーがゾンビに見えてしまう。

 

ゾンビ映画を視たくない観客に、ゾンビ映画のバイオレス表現を強引に見せたい奴の算段だろう。

 

しつこさがヒッピー=やくざの領分だという事か?

(若しくは?誰かのレビューを見て、それで気になって?診てしまったやくざが、視ている自分自身自分がやくざであったと強引に再認識させられるというヤクザ殺しの暴露映画だと思うので、やくざの人はぜひ見てみてね。やう座ではない人は、少なくとも、映画業界内にはびこるヒッピーは、そういう輩=やくざ。であるという事は理解できるであろう内容だ。

 

個人的解釈で云うと、そのブラピ扮するスタントマンにぶん殴られているヒッピーの男は?まだまともな奴で、スタントマンにゲイヤクザ窟から救出された?というイメージ?かもしれない。というイメージだった。なので、顔をおもっくそ殴って多少そいつ等内でのメンツを潰さないと、その後もコバンザメみたくついてくるゲイゾンビが居るので。という?アメリカハリウッドの非情なケジメの付け方かもしれない。

 

いわば、車のタイヤ交換が、教えなくとも出来るという部分だろう。

(車で移動中に、1人まともなのが居るという話だった?かもしれない。)

 

今時タイヤ交換が出来る事が凄いかどうかは微妙―だが…その当時は、そういう事が出来るのは、そういうヤクザのゴミ溜め世界の中では、当時のアメリカでは?それなりに一般社会で生きていける能力があるという話なんだろう。

 

背後に、車は数台放置されている為、逆にそこで食い物にされ殺されたそのスタントマンとは真逆のがその数居る。と思われる。要するに、

死んだように動かないカフカの虫野郎というイメージ?かもしれない。

 

話の途中で、スタントマンを4人雇っている、それ以上雇えないという映画監督?が出てきたが…その内の1つをお前らの仲間が潰しやがっただろ!(目が見えないという元同僚か?)誰か使える奴を出せ。当時のスタントマンは、死なない奴という意味で、用心棒?セキュリティーサービス?の事かも知れないね。

 

少なくとも?その当時のハリウッド辺りは、そう云うヤサグレた歓楽街の客寄せに、映画俳優が利用されていた。みたいなイメージが無い訳ではない。実際、映画俳優、映画女優を客寄せネタにビジュアルで使っており、その兄弟姉妹みたいなのが、売春をして生計を立てている。

そういうハリウッドの隣にある、俳優女優に似た人で出来ている、なんちゃって情痔ヤクザハリウッド問題だろう。

 

彼のレオ様が演じてたのは…

 

このヒーローでは?

 

 

要するに、映画業界から、テレビ業界への移籍話?

の様だ。

 

実際、銃撃戦は、例の下半身バトルゲイ話の言い換えではないのか?

と、思えなくないのは…

 

顔を潰されている3人。

 

要するに、顔では(顔を出しての役柄では)食っていけなくなった。という芸人の悪党一家4団体の中で、1つの組織が逃げた?

 

というイメージなのかも。

 

どのみち、

ヒッピー映画村に行く前までは、面白いと思える内容だった。

ナンカヤバイヤロ?

ソウイウエイガムラニハイカンホウガイイヨ。

サイゴマデミルマエニ

ダイタイワカッタヤロ?

ヘンナヤツハ

オンナデモ

ノセテハイケナイシ、

ギョウカイノ

シリアイデ

トモダチダ

ミタイナノデ、

ソンナトコニ

イリビタッテイルノハ、

カコノシンユウ

ナンテカンジノ

シンユウデハナイ。

というか、嫁と称し、

過去の友人に取り付き、

その周りにはびこっているゾンビ

みたいなやくざには近づいてはいけない。

芸能関係者を語る奴の自宅の中が、

食い差しの放置が堆積し、

生ごみ臭い奴の所で、

変な奴が絶えずうろちょろしてる様なところには行くな。

 

ゲイヤクザしか居ない。

(少なくともなんちゃってウッの話。

この映画だと、ジョージという輩の所?らしいね。)

 

そういう意味では?

 

そのヒッピー村からやってきた顔を焼かれ死んだ3人?は…

 

これから業界で新しい人生をやっていくことが出来るのか?それともできないのか?という黄泉の国をさまよっているという、違う意味合いのゾンビ状態?かもしれないですね。

 

実際の話、舞台はアメリカである。

少なくとも、1970~1980年代辺りだと思われるが…

 

アメリカは銃社会である。

銃には銃で対処する(せざるを得ない)という銃社会の話だろう。

 

恐らく、前大統領DJTが、銃社会を微妙に推奨するイメージだったのは、特に、エンターテイメントでの作品で、銃関連が無いとウケないので。という意味合いでは?

エンターテイメントの表現上、銃社会を容認している部分があるという様な銃表現が必要なので…。

という部分の必要性で…

と云う部分がめんどくさくなってきたので、

今回は落選したんだと思われる。

 

なぜ日本の映画界も、銃には銃で対処しようという方法論で、

バイオレントな表現を多用するようになったのか?

日本の芸能関係も、そういう銃社会が横行しているからだろう。

日本のは、ゲイ花を銃社会に

置き換えている度合いが高いイメージがある。