いろんな意味でテストが終わった今日この頃です。
2年間フル単必須になるか5年sげふんげふん。

読書ブームが引き続いていまして、村山由佳の『すべての雲は銀の…』を読み直しています。
高校生の頃「おいコーシリーズ」で村山由佳にハマっていたんですよね。
一度読んだ物語を読み直すという概念が今まで無かったので、何だか新鮮です。
前に読んだときとはまた違った感性で読むってのも面白いですなぁ。
折しも『すべての雲は銀の…』の主人公は21歳で同い年。
上巻は今夜で一気に読み切ったので、下巻の展開でどう主人公とシンクロできるか楽しみです。


それはさておき、前回の記事で書いたtwitterでも呟いたのですが、”呟”という漢字って面白いなぁと思いました。
”呟”を構成しているのは”玄”と”口”。
”玄”の意味は「①奥深くて微妙なこと。深遠な道理。②老荘思想の根本概念。万物の根源としての道。」が主な意味らしいです。
だから、「奥深く深遠な道理や根源」を「発声する」が”呟く”の元来の意味なのでしょう。
しかし、呟きって基本的に下らなく無意味なものとして考えられがちですよね。
twitterやmixiのボイス機能を見ても、一見、非生産的なコメントが多い気がします。
しかし、それらは無意味なのでしょうか?
twitterに焦点を絞れば、その一見無意味なコメントにフォローして「読みたい」と思う人が居る訳です。
同じコメントでも、人によっては無価値かもしれませんが、ある人にとっては非常に価値あるものになる可能性があります。
だから、そのある人にとっては、そのコメントが正に”呟き”であり得るのです。

これってtwitterに限らないと思うんですよね。
どんなに下らない事でも、見方によっては、又は興味を持てば、自分にとって有用なものにすることが出来るでしょう。
要は活用の仕方次第。
だから「無価値”だと思い込んでいる様”なもの」はありふれているけど、「無価値なもの」って無いんじゃないかと思うのですよ。
むしろ、そんなものの中に「奥深く深遠な道理や万物の根源としての道」が隠れているのかもしれません。
いや、あると確信しつつある。

そもそも「下らない」って江戸時代に「江戸に流通しないもの」の形容でしょ?
って事は「無価値」かどうかは解らないですよね?


と語源大好きな俺のまじめぶった、”呟き”であったらいいなぁと思う文章でした。ちゃんちゃん。